結局自分は基本的には分かりやすい大衆娯楽が好きなのだよな 

作られた時代が古いだけで、当時はメインストリームに位置していたであろうものに反応することが多い(破れ奉行がそうだったかは知らないけど)
ホラー映画にしたってサスペリアなんかは普通に当時のヒット作だし、80年代ビデオブームの頃にはスラッシャー・スプラッター映画自体が(少なくとも後の時代よりは)一定の市民権を得ていたようだし
自分が好きなホラー映画もその黄金期のものが多い

つまり自分はすさまじく時代錯誤なライト層、あるいは生まれてくる時代を間違えたミーハーというようなものであって、コアあるいは通と形容されるような趣味人の人々とは近いようで遠い人間なのだろうなと思う
もちろんそういう人たちとも守備範囲が重なれば楽しくお話できることはあるし、そうしていきたいし、わざわざ境界線を引くようなことはしないけど、同等に肩を並べることには引け目がある

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米政治、娯楽、ポスト真実 

Netflix『極悪女王』の“本物”志向に感じた危うさ 「リアルなプロレス」を求めるひとびとのナイーブな欲望
jp.ign.com/queen-of-villains/7

良記事
ほんと、トランプがプロレス風の人心掌握の手法を政治活動に(というか現実世界に)持ち出したことは一時でもプロレスに関心をもってた人間からするとショッキングな出来事だったんだよな…
(WWEのファンは喜んでたかもしれないけど)

都市伝説とかもそうだけど、現実と虚構の混濁を面白がるような性質の娯楽がより危険な営みへの導入のような位置づけになっていってる感じはある
責任をSNSなどに押し付けるのは容易だけど(実際一因ではあるだろう)、最初から危なっかしい遊びをしていたのだということは認めないといけないだろうな
とくに自分たち世代のファンは虚構と分かりつつ乗っかっていた人が多いと思われるし

なお自分の理解ではすべてのプロレス関係者は必然的に多かれ少なかれ嘘をつくものであり(ドラマ制作者もある種の関係者・共犯者といっていいだろう)、この筆者もまたプロレスラーであることを頭の端におきながら読むべき記事だとは思う
その辺の食えなさ含めて、良記事

土地開発というやつはそのアートの一部を削り取って退屈な人工物をめり込ませるものなので、こちらとしても大変お世話になっているからやめろとは言わないけどその野暮さ加減への自覚はほしい

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SNS、少数者、映画館、車椅子 

twitter.com/NakashimaMinion/st
これ自体は結果的によかったねと素直に思うけど、大元の投稿自体が望ましい範囲でのみ共有されていたら、あそこまで叩かれることなく穏便に解決できていたかもしれない

投稿するなと言いたいわけではもちろんなくて、本来つながるはずのない人同士を無節操につなげて怒りだの恨みだのを喚起してそれによってある種の人(運営含む)が儲かったりもしてしまう仕組みがもう益より害を多く生んでいるように見えるということ

かといってMastodon、Fediverse的なあり方がSNSの唯一解とも思わないけど(種々の障壁を超えてメッセージを速く広く届けられる伝播力は特に少数者にとっては依然として大きな利点でもあると思うし、この人もそれを多かれ少なかれ期待して投稿したのだろうし)

とりあえず現xが目指しているとされる「自由」は運営者の管見と商業的/政治的動機から逆算されたパチモンと思われるので(そもそも完全な自由なんて人類の手に余るものだと思ってるけど)、もう少しだけでもマシな場所が育ってみんな移住してくれたら傍観者としても心穏やかに眺めていられるのだけどな

新聞の落日 - 内田樹の研究室 

blog.tatsuru.com/2024/10/11_10

もうほんとまじでそう
ストレートニュースにせいぜい「解説」を添えただけの記事だらけ
自称含む識者の表層的・一般論的な解説なんてネットにいくらでも転がってるんだから新聞でまで読みたくない(一切不要とまではいわない)
「その事柄が社会に何をもたらすのか」にまで踏み込んだ記事、つまり取材に裏打ちされた社会批評が読みたい
そんなもん雑誌か独立系ジャーナリズムでやれという考え方もあるかもしれないけど、むしろそれ抜いたら旧来型のテキストジャーナリズムに何が残るの?と思う
ほとんどの機能はすでに他の媒体に取って代わられてるのだし

結局は偏向、もっというなら人為そのものを恐れすぎた結果なのだと思う
人為による情報のコントロールが機能しない世界も(少なくとも現時点での技術水準では)まあまあろくでもないことになることが確認されたわけだし、周回遅れで足並みを揃えるよりは人為をバキバキに介在させる方向で行ってほしい

1点、部数減云々に関しては電子版に完全移行した層を一応考慮すべきではないかと(それでも悲惨な状況には違いないのだろうけど)

新しい文化なり流行なりを理解するにあたって、ネットニュースで「今こういうものが盛り上がってるんですよ」的な解説記事を読むことなどにほとんど意味はなくて、結局のところその界隈に飛び込んで人とつながることでディテールに触れテンポを体感しない限り何一つ理解したことにはならないのだろうなと思う

でもそういうことをするのは非常に億劫なので、基本せずに終わる
なのでせめてしょうもない解説記事など読んで何かを理解した気にだけはならないようにしたい

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あと番組中で指摘されていた「構造的な問題にもかかわらず当事者を責めてしまう」問題は今もめちゃくちゃあるよなあと

いわゆる「子持ち様」論争が例として挙げられていたけど、あとは社会の高齢化にまつわるあれこれとか
構造的な問題がすべてではないにしても、構造的な問題と個対個の不満なり怨嗟なりがごっちゃになってる人はよく見かけるし、意図的に混同させて分断を煽るような人もいる

