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こういうこと平気でする人間から好かれてるっぽいイーストウッドがどんどん苦手になる……私の人生ワースト映画は『ミリオンダラー・ベイビー』なので……ワーストと言っても見てよかった映画ではあるんだけど、なんか時々映画見てて「あっ今この描写のおかげでミリオンダラー・ベイビーの呪いから解き放たれた!」って思って嬉しい瞬間がある、そういう映画だった。

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さえぼう先生の『ダーティ・ハリー』の件で、ついったで「ニューシネマファンだけじゃなくてマカロニファンも敵に回した」とか書いてるすげえ奴いるな、映画一本批判しただけでジャンル全体敵に回すとかとんでもないアレだなと思ってたら読もうかどうしようか迷ってたヨコハマメリーの本の著者だった。わー絶対よまねー!須藤にわかはセルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウェスタン』についてブログでなんで再上映されるかわからないつまらないって書いてますけどそれについてはチェックしてないんだろうな、そっちのほうもなんか批判しろよ。著名で明快に物を言う女性に対する反感キッツイ。相手を嘲ったり当てこすったり嘘つき呼ばわりしたりしなけりゃいいだけの話でさえぼう先生はそういうこと一切してないじゃん。業界人同士のかばい合いも醜い。本当に嫌だ。

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今の40代前半から50代前半までは就職氷河期世代で、50代後半がバブル世代だよ。そこを間違われると氷河期世代としてはムキにならざるを得ないよ。

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 欧米における「ローマ」の亡霊

 中世以降(10世紀以降)、商業の復活と国家機構の整備に伴ってローマ法が「再発見」、時代・地域に応じて加工・変形しながら現代に至ることは以前投稿しました。こと法特に民法典に関しては、日本は独・仏・米の「雑種」ですから、この系譜に無縁ではありません。

 ところで、ローマと一口に言っても歴史は長い。キケロが生きたBC1世紀とユスティニアヌス帝の6世紀では500年の差がある。

 ドイツにとってもローマとはユスティニアヌスのローマ法。

 対してフランスは北フランスは均等相続、世代間同居を禁止する慣習法が支配的。
 またフランス革命の際、革命の祝典をはじめ政治的にローマ共和政の再現が演出されますが、ナポレオン法典はむしろ慣習法と17,18世紀の自然法の混交である。

 さらに言うと、政治的公衆を説得するための「雄弁と修辞」が重視されたため、法技術よりもキケロ的雄弁術が圧倒的に発達した。

 法律家の代表が英国では裁判官、ドイツでは大学教授とされるのに対し、仏では弁護士の法廷における雄弁と修辞が前景化するのはそのためである。

 仏における「雄弁と修辞」、これは政治家にも要求される。イラク戦争の際の国連におけるド・ヴィルパンの演説などはその一端。ここは日本とあまりに対照的。

『柔道龍虎房』ジョー・タスリム主演でリメイクしてくれんか……タスリムさんが時々見せる寄る辺ない迷子みたいな表情がたくさん見られるチャンスだし柔道に関してはオリンピアンだしとか考えたら興奮してきたな!!!(迷子みたいな顔してるタスリムさんが見られるのは『シャドウ・オブ・ナイト』です。『モータルコンバット』でもなーハンゾウの前であの顔してたら関係変わってたんじゃないかというくらい悲しい表情をする、が『シャドウ・オブ・ナイト』の主人公はサブゼロくらい自分のことしか考えてない。そこがめっちゃ好き)

月曜日はやる気が出なさすぎて怖いのでアイスコーヒーを飲んでいます

語り足りない『柔道龍虎房』 

20年くらい前に新文芸坐で黒澤明特集やったときに有名作は見とくか~くらいの気持ちだった『姿三四郎』がめっちゃくちゃに面白くて、藤田進も素敵だし私にしては珍しく三四郎と小夜さんの恋の行方が気になって気になって、三四郎は良いやつだが照れ屋過ぎて恋はどうにかなるんか!!と思って次の日に『續姿三四郎』も見に行ってしまった。そしたら恋愛はおいといて三四郎の前に登場する対戦相手が変わり者ばっかりでなんか別ジャンルの映画になってて驚いたが、ラストの藤田進の晴れやかな笑顔は最高だった。

『姿三四郎』が瑞々しい青春映画なら、『柔道龍虎房』は夢を諦めざるを得なかった人間が自分自身を許して再起する話で、かつてとは違う形で再び柔道の道を選んだルイス・クーの晴れやかな笑顔が『續姿三四郎』のラストに重なって見える。自分を許した先にある他者への無限の優しさにも涙が出てしまう。香港の雑然とした街とそこで流離う人たちの魅力やいちいち変なエピソードも相俟って、語っても語り足りない、旧作とはいえ今年見た中では一番の映画!

