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誰が社会から誤解されているか。浮いているか。
欧米社会で浮いているのはユダヤ人や中国人である。一般化していえばよそ者、中国人を自認するミラーもその一人。
ところが、"If it happens that you are neither of these" をそのまま(正しく)訳した場合、「諸君」にはユダヤ人や中国人は含まれず、もっぱら欧米人が「いつもおかしくないときに笑う」ことになって、本来はよそ者のふるまいである場違いな笑いが、欧米人に帰せられてしまう。これはミラーの認識ではない。「おそろしく陽気」で「不自然な明朗快活さ」を身につけているのは、ユダヤ人や中国人でなければならない。
東洋(中国)の異常をもって西洋の正常を撃つ。それがここでのミラーの姿勢だろう。そのことは、以下で見る後続の段落でも一貫している。その流れに従うなら、上の段落の意味は、「もし諸君が中国人だとしたら、精神が強靭で忍耐強いだけなのに、ここ西洋では残酷で薄情な人物と思われている」であるべきで、大久保訳はそのようになっている。
無意識のうちに行なわれた直感的誤訳か、それとも意図的誤訳かは別として、以下ではこの誤訳を含む大久保訳に拠って話を進めたい。むしろそうすることで、以後の『南回帰線』の文脈と矛盾なくつながる。

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急いで付け加えておかなければならない。
じつは上の段落には、意味が逆になってしまう重大な誤訳がある。「もし諸君が、たまたまそのどちらかの人種に属していたとしたら」とあるのがそれで、原文は次の通り。

If it happens that you are neither of these...

正しく訳すなら、「もし諸君が、そのどちらでもないとしたら」である。後発の訳書3点を調べたが、いずれもこの意味に訳している。上の大久保訳が誤訳であることは間違いないだろう。
このことをどう考えるか。

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ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』の中国人のイメージはヘンリー・ミラー由来であること。

《長いあいだ奈落のふちで体のバランスをとりつづけていると、ついにはそれに熟練してくる。どっちへ押されても、しゃんと立っていられるようになる。こうして、恒常的な均衡状態のなかにいると、おそろしく陽気になる。いわば不自然な明朗快活さを身につけるようになるのだ。現在の世界には、以上の論旨をよく理解してくいる人種が、二つある――ユダヤ人と中国人である。もし諸君が、たまたまそのどちらかの人種に属していたとしたら、諸君は、たぶん奇妙な窮地におちいることがあるにちがいない。諸君は、いつもおかしくないときに笑うくせがある。そのために、諸君は、実際は忍耐強く神経が太いだけにすぎないのだが、非常に残酷な薄情な人間であるかのように思われてしまうのである。》――大久保康雄訳『南回帰線』

やや意味を取りにくいが、「諸君(you)」が何を指すかを考えたい。この語は「人は」とか「誰でも」とも訳せるが、この文脈での具体像を絞れば、英語圏ないし欧米言語圏の人物ということになろう。そう考えた場合、この段落の意味は「欧米で暮らすユダヤ人や中国人は、人格を誤解されざるを得ない」となる。

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ハッシュタグの問題
docs.joinmastodon.org/ja/user/

中黒の使えないのがつらい。
ヘンリー・ミラーの場合、自分の記事を検索するだけなら「」で足りるが、公的なものだとすると他の人名に広く一致してしまうし、鏡にも一致。
アンダーバーは使いたくない。
残るのは「」「」あたりか。

ひきつづきミラー『暗い春』から

あてもなく雨のなかを歩いているうちに、かつて何度も夢で見た街に出て、それがいま現に自分の歩いている街なのだ、ということがある。
ある日、そんな街で男が舗道に倒れていた、両腕を広げ、ちょうど十字架からおろされたところといった格好で。
ふいに男を囲んだ人の群から嵐のような笑い。
私が人をかきわけて前に出ると、犬がうれしそうに尻尾を振っている。男のズボンの前が開いていて、犬はそこに鼻を突っ込んでいた。

別の日の同じ場所、肉屋の前の通りに男が倒れていた。
近寄って見ると、前と同じ男だった。ズボンのボタンははめてあり、そして死んでいた。
男の死骸のほかに人影はない。人声も嵐のような笑い声もない。
だが、夢ではなかった。ならば、私は気が違ったのか。

