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 現在の日本には、批判的知識人は点として散在してはいるが、層としてあるいは「知的ブロック」としては存在していない。

 これは、勿論複合的な要因によるが、短期的・直接的には、三浦雅士『現代思想』、蓮実重彦『ルプレザンタンシオン』、浅田・柄谷『批評空間』、と続いて21世紀に入って東浩紀の『思想地図』に至る流れが人文系インテリを瓦解させたと言える。

 先の投稿で、1960年-1970生のインテリで『現代思想』・『批評空間』で自己形成した「世代」の「無惨さ」を「痴愚神礼賛祭り」シニアで例解したけれども、21世紀に入って『思想地図』から始めた世代はさらに悲惨である。

 何と言っても東浩紀がそうであるように、この時期になるとそれまでよかれあしかれ存在していた「フランス思想」という他者=外もなくなり、ただJAPANのサブカルチャーに自閉していくだけ。

 この段階で「リベラル」仕草の軛からも完全に開放され、SF業界も含めて「ネトウヨ」・「ミゾジニー」ハビトゥスが爆発することになった。

 であるから、1980-90生で仮に『思想地図』や「ゲンロン」で自己形成したとしたら、これはもう目も当てられない。

 となると30年間、知識人は再生産されなかったことになる。ここ数年僅かに変化の兆しがあるのは微かな希望だろう。

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 「骨相学」というと、現在の日本では「観相」程度の、ごくたわいのないものと受け取られがちです。

 しかし19世紀には「骨相学」は「科学」としての権威をドイツを中心としてかなりもっていました。夏目漱石やアインシュタインの脳がホルマリン漬けにされているのも、その流れです。

 この当時、骨相学は人種主義・優生学と結びついて多分野や国家政策に大きな影響を及ぼしていた。例えばロンブローゾの「犯罪生物学」など。

 ちなみに日本人をはじめとしたモンゴロイドは「倫理的に劣り、模倣するしか能はなく、独自性」がない、とされた。

 これ、現在の脳科学の用語に翻訳すると、中野信子の「アジア系の80%は主体的に思考できないことが脳科学的に証明されている」の発言になる。

 また優生学はフランスを除く全ての(勿論日本も)近代国家が断種政策を行う際の科学的正当化として機能した。

 つまり国家が福祉へと資源投入するからには、それは「リターン」と結びついた個体が選別されるべき、という発想である。

 こうした優性思想に基づいた選択的福祉政策の再前景化も新自由主義局面の特徴である。

 ちなみに福祉国家スウェーデンでも1930年代に骨相学に基づいてラップランド住民(サーミ人)が、どのような過酷な扱いを受けていたについては、

 映画『サーミの血』(2016)が参考になります。

 東大の先生は、グールドは無理でもこの映画位は最低見た方がいいと思う。

 でないと、このまま行けば「人種主義・植民地主義」・「ミソジニー」、そして口だけ「反資本主義」の労働者差別者、の三拍子揃った学者、ということになりかなない。

 警告はしたよ。

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 しかし、21世紀になって東大教授が人種主義と分離不可能な骨相学的言説をなぞるとは、ある意味「ぶっとんでいる」。
 さすが、福田和也を評価しているだけのことはある。福田はゴビノーからドリュ・ラ・ロシェルに至る仏極右の「文学的」伝統を「背負っている」などと自称していた。

 ところで、この骨相学、20世紀に入って、文化人類学でも形質人類学でも完全に否定された。1980年代に人類学の講義に出れば、最初に言及される。

 ただし、この種の「疑似」科学」的な人種主義、現在はDNA理論によって再び活性化している。何と言ってもこの分野の創始者の一人、J.ワトソンは「骨の髄からの」レイシスト、セクシストであり「遺伝的に黒人と女性は白人男性に能力で劣る」と主張し続けて、ついに失脚した。

 しかしR.ドーキンス的な遺伝決定論は英語圏で強い影響力を持ち、S.グールドやド・ヴァ―ルは長くこれと闘った。

 スパルタカス君に関しては、とりあえずグールドの『人間のはかり間違い』(河出書房文庫・上下)を読むことを勧める。

 いずれにしても現在の「疑似」科学的言説の主流は脳科学とAIになった。

 東・浅田的言説の特徴は「テクノロジー万能論」。これに日本のSF業界の「ミソジニー」爆発が折り重なるから手が付けられない。
 

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 昨日、会議のため都内に出る。15時ごろだったためか、10分歩いただけで、酷暑のためか、サウナにでも入っているかような感覚に襲われる。

