「農耕以来、ホモ・サピエンスは栽培植物と飼育動物の知識を第一とし、それ以外の周囲の生命をすべて害虫獣と雑草として区分した。有用かどうかを基準にする世界観は、人の評価にも拡張され、人を有用か無用かで分類するようになった。こうして、ホモ・サピエンスは「現代人」となり、みずからの回りの世界を単一の心の色に染めはじめたのである。それは、「現代人」の魂を痩せ細らせる道だった。このやせ細った魂たちが、現代人の社会構造の特徴である階級社会を形成し、「文明化」を起こした。そこでは、支配と被支配を永続化しようとする悪辣なたくらみが日常となり、富の蓄積とその配分の不公平、富の防衛のための戦争と憎悪の拡大が毎日の仕事となり、現代人たちのお互いの関係は悪意に満ちたものになった。」(島泰三『ヒト 異端のサルの1億年』中公新書2016年)

「だが、その終末はまさに決定的である故に、後の空白はどのようにも塡められるはずだ、どのようにも塡められねばならぬという、気がかりに満ちた強迫観念に似た思いを、営みの無効を告げられてもやはり生きて行くよりほかない人間の心から誘いだす。それはベンヤミンが、ゲオルゲの詩の印象と分かちがたく結びついているという、自殺した女友達の謎めいた身ぶりに通じるので、彼女の死によって永遠に解けぬままに終わったその謎が、まさしく解かれ得ぬ故に、解きたいと願う気持ちをいつまでも抱き続けさせるのと同じことなのである。」(川村二郎『アレゴリーの織物』講談社文芸文庫2012年,pp350-51)

「人間とは、何者かの中心が空虚であり、それが隠蔽されているとき、その周囲に豊かな幻想の花を見ずにはいられない存在なのです。」(斎藤環『イルカと否定神学』医学書院2024年、p.61)

貨幣は、協働であった労働を分業として個人のものとして所有・保存し交換できるものにしてくれる。農耕牧畜から始まった言葉の新しい使い方と貨幣こそが現代人の心を作りだし、症状としての「病」を生み出してきたものだ。さて、それではそのようなものとして貨幣をなくすることはできるのだろうか。 x.com/berayung/statu…

「ロシア革命以降のあらゆる革命は貨幣廃棄をめざしていたはずだが、破棄の可能性の条件いかんに関する問いをマルクスのようにつきつめることはしなかったし、そしてついにはその重要な問いを忘れてしまった。革命を経たはずのいわゆる「社会主義社会」なるもののなかには、現実に、貨幣は破棄されるどころか、頑固に存続しているし、それどころか資本も商品も存続している。カンボジアの貨幣廃棄の実験は、無残なまでの大量虐殺を引きおこしてしまった。貨幣形式への無知をあまくみるとこうなる。貨幣形式は暴力の痕跡である。(今村仁司『貨幣とはなんだろうか』ちくま新書1994年、p231)

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 しかし、21世紀になって東大教授が人種主義と分離不可能な骨相学的言説をなぞるとは、ある意味「ぶっとんでいる」。
 さすが、福田和也を評価しているだけのことはある。福田はゴビノーからドリュ・ラ・ロシェルに至る仏極右の「文学的」伝統を「背負っている」などと自称していた。

 ところで、この骨相学、20世紀に入って、文化人類学でも形質人類学でも完全に否定された。1980年代に人類学の講義に出れば、最初に言及される。

 ただし、この種の「疑似」科学」的な人種主義、現在はDNA理論によって再び活性化している。何と言ってもこの分野の創始者の一人、J.ワトソンは「骨の髄からの」レイシスト、セクシストであり「遺伝的に黒人と女性は白人男性に能力で劣る」と主張し続けて、ついに失脚した。

 しかしR.ドーキンス的な遺伝決定論は英語圏で強い影響力を持ち、S.グールドやド・ヴァ―ルは長くこれと闘った。

 スパルタカス君に関しては、とりあえずグールドの『人間のはかり間違い』(河出書房文庫・上下)を読むことを勧める。

 いずれにしても現在の「疑似」科学的言説の主流は脳科学とAIになった。

 東・浅田的言説の特徴は「テクノロジー万能論」。これに日本のSF業界の「ミソジニー」爆発が折り重なるから手が付けられない。
 

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gom_nori2 さんがブースト

 「骨相学」というと、現在の日本では「観相」程度の、ごくたわいのないものと受け取られがちです。

 しかし19世紀には「骨相学」は「科学」としての権威をドイツを中心としてかなりもっていました。夏目漱石やアインシュタインの脳がホルマリン漬けにされているのも、その流れです。