両手を広げて肉屋の前で倒れていた男は、この私ではなかったか。
私は自分が訪れた先で、いつも死骸をひとつ残してきた。
そのたびに私はかがみ込んで、私が置き去りにしようとしているものが、私の自我であることを確かめた。
私は同じことを繰り返して生きてきた。いまも繰り返している。
雨が降り出すなかを、あてもなく歩きはじめると、旅の途中で脱ぎ捨ててきた自我のすれあう音が聞こえてきて、さて私は、これから先どうなるのだろう。――

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ヘンリー・ミラー『暗い春』にもどる。

ひきつづき私ミラーはパリにいる。
毎晩、ラ・フルシュに通う道でひどい目にあう。
頭の皮を剥ぎ取られ、斧を打ち込まれる。
家に帰ると、血を洗い流して、大いびきで眠り込む。かくして私は、身体と魂の安泰を保つ。

私の住んでいる家が、現在、取り壊し中。
外壁が剥がされ、皮を剥ぎ取られた人体にそっくり。その恐ろしい感じがいい。
家の内部がさらされればさらされるほど、私はこの家が好きになる。

幌無しの馬車を雇ってブロードウェイを走らせたことがある。秋の午後、自分の生まれた街を馬車で通り抜けたのだ。
四十二番街まできたとき、私は所持していたピストルを打ちはじめた。
左右に打ちまくったが、人の群は減らない。
生きた者は死んだ者を笑顔で乗り越えていった、白い歯を見せびらかして。
アメリカは貧乏人に笑顔を向ける。笑顔に金はかからない。
笑顔をやってろ、糞ったれども。

地図の上で私はパリにいる。暦の上では今は20世紀の30年代。
だが私はパリにいるのでもなく、今は20世紀でもない。
私は中国にいて、中国語で話す。
荷船で揚子江を遡っているところだ。
食物はアメリカの砲艦が捨てたごみを拾い集めている。

作者による結語

《ルイーズ・メニャンが首を絞められて死んだ瞬間、六万七千余の姉妹たちも首に手をあてながら、幸福そうな微笑をうかべて最後の息をひきとった。そのうちのある者たち――バーベリ夫人やスミスソン夫人のような――は、ぜいたくな墓場に眠り、他の者たちは時間がたてばすぐに消えてしまいそうな、ただ土を盛りあげただけの簡単な墓の下に眠っている。サビーヌはモンマルトルのサン・ヴァン街の小さな墓地に埋葬され、彼女の友だちが時々墓参りにやってきた。人々は思うだろう――彼女はいま天国にいるのだと、そして最後の審判の日に、彼女と六万七千の姉妹たちは生き蘇るだろうと……。》――中村真一郎訳「サビーヌたち」

サビーヌの分身たちが幸福に死んだらしく書かれている。作者の皮肉なのか。それとも、彼女らの幸運を信じて書いたのか。
謎めいた締めくくりだが、これについてはミラーの『暗い春』と対照させて考える。

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分身の総数が6万7千に達した時点で破綻が訪れる。
サビーヌは自分の浮気のためにつくった分身ルイーズ・メニャンに、夫を裏切った責を負わせ(たしかに浮気の当事者はサビーヌではなく、ルイーズなのだが)、貧民街の掘立小屋に追放する。
ゴリラにたとえられる毛むくじゃらの大男が掘立小屋に押し入ってルイーズを犯す。この出来事は、他のサビーヌの分身たちをも打ちのめした。分身たちは身体こそ別々だったが、心はたがいにつながっていたので。
大男は毎週小屋をおとずれて、そのたびに2日間にわたってルイーズを犯す。そのなかで、物語をしめくくるにふさわしい、ある和解がおとずれようとするが、ルイーズがゴリラ男に絞め殺されてその機会は失われる。

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サビーヌの分身たちは、サビーヌ本人と同じように自分の分身をつくることができ、恋や浮気や結婚、あるいは他の事情でさかんに分身をつくるものもあり、分身の数は急速に増えていった。
なかでもサビーヌの直接の分身で、スペインの探検家と結婚したロザリーは、宗教的な問題でパプアの原住民に夫を食われてしまうと、世界中で愛人をつくりはじめた。船乗り数名、農園主数名、海賊数名、役人数名、カウボーイ数名、チェスのチャンピオン1名、そのほか運動選手から医師、弁護士まで、若くは高校生まで含めて愛人のリストは広がり、ロザリーにはじまる分身は3カ月で990人に達し、さらに6カ月後には1万8千に達した。

