欧米における「ローマ」の亡霊
中世以降(10世紀以降)、商業の復活と国家機構の整備に伴ってローマ法が「再発見」、時代・地域に応じて加工・変形しながら現代に至ることは以前投稿しました。こと法特に民法典に関しては、日本は独・仏・米の「雑種」ですから、この系譜に無縁ではありません。
ところで、ローマと一口に言っても歴史は長い。キケロが生きたBC1世紀とユスティニアヌス帝の6世紀では500年の差がある。
ドイツにとってもローマとはユスティニアヌスのローマ法。
対してフランスは北フランスは均等相続、世代間同居を禁止する慣習法が支配的。
またフランス革命の際、革命の祝典をはじめ政治的にローマ共和政の再現が演出されますが、ナポレオン法典はむしろ慣習法と17,18世紀の自然法の混交である。
さらに言うと、政治的公衆を説得するための「雄弁と修辞」が重視されたため、法技術よりもキケロ的雄弁術が圧倒的に発達した。
法律家の代表が英国では裁判官、ドイツでは大学教授とされるのに対し、仏では弁護士の法廷における雄弁と修辞が前景化するのはそのためである。
仏における「雄弁と修辞」、これは政治家にも要求される。イラク戦争の際の国連におけるド・ヴィルパンの演説などはその一端。ここは日本とあまりに対照的。