 この当時、骨相学は人種主義・優生学と結びついて多分野や国家政策に大きな影響を及ぼしていた。例えばロンブローゾの「犯罪生物学」など。

 ちなみに日本人をはじめとしたモンゴロイドは「倫理的に劣り、模倣するしか能はなく、独自性」がない、とされた。

 これ、現在の脳科学の用語に翻訳すると、中野信子の「アジア系の80%は主体的に思考できないことが脳科学的に証明されている」の発言になる。

 また優生学はフランスを除く全ての(勿論日本も)近代国家が断種政策を行う際の科学的正当化として機能した。

 つまり国家が福祉へと資源投入するからには、それは「リターン」と結びついた個体が選別されるべき、という発想である。

 こうした優性思想に基づいた選択的福祉政策の再前景化も新自由主義局面の特徴である。

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 仏国民議会選の大敗を受け、アタル首相は失業手当の削減の停止を発表。

 18-24歳の投票先は新人民戦線が48%、ルペン派33%、マクロン派9%です。

 さて、ここで7日までに新人民戦線とマクロン中道が統一候補にこぎつければ、過半数を上回る可能性が高まります。

 ところが、マクロン派のアタル首相は「統一」を呼びかけているものの、マクロンはルペン派のバルデラ首相指名の「用意」を表明して、支持者のみならず党からも猛反発され、現在、「もやもや」しながらの「統一」支持となっている。要するに「不透明な」状態が続いいている訳だ。

 実際、マクロンをはじめウルトラ新自由主義を進めてきた政治エリートからすれば、「外向きに吠えてはいる」が「政策では新自由主義」のルペンの方が、メランションより「まし」なのである。

 いずれにしてもマクロン与党、解散前から激減して第三党への転落は避けられない。

 ここでフランスの政治文化の
「反ファシズム」統一戦線の伝統が優るのか、あるいは「服従しない左派」を排除したい政治エリートの思惑が功を奏するのか?

 劇的なデッドヒートが7日まで続きます。

「人間が世界と一つに結ばれていた根源の場にあっては、内部(魂)を外部(肉体)に托したり外部を内面化したりする比喩の二重性は存在しなかったのであり、逆にいえば、その種の比喩は人間と世界の分裂のしるしにほかならない。「すべての言語は、精神的な関連にかんがみて、色褪せた暗喩の辞書にすぎない」とジャン・パウルがいう時、彼は明らかに、世界の大いなる統一の失われた後の、比喩としての言語の宿命を嘆いている。」(川村二郎『アレゴリーの織物』講談社文芸文庫2012年、p.61)

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さて、仏では前大統領F.オランドが国民議会選挙に「新しい人民戦線」の一候補として参加することを表明。

 これがよっぽど悔しかったか、国末氏は、メランションの「ソ連独裁型権謀術数に利用されている」と非難。

 しかし、オランドは元来マクロンを取り立てた大統領であり、元妻のセゴレーヌ・ロワイヤルとともに、社会党のネオリベラル化の中心にいた人物。

 むしろ「人民戦線」勝利に備えた仏政治エリートの保険、と見るべきだろう。

 国末氏や盟友の東大教授遠藤乾氏は、なにがなんでも「新自由主義」という概念を拒否し、ひたすら左右の「過激派の台頭」と唱え続けた骨の髄からのマクロン主義者。

 現在の仏の状況も極右の分派などを詳しく報道してみせているが、これは大勢からみて完全にネグリジブル。従って、現状報告としても失格である。

 しかし国末氏の引用で驚くのは、細谷雄一、鈴木一人、池内恵、岩間陽子、鶴岡路人、と提灯系の「国際政治学者」がほぼ一つながりなこと。

 これはいくらでなんでもマズイだろう。

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連合東京は、蓮舫氏が都知事選に出馬表明するや否や、小池支持を表明。まだ小池氏は立候補表明していないのだけれども。

ところで、連合は何故ここまで共産排除にこだわるのか?

労働界でのヘゲモニー闘争という点で言えば、連合の中心である、重工、電力、鉄鋼、金属は、70年前から完全に共産党系は排除されている。

むしろ連合の主力組合の目的は、長らく憲法改正にある。

というのも、三菱重工・電気、川崎重工、IHI、日本製鉄などは軍需産業が拡大すればするほど有利。従って、同盟ー民社党時代から、自民党よりもむしろ憲法9条改正、再軍備に積極的だった。

現在、米国の軍事費倍増によってこの部門の見通しには「輝く光」がさしている。このことによって、従業員のベアも近年ない上げ幅を示した。ちなみに日本の民間労組は企業別組合であるため、「労働者」よりも「三菱一家」のアイデンティティの方が強い。