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サビーヌの場合

サビーヌはマルセル・エイメ「サビーヌたち」(短編集『壁抜け男』所収)の主人公。
彼女の夫は、彼女が食堂の肘掛け椅子でくつろぎ、微笑を浮かべている姿を見るのが好きだった。だがそんなとき、抱きしめてやろうと彼女に近づいたりすると、彼女はいらだたしげに身を離してしまうのだった。

じつはサビーヌには同時存在の能力があり、自分とそっくりの分身を幾人でもつくることができた。彼女が自宅の椅子で幸せそうな笑みを浮かべているとき、彼女の分身は画家志望の若者のアトリエで甘い言葉をささやかれている最中だったり、あるいは別の分身がカサブランカのホテルで美男の憲兵隊長と食事をしているところだったりする。

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私はビールを飲みながら涙を流す。
解放感で泣いている。
つらくて泣いているのではない。

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引き続き「中国彷徨」から。

《午後、ラ・フルシュに腰を下ろして、私は静かに自問する、「ここからどこへ行こうか」と。日が暮れる前に、私は月まで行って帰ってきてるかもしれない。ここ、分岐点にすわって、私のすべての自我、どれも不滅であるそれらを私は思い返す。私はビールを飲みながら涙を流す。夜、クリシーに歩いてもどって行くときも気分は同じだ。ラ・フルシュに来るたびに、私の足元から果てのない道が放射状に広がり、私という存在に住みついた無数の自我が歩き出すのが見える。私はそれらの自我と腕を組み合い、かつては私が独りで歩いた道、すなわち生と死の強迫観念に憑かれた道をともに歩く。私はこれら自分が作り出した仲間たちと多くを話す。かりに私が、不運にも一度しか生と死を経験できず、永遠に孤独になってしまったとしたら、自分自身に語りかけることになるだろうほどにである。今、私は決して独りではない。 最悪の場合でも、私は神とともにいる! 》

私は独りではない、今は。
私には無数の自我がある。私が何度も死に、何度も生まれてきたからである。
私はそれらの自我と手を組み合って、かつては独りで恐れつつ歩いた道を、言葉をかわしながら行く。

無数の自我とあるのが、エイメの「サビーヌたち」を思わせる。

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ヘンリー・ミラーの連作『暗い春(Black Spring)』のうち「中国彷徨(Walking Up and Down in China)」から。

《パリの内であろうとパリの外であろうと、パリを去ろうとパリに帰ってこようと、そこは常にパリであり、パリはフランスであり、フランスは中国なのだ。(……)
私は旅行者でも冒険家でもない。出口を探しているあいだに、さまざまなことが起こった。光と水を求めて地の底を掘り進み、先の見えないトンネルで動きづめだった。アメリカ大陸の人間である私には、人が自分自身でいられるような場所がこの地上にあろうとは、信じられないでいた。私はやむを得ず中国人になった、自分の国にいながら中国人に! 居場所のない生き方に耐えるため、私はアヘンの代わりに夢に行き着いた。》

どこを引用してきても可だが、まずは冒頭から。
私はすでに中国人である。
以後、私は中国人としてパリで暮らし、万里の長城のうちを巡り、ときには生まれ育ったブルックリン第14地区を歩いていたりするが、いまはパリ、その名も「岐路」のラ・フルシュにいる。

ついでドゥルーズは、ふたたび「ブラック・ホール」を持ち出し、この語の頻出するヘンリー・ミラー『南回帰線』からの長めの引用を経て、「中国人なら」に至る。

《壁を通り抜けること。たぶん中国人ならできる。しかしどんなふうに。動物になること、花または岩になること、さらにまた、不思議な知覚しえぬものになること、愛することと一体の硬質になることによって。》

なぜ、「壁を通り抜けること、たぶん中国人ならできる」のか。
その答えが、上の「動物になること」以下。
では、なぜ、「動物になること」以下が答えだと言えるのか。
その答えは、ミラーがそのように書いたからであり、ミラー自身が中国人として壁抜けを果たしたかのようだから。