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出先の街でお祭りやってたのでちょっとだけ見物してたけど、和装の女性たちが踊りながら車道をゆっくり進むすぐ後ろを警察の人員輸送車(でっかい青白のあれ)がぴったりついて徐行運転してて情緒が完全に揮発してた
後続車から守ってるんだろうけどもうちょっと雰囲気壊さないようにやれんのかなあれ

撤退の件、討論会~銃撃を経ても支持率にそこまでの開きはなかった(討論会直後には依然バイデン優勢であることを示す調査すらあったはず)ようで、外野はともかく党内からも撤退論が噴出する理由がいまいち分からなかったし、従って撤退という判断も単純に理屈として腹に落ちにくくモヤモヤしてる

この差がさらに広がると予測されてたのか(ならその根拠は何だったのか)
あるいは日本から見える景色を雑に眺めてるだけの人間には分からない不安要素があるのか
州ごとの情勢とかスポンサー的な存在の意向とか?

こういうことじゃね?みたいなのあったら思い付きでも無根拠でも構わないので誰か教えてください(圧倒的に知識不足なので議論とかはできません)

QT: mstdn.jp/@miraisyakai/11282482
[参照]

三春充希(はる)⭐未来社会プロジェクト  
7月21日現在のアメリカ大統領選の支持率の平均 トランプ 46.0 % バイデン 43.2 %

各国政府や政治家が発する「いかなる理由があっても暴力は許されるべきではない」的な言辞、意味も重みもとっくに霧散してるのに字数だけが多いのでもう省略して「いか暴」とだけ書いておいてほしいと思う 

その程度の意味と軽みしかない言葉を毎度2秒ほど費やして読まされる苦痛(高度に公共的な存在が発するメッセージである以上「嫌なら見るな」は通らないだろう)

ああいう魔除け的な用法が定着してしまった以上、いかなる理由があっても暴力は許されるべきではないことを本当に伝えたい人は別の表現やアプローチを探さないといけないという意味では迷惑行為に近い

すごく面白いと思っている人が「すごく面白い」と言っていた人があまり面白くなくて困っている

最近「音楽を聞いて気分が前向きになる」という現象を何度か確認していて、自分にとって は特にそういうものではなかったので驚くとともに不安を覚えている

ある用事が楽しそうなものであっても楽しくなさそうなものであっても事前に感じる面倒くささがほぼ同等なの、自分固有の仕様なのか人類共通のものなのか分からないけどたぶんそのせいで人生の満足度が少なくとも数%は落ちてる気がするので何とかしてほしい

言葉というもの 

わけのわからない新語や誤用は簡単に定着するのに、「復讐と復習で誤字りがちだから片方は全く新しい言葉を作りましょうか」みたいな合理化の流れは一向に起こらない(起こさせない)のはきっと自然かつ健全なことなんだな

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「先人たちの底力 知恵泉」柳宗悦の回(24.06.04) 

なんにせよ、民藝の思想を自分なりに咀嚼し、生活と地続きで実践しているたい平さんは素敵だなあと素直に思った(番組出演にあたってこじつけたのかもしれないけど、だとしても自分は先述のように理屈で納得できた)

創作物、とくに古いものを現実・実生活と切り離して、要はある種の現実逃避として楽しみがちな自分にはそのような姿勢はあまりない
何をどのように楽しもうが人の勝手だというのはもちろん前提にあるけど、それでも羨ましく思えるところはあった

正直たい平さんの芸風はちょっと苦手(落語には無知なので、あくまでタレントとして)だったけど、少し見る目が変わるかもしれない

※後編も見たけど、そちらについては特に書き留めたいことはなかった

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2日ぐらい前にトイレで座っていたとき 

、隅の方でほんの少し床から浮いてちょこちょこ動いているごく小さな物体を見つけた
「あ、蜘蛛か、こんなところに巣を作っても獲物なんて来ないだろうに、まあ追い立てるのもかわいそうだからいなくなるまで放っておこう」ぐらいに思ってそのままにしておいた

その後いつ見ても忙しく動いているので「がんばるなあ、どこかから虫でも迷い込んで来ればいいんだけどな」などと思っていたけど、さっきよく見たら換気扇が起こす気流で揺れているただの埃の塊だった
数日間埃を応援していた

アーティスト等の訃報に際して自分が知らなかった故人の周辺情報を知ることがよくあり(すべてに対して半可通なだけになおさら)、寂しいなかにもホクホクしてる自分がいたりして何とも言えない気分に毎度なる

「Y2K新書」S2最終回 

印象に残ったところの雑メモ、記憶や解釈の誤りがあるかも

00年代に一部で共有されてた「大量の映画や文芸作品にふれることで優れた・豊かな人格になれる(からできる限りそれらを摂取すべきだ)」的な価値観が後退した代わりに、推し活の普及によって「推しへの愛を示すために推しが関わるコンテンツには全てふれなきゃ」的な強迫観念をもつ人が増えてるかもという話

でも嫌なものにはふれなくていいし、すべてにふれていなくても推しを語っていいんだよという話

上記に絡み、知識の偏在や知らないものを「知らない」と正直に言うことはコミュニケーションの幅を広げるんじゃないかという話
本ポッドキャストの語り手3名も知ってること・知らないことのばらつきがあるからこそ話題が尽きないということ

以下投稿者の所感
対話において知らないことは正直に言った方がいいというのはほんとそう思う
(ただ利害がからむ局面などではハッタリが必要なこともあると思うから、それ以外で)

ただ「知らない、興味ないし」的な反応や、知ってる側からの知識マウント等が生じるとコミュニケーションの質はむしろ落ちると思うので、一定以上の好奇心と互いへのそれなりの敬意があることが前提だよなとも思った

心の中で勝手に呼んでいた略称が世間一般のそれと全然違ったときの小さな驚き

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