これに加えて電力労組にとっては原発再稼働が至上命題。連合東京は東電労組のヘゲモニー下にある。

とは言え、このような「労働貴族」に分類できる人口は2-4%。

一応「カネと組織」はあるが、一般市民を動員するには力不足。

そこでメディア動員がかけられているのが現状だろう。

ただ、それでも、まだ小池側には大いなる不安要因はある。 

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さて、公党の党首でありながら、戦争の「お準備」はしていません、などと「ひろゆき」なみの冷笑スタイルを披露した玉木氏。

 しかし、玉木はちゃんと改憲議論として「いついかなる時に日本国民は血を流す覚悟ができるか」と発言している。これはれっきとした戦争の「準備」である。

 実際、何度も書いたが、連合の前身である同盟は民社党とともに自民党以上に改憲・再軍備を求めてきた。(ちなみに名古屋市長・日本保守党の河村も民社系)。

 ところで、津田氏は例の辻田某という「大東亜戦争」男と対談。蓮舫の年齢に言及しながら「計算」をしてみせている。

 辻田を歴史家と考えるプロはいないが、何故か「朝日」のコメント+で戯言を書いている。

 いずれにせよ、先週の「共産党は癌」的な発言、蓮舫出馬を妨害する意図であったことはほぼ確実なようだ。
 何故か連合会長は今日、「共産党との対話不可能性」を蓮舫に伝えた、と云ふ。

 それにしても東、三浦、呉座、辻田、津田とゲンロン系の人間、「朝日」文化部は本当に好きである。

 津田氏はこのプラットフォームの中で相対的に「文化リベラル」(ただし誰でも言えること)の役を演じてきたが、ここぞと言う時に立憲と共産の共闘を破壊してくれ、ということだろう。

 それだけ、「彼ら」も必死だと言うこと。 [参照]

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コンサルというのがいったい何をしている人たちなのか私にはイマイチ分からないのですが、
「いらない(と自分がみなした)ものを排除」するための指示を
上から出すひとたちなのだろうなぁと思っています。

茂木敏充・自民党幹事長は元コンサルなんですね。

ほかにパッと思いつくのは、大阪維新の顧問・上山信一氏です。

政治家やその周りにいる元コンサルという人、最近多いですね。

コンサル・広告代理店といったひとたちによる支配が「当たり前」になりすぎて、いろんなものが失われ続けている気がします。
(国の省庁でこれらに近い価値観をもつのが経産省ではないでしょうか)。

ちなみに、イスラエルのネタニヤフ首相も、米国の大学を卒業後、コンサル会社に勤めていた、「元コンサル」です。

「大震災後の仏教者の支援活動に関して、浄土真宗において問題とされたのは、社会活動は他力念仏に背く自力の諸行にならないかということであった。‥‥もし社会的活動が認められるべきものであるならば、それは教理的に裏付けられなければならない。」(末木文美士『日本の近代仏教』講談社学術文庫2022年、pp.170-71)

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俳句は短いから、差別にも加担できるし、愛国にも加担できます。短さゆえの言えなさは、むしろ、差別や権力に利する表現になり得ます。
用心、用心。
575は覚えやすいがために、内容を無批判にするっと受け入れがちになります。

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 自衛隊の公式Xが先の大戦を「大東亜戦争」と表現・発信したことが報道されている。

 今の自衛隊の意識では「さもありなん」という感じではある。

 しかしより問題なのは、それを報道する「朝日」の記事で、「コメント・プラス」の欄で辻田真佐憲という人が「「大東亜戦争」と使ったから即アウトみたいな機械的な反応はそろそろやめたほうがいいのではないでしょうか」などと戯言を述べ立てていること。

 続けて「ポリコレ的にはアジア・太平洋戦争と言った方がよい」などとアリバイを提出してみせているが、この「ポリコレ」的という表現がそもそも間違いである。

 正確には「学術的・国際的にはアジア・太平洋戦争」が正しい。今頃「大東亜戦争」などと言っていては、アジア諸国だけではなく、世界中から相手にされないだろう。

 ただし、このコメントは「ポリコレ的に正しいこと」=「機械的な思考」、そしてそれを相対化する「俺偉い」という効果に眼目がある。またこれに高学歴の「アホ」達の自意識が同期する仕組みである。

 というのも、日本の中等教育では普通「アジア・太平洋戦争」。つまり半可通のインテリ気取りの「上から目線」。

 この辻田という人、どうも東浩紀のメディアで「講義」をしている男らしい。朝日はほんとうに東系の人間が好きである。

 

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 14-16世紀の所謂「ルネサンス」期において、ネーデルランドはフィレンツェなどの北イタリアと並ぶ文化の中心地。

 ルネサンス期の特徴である(哲学者ではなく)文献学者はと言えば、最初に上がるエラスムスはロッテルダム出身、バーゼルで死去。「ユートピア」のトマス・モアはネーデルランド大使としてエラスムスと親交を結ぶが、最後はヘンリー8世の離婚に反対して処刑。