あと冷酷で飲茶好きな暗黒街のボスが柔道が絡むと無限に親切になるのもめちゃくちゃ好きですね!

じゃん子 さんがブースト
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日本帝国の唾棄すべきところは日本の貧農を自分の土地が持てると動員しただけでなく、朝鮮半島の人々の土地を奪い、満州ならば日本人のように土地が持てると少なくない人数を移民させたりしたところですね。
いやまあ唾棄すべきところなんていくらでもあるけれど。

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じゃん子 さんがブースト

満州に入植しにいった開拓団って、隠蔽しきれなかった日本の公文書でも武装開拓団とか明確に書かれてんだよね。
いまの日本の歴史修正主義に頭から侵されたネトウヨ見てるとガザやウエストバンクで暴れてる入植者と同レベルそれ以上のことやってたんだよなと容易に想像できる。

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柏尾安希子(神奈川新聞記者)
@KJvdcYYG7rONyUl
マレー半島各地で「敵性華僑狩り」を行った日本軍。マレーシアのネグリ・センビラン州では1942年3月を中心に、多くの中国系住民を虐殺しました。6歳で虐殺から生き延びた鄭来さんに会いに行きました。日本兵は乳児だった鄭さんの弟を上空に投げ、銃剣で受け止めました。
kanaloco.jp/news/social/articl

日本兵が子どもを投げて銃剣で刺し殺す事は、他の場所でも目撃談があります。
同州の虐殺は、陸軍第5師団歩兵第11連隊第7中隊の陣中日誌に記録されています。「治安粛清」「掃蕩」「敵性分子」「刺殺」という言葉が登場し、軍事裁判を経ずその場で殺害していた事が分かります。明白な違法行為です。

被害者には、女性や子どもも多く含まれていました。

x.com/KJvdcYYG7rONyUl/status/1

JAIHOの『ストーリー・オブ・フィルム』凄いなこれ、映画史120年を順を追って15のエピソードで描く労作で、1を見たけど技術の説明もあるし射程がハリウッドだけじゃなくて全世界なので近代史とも絡んで面白い。一番初めのクローズアップがミルクを飲む子猫だったとか、あとハリウッドで働いてたのが1925年まで女性・移民・ユダヤ系だったとか。映画史の初めには女性脚本家が多くて、骨太なアクションや社会問題を取り入れた作品も多くあったけれど、金融関係の企業の参入とともに男性社会になっていったとか。性差や人種差別にも切り込んでいるので全部見たいしエピソード3には香川京子さんのインタビューもある。続編の『ウーマン・メイク・フィルム』も見たい、ひと月の予定で加入したけど全部見れるかな……

『姿三四郎』『續姿三四郎』に対しては最大の敬意が払われていて、作品内でも引用されているんだけどこんな引用の仕方する!?ってめちゃくちゃ驚く。特に賭場でシト・ポウが大負けして、シウモンがその場の金掴んで逃げ出して二人で駆けてくうちにお金をばらまいて追いかけてきた賭場の用心棒と一緒に札を拾う……という描きようによってはトンチキにもなるエピソードのBGMが抒情的で美しく(ジョニー・トーって音楽の使い方独特だよね…)って思ってたらおそらく『姿三四郎』の中でも相当有名なエピソードが男女逆転で描かれて、映画館で見たときもひっくり返るかと思ったけど再見しても凄かった、元ネタが恋の始まりを予感させるエピソードだったのに、修羅場から逃れるための物凄く乱暴な応急処置になってて、それでもここを起点に主人公が変化し始める重要なエピソードとして描かれてる。主人公の前に現れる柔道家が暗黒街のボスだったりカラオケバーのオーナーだったり、途中の乱闘場面が全員柔道経験者で互いに投げ合ってたりして、対戦相手が変わり者ばっかりなのも『續姿三四郎』を思い出せば納得がいくし、多分シト・ポウの師匠の息子のモデルはあの人だろうし決戦の場所もライバルが勝敗よりフェアネスを取る結末も、敬意に溢れて素晴らしい。

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『柔道龍虎房』、黒澤明の『姿三四郎』という元ネタからよくここまでオリジナルな物語を生み出したなあと感心してしまう、物凄く奇妙で美しい映画。肉体も精神も自分の意思を離れて運命も儘ならず、それでもすべてを受け入れた先にある清澄な地平を見せてくれるのでドバドバ泣いてしまう、ジョニー・トーってめちゃくちゃ乾いて残酷な映画も撮るけどこういう厳しさと優しさが両立した映画も撮るから本当に好き。