 このまま熱中症で倒れるのではないか、と思ったが会議室に入ると、一挙に涼しくなり、一息つく。

 やれやれ、と会議室のエアコンの温度を見ると、なんと28度である。これは驚いた。体感では20度くらいかと思っていた。

 その上、2時間以上会議を進めていると、参加者全員が「寒さ」を感じてエアコンの温度を29度に挙げる。

 これは人が1,2ヶ月かけて体を気温に合わせて調整しているからだろう。

 また「暑い」と感じて体温調整、発汗機能、「暑い」の感覚が発動するだけ「まし」なのかもしれない。

 聞く所では、室内で「暑い」と感じずにそのまま「熱中症」で倒れる方もいるらしい。

 しかし、そうはいっても年々夏の暑さは酷くなっている。エアコンがあると言っても、昔の夏は30度越えで「真夏日」といっていたのだから、10度近く上がっているのではないか?

 これでは7-9月にはカナダで森林が燃え、12-2月にはオーストラリアで森林が燃えるのもむべなるかな。

 ナオミ・クラインが言うように、まさに地球は「燃えている on fire」。

 おやおや、日銀関係者を批判するのに、「骨相学的」言説を東大の先生が持ち出そうとは・・・

 「骨相学的」って典型的な疑似科学で「人種主義」とまさに「骨絡み」の言説だからなー

 いや、「知らない」というのは恐ろしい。

 その内にルソーにおける「骨」とか言い出すのではないか?

 ヘーゲルは実際に当時「精神Geist」は「骨である」とか言ってるしね。

 

ヘーゲル『法哲学要綱』(正)

『ヘーゲル法哲学批判要綱』は初期マルクスの著作です。

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 幾何学を参照枠とすることで、法学に体系性と無矛盾性を装備しようとする試みは、何もサヴィニーに始まったわけではない。17世紀以来、グロティウス、ヴォルフ、と続いてきた。スピノザの「エチカ」が幾何学の形式を用いて叙述されているのも、その文脈。

 サヴィニーの特徴は、自己の法学を幾何学・歴史主義そして中世ローマ法、実は相容れないように見えるものを「統合」した主張にある。そして兄グリム、ブレンターノ、アルニムとの関係に見られるように、ドイツ・ロマン派との深い関係もある。

 結局サヴィニーの試みは、フランス革命とナポレオン戦争に対抗して「統一ドイツ国家」を立ち上げる、という目標を前提としてはじめて統一的に理解できる。

 この目標は後に対立するヘーゲル、あるいは当時のドイツ知識人に広く共有されていた。

 ただし、ヘーゲルは当初ナポレオンによるライン同盟やバイエルンの法改革・身分制の廃止に大きな期待を寄せる。この点では「ドイツ国民に告ぐ」のフィヒテと対照的。ドイツ法典論争でもサヴィニーの論的となったティボーを支持した。

 有名なヘーゲルの『法哲学批判要綱』では、サヴィニーは主要な論的として繰り返し批判されている。

 プロイセンに統一ドイツを終始期待していたのは実はヘーゲルではなくサヴィニーなのである。

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三宅 芳夫 さんがブースト

長い映画。

子どもの頃、銀座の映画館で母と一緒にみた
「ルードウィヒ 神々の黄昏」(ヴィスコンティ)
が、映画館で見た一番長い映画かな。

(ずっと座っているとわりとすぐお尻が痛くなってしまうので、長い映画を映画館で見ることはあまりないです・・・)

あとは、「SHOAH ショア」、「ニッポン国VS泉南石綿村」などの長めのドキュメンタリも、みるときはだいたい家で見ています。

おすすめは

「人間の條件」(小林正樹)。
仲代達矢が主人公です。

ということは、つまり「国家主義」は何も安倍政権の際に、突如出てきたものではない。

 要するに自民党政権とは、元来「そういうもの」なのである。

 1960年安保の高揚を見て、田中角栄、大平正芳くらいまでは、表に出さなかっただけでのことで会って、中曽根の際に「新国家主義」として、前景化し始めた。

 そして、この中曽根の新国家主義は国労解体に象徴される新自由主義と連結し、総評・社会党ブロックの解体、小選挙区制によるい保守二大政党制へと連なっていく。

 この流れを踏まえない、単なる「政権交代論」では、いつまで経っても、現実的な「オルタナティヴ」にはならないだろう。

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今年の平和式典、広島市と長崎市で大きく対応が分かれました。 ただし、これは長崎市の対応が「常識的」、広島市が「異常」です。

これは今年偶然に起こったことではない。

広島市は、長く「保守」も「革新」も「原爆投下」と「平和」に関しては曖昧ながらも「コンセンサス」がありました。

転換は、1999年小渕内閣による「国旗・国歌」法案から始まる。この際、国会と答弁では野中官房長官は「強制ではない」としたものの、小中学校の現場では「強制」が罷り通ります。