 「ユートピア」で出てくる「羊がヒトを食べる」エピソードはイングランドが当時、ネーデルランドの毛織物産業の原料である羊毛を供給地であったことを示す。領主達は羊の放牧地の確保のために小農民を土地から追い出した(所謂第一次囲い込み)。

 この北方の人文主義者達は、フィレンツェのフィチーノやピコ・デラ・ピランデルラのネオ・プラトン主義に多いに影響を受けた。

 人文主義者はカトリック内部での改革を志向していたが、ルター、さらにカルヴァンが出るに及び、宗教対立は決定的となり、ユマニスムの目指した「調和」の世界はマニエリスムへと滑り落ちていく。ネーデルランドではヒエロニムス・ボスの祭壇画などがこの「不安の時代」を象徴するとも言えるだろう。

 フーコーは『狂気の歴史』では、「大いなる監禁」のエピステーメーの「以前」として、ボスの絵画に長々と言及している。

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 「大東亜戦争」で話題になった自衛隊、現在陸軍14万、海軍4万、空軍4万、総計23万人弱のかなり大規模なー最大の公務員組織。

 勿論「違憲」の組織であるが、海外(国際法上)日本軍Japnanese armyとして扱われる。

 これは財政上かなりの負担になっていることを意味する。しかも創設以来事実上、何の役にも立っていない。これで5年で軍事費倍増となると、国家予算上社会保障費に次ぐ規模となり、世界で第三位になり、壮大な「無駄」となる。

 また、海洋国家である日本で、なぜ陸軍が14万も必要なのか?また専守防衛という建前、そして現在の軍事技術を考えると、戦車団などは無用の長物である。

 元来自衛隊は、占領中の在日米軍が朝鮮戦争へ出動するための国内治安代替え用に創設されたが、この時の米軍は八個師団、約8万人である。そこから見てもかなり膨張している。

 ここからさらに軍事費倍増となると現在の日本社会が財政的に支えられる規模をはるかに上回り、文教・社会保障削減は避けられない。

 私の主張は、自衛隊を非武装化・縮小して災害レスキュー隊に改組すること。レスキュー隊に必要な訓練はハードではあるが、軍隊とは全く別物。またミサイルなどの装備も必要ない。この組織を国内外の災害に際して迅速に運用すればいいのである。

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 東大出版会から刊行された『女性/ジェンダー』、著者の水溜真由美さんからご恵投いただきました。

 水溜さんは、日本近現代思想史専攻で森崎和江研究の第一人者。現在北海道大学教授。

 他にも石牟礼道子、堀田善衛など数多くの作家・思想家に関する研究・著作があります。

 今度の出版会の本は、女性/ジェンダーに関する、近代日本のテクスト、例えば与謝野晶子、平塚雷鳥、高群逸枝、そして山川菊枝。また田村俊子、湯浅芳子、松田解子、さらに田中美津、松井やよりなどのテクストを4つのテーマに分けて収録、それに現代的視点から解説をつけたものです。

 また上野千鶴子さんの世代に典型的な「第一波/第二波フェミズム」という進歩・段階史観を脱構築している点でも画期的、と言えるでしょう。

 このテーマに関心がおありの方は、是非お読みください。 

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 1990年代位から欧米で大騒ぎするようになった「イスラム原理主義」、元はと言えば、イラン、イラク、エジプトという大国の近代化を米英が強引に覆したことに拠る。

 イランは、WWII中米英とソ連が共同占領。戦後はアングロイラニアン石油(現BP)が利権を独占。これを1951年世俗民族主義者のモザデクが国有化すると、MI6とCIAはお馴染みの連携プレーでこれを1953年に打倒。

 王政が78年にフーコーが「一般意志が地上に舞い降りた」と呼んだ革命によって打倒されると、米国はこれを敵視。イラン・イラク戦争ではフセインを支持した。

 この戦争体制によって、イラン革命支持層の中の立憲近代派、共産党は一掃された。

 中東最大の共産党と言われたイラク共産党はフセインのバース党によってすでに粛清。
 また米国の援助で巨大になり過ぎたイラクは2度の湾岸戦争で崩壊。あとにはスンニ派ジハーディストとISILが残された。

 エジプトは1979年にイスラエルと国交を結び、パレスティナを「見捨てた」。また79年はエジプトの新自由主義が本格的に起動。

 その矛盾が2011年のアラブの春となって表れたが、軍部は選挙で選ばれたムスリム同胞団政権をクーデターで倒し、シシを大統領に。これでは米ーイスラエル枢軸に対抗すべくもない。

gom_nori2 さんがブースト
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