場末のカラオケバーで雇われ店長兼ギタリストとして暮らし、アルコールとギャンブルに依存しているかつての天才柔道家・シト・ポウ(ルイス・ク―)の元に「対戦してくれ」と頼む青年トニー(アーロン・クォック)と歌手志望の若い女性シウモン(チェリー・イン)がやってきて……という話で、この三人の関係がとても良い。はじめ信頼も危うかった打算的な関係が、つかの間だけどかけがえのない関係に変化していく。怒りや侮りといったマイナスの感情が、結果的にそれぞれを動かして信頼に変化していくという描き方も意表を突かれる。そんでヒロインのシウモンがかなりがめつくて図々しくてしぶといキャラクターで、男性二人とも対等な関係を築いていくから爽快で、後半にかけてどんどん美しいエピソードが描かれる。ジョニー・トーは女性に変な夢抱かないとこが良い。

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『サンライズ』(1927、F.W.ムルナウ)

シンプルなストーリーに、意欲的なカメラワーク、セット美術、雨、風、路面電車、ガラスといろんな要素が盛り込まれていて、ただ、あー凄いなーいいなーって思いながら見てしまう。

amazon.co.jp/gp/video/detail/B

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日本軍のマレー占領3年8カ月 降伏後に中国系住民虐殺 時代の正体 歴史に向き合う | カナロコ by 神奈川新聞 kanaloco.jp/news/social/articl

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(フロントランナー)斎藤真理子さん 「韓国と日本は似ていて、違う」
asahi.com/articles/DA3S1602678

「 近年、日本と韓国は生活水準がほぼ同じになり、生活感覚は似てきたと思います。でも歴史感覚が違う。韓国では、歴史が人々のど真ん中を直撃している。とくに作家たちは歴史に真剣に向き合っている。どの土地にも無念の死はありますが、とりわけ韓国の現代史は過酷で厳しいものです。死者が400万とも500万ともいわれる朝鮮戦争は朝鮮半島全土で地上戦が行われた。この戦争が韓国文学の背骨なのです。

 91年から1年半、韓国に留学した時、どんな地方にも戦争の傷痕が残っているのを知り、驚きました。今も南北は分断され、休戦状態です。しかも済州島4・3事件であったような大虐殺は語ることも許されず、なかったことにされた。それが植民地時代から光州事件まで続いている。作家たちがセウォル号事故に思いを傾けるのもこの歴史の延長と見るからでしょう。

 韓国文学を追うと、いかに無念な死の堆積(たいせき)の上で人々が懸命に生きてきたかがわかります。その歴史に日本が大きく関わっているのに、日本では朝鮮戦争が知られていない。「韓国文学の中心にあるもの」を書いた理由はそこにあります」


QT: fedibird.com/@chaton14/1130916
[参照]

しゃとん  
先日、堀田善衞『広場の孤独』のことを投稿しました。 そういえば、斎藤真理子さんも『広場の孤独』によく言及されてるなぁと思いだしました。 あらためて、斎藤さんの『韓国文学の中心にあるもの』をめくると、崔仁勲『広場』と対照させるかたちで紹介されていました。 斎藤さんのこの本、 『82年生まれ、...
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だからカラスに襲われそうになったチョウゲンボウのひなが助かってよかったー!ではなくて、カラスだって懸命に生きていて、これはそういう命のやり取りの一コマなんだとわかる仕組みが番組の中にほしいんだよね。たぶんこどもも見ている番組なんだから。

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ダーウィンでカラスが悪役的に描かれたことについて。

自分が好きな生き物を頑張れ!と応援したり、それを捕食しようとする生き物に対してひどい!とか、そういう感情移入をしてしまいがちな部分は自分の中にもある。でもどの生き物も自分たちの命をつなぐために懸命に生きているのであって、人間のちっぽけな感情なんて本当は入り込む余地なんてないんだ。

鳥の巣を襲ったヘビを殺して俺はいいことをしたんだと正義づらしていたいつかの誰かを思い出してしまった(そんなことが昔あった)。

大昔に祖父と二人で『ナイト・オン・ザ・プラネット』を観に行って、そのとき祖父も私も初めてトム・ウェイツの歌声を聴いたんだけど、帰りに祖父が「あの最後の曲歌ってた男の声よかったな、サッチモかと思った」と言っててじいちゃん洒落てるぜと思ったのだった

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