この際、最も紛糾したのは広島。広島は「平和教育」の伝統があり、それは当然ながら大日本帝国の象徴である「国旗・国歌」への違和感とつながる。

広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている。この文言、「過ち」の主体が不明、という点で、如何にも「日本的」だが、「日の丸・君が代」の強制とは相性が悪いの事は確かである。

であるからこそ、広島は狙い撃ちにされ、教員との板挟みになった校長の自殺が相次いだ。

このあと、秋葉社民市長時代の相対的安定期に入るが、現市長は毎年職員研修で教育勅語を引用、平和教育の教材から「はだしのゲン」を削除。

広島大学学長はと言えば、日経の全面広告で三浦瑠麗と対談する有り様だったのである。

 井上光晴(1926生)は、戦後共産党に入党するも、「書かれざる一章」を「新日本文学」に発表、これを機に除名された。

 ちなみに、当時共産党中央は「所感派」であったが、「新日本文学」は「国際派」。

原和男のドキュメンタリー「全身小説家」で知られる。このドキュメンタリーもそうだが、現在のフェミニズムの視点からはまずは批判されるだろうし、されるべき。ただ、それで「骨も残らない」か、と言えばそうでもない。

子供のころから「うそつきみっちゃん」と呼ばれた虚言癖を「うそをつく」仕事である小説に生かすことに成功した。

大西巨人、谷川雁、上野英信と並んで、九州の「戦中派」作家として知られ、埴谷雄高は井上を世に出すために何かと努力した。先述の原の映画にも埴谷は頻繁に出てくる。

ただ、井上の「戦中」を舞台にした小説はあまりに「戦中派」のクリシェであって私はあまり評価しない。。このことで大学時代久留米出身でアジア主義評価の友人と激しくやりあったことがある。

「アジア主義」は日本帝国主義のアジア向け「プロパガンダに過ぎない」という私の評価は、この頃すでに定まったいたのである。

尚井上光晴は女性と見れば「口説くことをやめることができない」人格で瀬戸内寂聴とは長年の不倫関係にあった。直木賞作家の井上荒野は娘。

 

「研究秘密」に属するので、あまり詳細には展開できませんが、フーコーを研究しようとする若い人と一般読者に向けて、「フーコーを読む」ための簡単な指針をば。

1)以下のテーマを避ける
「フーコーと眼差し」
「フーコーにおける権力と抵抗」
「後期フーコーにおける生存の美学」
「ラカン派精神分析とフーコー」

 これらは、研究として見れば全てサルトルの枠に収まるので、オリジナリティを欠く上に、フーコーのテクストのほとんどを無視することになる。
 逆に言うと、お気の毒だけれども、このテーマの「先行研究」者は「フーコーを読めていない」証拠となる。

2)フーコーの生前刊行された著書、及び10巻を超えるコレージュ・ド・フランス講義録で扱われているている16、特に17・18世紀の分野を横断した文献をできる限り読み、この時代について、一定のパースペクティヴを獲得すること。

 このためには、研究者の場合、19世紀、20世紀の言説に深入りすることはおそらく不可能になる。30年かければ別だけれども。

 ということは、17、18世紀を専門とする研究者と少なくとも対話できるレベルに達しなければならない。

 具体的には、17-18世紀を専門にする、しかも文学以外をカバーできる研究者がいる大学院に進むことをお勧めします。

 8月6日広島に原爆投下された時、丸山眞男は二等兵として徴兵され、呉・宇品にいました。

 原爆が爆発した際、ちょうど軍施設の建物の前に整列させられており、丸山は鉄塔の影に隠れる場所にいたため、直接の被曝は免れました。

 しかし、猛烈な爆風のため、上半身が吹き飛ばされて亡くなった人もいた、ということ。

 翌日には救護のため、丸山は広島市に入って、その惨状の中で数日間作業に携わる。ここで決定的に被曝したのです。

 戦後、丸山は肺・肝臓など繰り返し重度の臓器疾患で数度の休職を余儀なくされるが、これはおそらくは被曝の後遺症だったと思われる。

本人はあまりのショックのためー現代のPTSD理論で知られるようにー戦後20年、その際のリアルな記憶を「消していた」。公にはじめて語ったのは1965年8月15日の記念集会の際。