つづきは、ミラーに添って考えたい。

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ついでドゥルーズは、「英米小説はまったく違う」として、次のようにつづける。

《トマス・ハーディからロレンス、メルヴィルからミラーにいたるまでいつもひしめいている問い、横断すること、脱出すること、逃れ去ること、点ではなく線を作ること。分離の線を発見すること、裏切りになるほどにその線を追うこと、その線を作り出すこと。そのため彼らは、旅と、旅の仕方と、東洋、南アフリカといった他の文明と、さらには麻薬や、動かずにその場で行なわれる旅の数々とも、フランス人の場合とはまったく異なる関係をもっている。》

ここでまた、「線」がドゥルーズ用語。「逃走線」として使われることもある。たんなる静的な線ではなく、方向性を持ち、さらにアクションまで併せ持った動的な線。目下の課題に即して言い直せば、「壁抜けの意志と行動」といったところか。フランス小説に欠けるそのような指向が、英米小説にはあるとドゥルーズは見ている。

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なぜ中国人か。
フェリックス・ガタリとの共著『千のプラトー』の該当箇所(河出文庫版、中巻)から理路を抜き出すと、まずフランス小説の限界をドゥルーズは指摘する。

《どのようにしてブラック・ホールから抜け出るか、どのように壁を突きぬけるか、どのように顔を解体するか、フランス小説の資質がどんなにすぐれているとしても、フランス小説の関心はここにはない。それは壁を測量し、建設しさえすること、ブラック・ホールを探り、顔を構成することに専念し過ぎているのだ。》

ここにある「ブラック・ホール」や「顔」は、ドゥルーズが独自の意味・役割を与えたドゥルーズ用語。他の論者なら「壁」の喩えで済ますところだろうから、ここではこだわらない。フランス小説が壁をつくることに専念しているとの指摘は、エイメの「壁抜け男」を考えればうなずける。結局のところ壁は障害物だったのであり、主人公は壁を通り抜けることができずに終わった。同様のことがロシア産の「スポーツ」についても言える。

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「壁を通り抜けること。たぶん中国人ならできる。」――とジル・ドゥルーズが言っている。
ドゥルーズは20世紀後半から現在に至る哲学の世界で最も広く知られ、読まれ、論じられた人物。それほどの著名人が「中国人なら壁を通り抜けられる」と言う。「ヨーロッパの壁抜け譚は中国渡来」とする仮説にとって、強力な後押しではないか。

なぜ中国人か。なぜ中国人なら壁を通り抜けられるのか。

「スポーツマン」は2ページに足りない掌篇とのこと。
粗筋は次の論文によった。
小澤裕之「壁を抜ける、壁を作る――オベリウ派ウラジーミロフとハルムスの創作について」
repository.dl.itc.u-tokyo.ac.j

作者のユーリー・ウラジーミロフは、ロシアの前衛的文学集団オベリウ派に所属。
オベリウ派については、こちらに短い記事あり。
ja.wikipedia.org/wiki/ダニイル・ハルム

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レニングラードの壁抜け男

ユーリー・ウラジーミロフ(1909-1931)の短編小説『スポーツマン』(1929?)の主人公イワン・セルゲーエヴィチは、壁をすり抜ける能力を持っている。
小説の前半は、その特殊能力によって主人公が社会的成功を収めていく過程。後半は一転して、不運の連続。その折り返し点に置かれているのが、見知らぬ郵便配達人と居酒屋でかわした次の会話。

「うかがいたいのですが」と郵便配達人。「あなたは何ができますか? 何のためにこの世に生きていますか?」
「私はね」とイワン・セルゲーエヴィチ。「壁を通り抜けることができます」
「なるほど」と郵便配達人。「分かりました。でもそれは問題の科学的な解決ではありませんね。純然たる偶然です」

これ以後、つぎつぎと降りかかる災難。
帰宅したイワン・セルゲーエヴィチが妻に「人生の目的はどこにあるのだろう」と問うた直後、屋根から落下したトタン板が妻の耳を削いでしまう。これが第一の災難。なおも問題を考えつづけた彼が、ようやく「人生の目的」を「どうだっていい」と退けたとき、すでに妻は事切れている。
その後も彼は壁抜けを続けるが、失敗ばかり重なって、ついには――

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