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ヘンリー・ミラー『暗い春』にもどる。

ひきつづき私ミラーはパリにいる。
毎晩、ラ・フルシュに通う道でひどい目にあう。
頭の皮を剥ぎ取られ、斧を打ち込まれる。
家に帰ると、血を洗い流して、大いびきで眠り込む。かくして私は、身体と魂の安泰を保つ。

私の住んでいる家が、現在、取り壊し中。
外壁が剥がされ、皮を剥ぎ取られた人体にそっくり。その恐ろしい感じがいい。
家の内部がさらされればさらされるほど、私はこの家が好きになる。

幌無しの馬車を雇ってブロードウェイを走らせたことがある。秋の午後、自分の生まれた街を馬車で通り抜けたのだ。
四十二番街まできたとき、私は所持していたピストルを打ちはじめた。
左右に打ちまくったが、人の群は減らない。
生きた者は死んだ者を笑顔で乗り越えていった、白い歯を見せびらかして。
アメリカは貧乏人に笑顔を向ける。笑顔に金はかからない。
笑顔をやってろ、糞ったれども。

地図の上で私はパリにいる。暦の上では今は20世紀の30年代。
だが私はパリにいるのでもなく、今は20世紀でもない。
私は中国にいて、中国語で話す。
荷船で揚子江を遡っているところだ。
食物はアメリカの砲艦が捨てたごみを拾い集めている。

ひきつづきミラー『暗い春』から

あてもなく雨のなかを歩いているうちに、かつて何度も夢で見た街に出て、それがいま現に自分の歩いている街なのだ、ということがある。
ある日、そんな街で男が舗道に倒れていた、両腕を広げ、ちょうど十字架からおろされたところといった格好で。
ふいに男を囲んだ人の群から嵐のような笑い。
私が人をかきわけて前に出ると、犬がうれしそうに尻尾を振っている。男のズボンの前が開いていて、犬はそこに鼻を突っ込んでいた。

別の日の同じ場所、肉屋の前の通りに男が倒れていた。
近寄って見ると、前と同じ男だった。ズボンのボタンははめてあり、そして死んでいた。
男の死骸のほかに人影はない。人声も嵐のような笑い声もない。
だが、夢ではなかった。ならば、私は気が違ったのか。

両手を広げて肉屋の前で倒れていた男は、この私ではなかったか。
私は自分が訪れた先で、いつも死骸をひとつ残してきた。
そのたびに私はかがみ込んで、私が置き去りにしようとしているものが、私の自我であることを確かめた。
私は同じことを繰り返して生きてきた。いまも繰り返している。
雨が降り出すなかを、あてもなく歩きはじめると、旅の途中で脱ぎ捨ててきた自我のすれあう音が聞こえてきて、さて私は、これから先どうなるのだろう。――

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