ヘンリー・ミラーの連作『暗い春(Black Spring)』のうち「中国彷徨(Walking Up and Down in China)」から。
《パリの内であろうとパリの外であろうと、パリを去ろうとパリに帰ってこようと、そこは常にパリであり、パリはフランスであり、フランスは中国なのだ。(……)
私は旅行者でも冒険家でもない。出口を探しているあいだに、さまざまなことが起こった。光と水を求めて地の底を掘り進み、先の見えないトンネルで動きづめだった。アメリカ大陸の人間である私には、人が自分自身でいられるような場所がこの地上にあろうとは、信じられないでいた。私はやむを得ず中国人になった、自分の国にいながら中国人に! 居場所のない生き方に耐えるため、私はアヘンの代わりに夢に行き着いた。》
どこを引用してきても可だが、まずは冒頭から。
私はすでに中国人である。
以後、私は中国人としてパリで暮らし、万里の長城のうちを巡り、ときには生まれ育ったブルックリン第14地区を歩いていたりするが、いまはパリ、その名も「岐路」のラ・フルシュにいる。
私はビールを飲みながら涙を流す。
解放感で泣いている。
つらくて泣いているのではない。