またその後、ハーバードにおいて、「原爆投下は戦争である以上やむを得なかった」という「リベラルな研究者」と「侵略責任と原爆投下は別」とする丸山は激しい議論を応酬。

丸山は遺言で葬式の際の香典類は「原爆被災者または原爆被災者法の制定運動に寄付」とし、遺族によって第五福竜丸平和協会に寄付された。

他方、丸山眞男を1986年「諸君」に醜い誹謗中傷パンフレットを発表した加藤尚武はと言えば・・・

 井上光晴は1963年の『地の群れ』で、原爆投下後の戦後の長崎を、被差別部落、朝鮮人部落、被爆者部落、が絡み合う複雑な様相を1950年の共産党武装闘争に参加、挫折した医師の眼から描きます。

 この小説は1970年に熊井啓によって映画化されました。現在でもわりとDVDないしはネトフリなどで見られると思うので、関心のある方はぜひ。

  しかし、元来スポーツ報道に関心がないのだが、ここのところ五輪にジャックされているような印象を受ける。

 もはや巨大な国際利権と化した五輪、「報道するな」とは言えないが、地中海を挟んで繰り広げられている、パレスティナ人への一方的虐殺は、その数倍を報道すべきだろう。「平和の祭典」の名が聞いて呆れるとはこのことである。

 概念法学は、法体系を公理・定理・証明という幾何学の方法によって構築することで、法に普遍性を持たせんとする。サヴィニーを嚆矢とし、プフタ・ヴィントシャフトと繋がり、1900年のドイツ民法典起草に大きな影響力を行使。

 しかし考えて見れば、サヴィニーはかのグリム兄を一番弟子とする「自然法的普遍主義」を批判するドイツ歴史主義の中心人物でもある。また「アテネウム」とベッティーナ・フォン・アルニムを中心とする初期ロマン派のサークルに所属。サヴィニーの妻はベッティーナ、詩人アルニムの兄弟姉妹(詩人ブレンターノの妻も)。

 またサヴィニーは啓蒙法学を嫌い、ローマ法継受を概念法学によって基礎づけると主張。つまり法学的にはロマニストの親玉。他方、グリムは民話収集を通じて、ゲルマニストの創始者となる。

一見訳が分からないが、これはナポレオンによって神聖ローマ帝国が解体されたのを受けた、「ドイツ統一」の文脈に置くと、辻褄が合う。

実際、フィヒテは「ドイツ国民(民族ではない)に告ぐ」をベルリンで講演、フンボルトによって開学されたベルリン大学総長にサヴュニーは招かれ、プロイセン王太子の教育係となり、後宰相。

ヘーゲルはベルリン大学でサヴィニーと激しい権力闘争を繰り広げたが、最終的にはサヴィニーの勝利に終わった。

 

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  どうもイーロン・マスクがK.ハリスのことを「文字通りの共産主主義者」と罵倒しているらしい。

 ソ連・東欧崩壊から30年以上たち、「共産主義者」の意味ももはやはっきりしないけれども、米国は「反共」が国是の国、であることは改めて知る、といったところか。

 言うまでもなく、ハリスは資本主義体制のバリバリの支持者で、文化的スタイルが「リベラル」というだけ。

 国際秩序での米国覇権の継続を目指していることも間違いない。

 それでもトランプよりは「まし」というだけである。

 実際、ハリスが大統領になっても、長崎平和式典で示したイスラエル支持の姿勢は堅持するだろう。

 また米国内の公式言説では、「原爆投下は戦争の早期終結・米軍兵士の犠牲の縮小に効果的であり、必要だった」となっている。

 それにしても長崎の原爆投下には日本軍側の責任も大きい。当時の日本は軍事大国、原爆も開発中であったので、すでに広島への原爆投下は情報・哨戒担当は事前に察知していたが、その上申を軍上層部は無視。

 長崎の際は、米爆撃機を迎撃する戦闘機も発進直前だったが、広島の責任を問われることを恐れた軍上部によってこれもキャンセルされた。

 しかも、この恐るべき「未必の故意」、戦後60年以上「隠されていた」のである。

 かつて「世界資本主義の弱い環」という表現があった。

 例えば1917年に資本主義の中心地域ではなく、半周辺であったロシアで革命を起こったことを説明するために使用された概念。

 私は「世界システム論」の立場なので、資本主義世界経済とインターステイトシステムは相互に還元不可能な「可能性の条件」をなす、と考える。つまり、マルクス主義のように最終的には経済要因に還元される、とする立場ではない、ということだ。

 ところで、この立場に立つと、現在の国際政治秩序の「最も弱い環」はパレスティナ/イスラエルである。死者4万に超えるイスラエルの今も続く一方的虐殺は、米国が主導する「リベラルな国際秩序」の正当性を完全に崩壊させた。

 他方、世界資本主義の最も弱い環(の一つ)は日本である。つまり工業力・科学技術力は急速に衰退しながらも、金融資産だけは、韓国やグローバルサウスの国々と比較しても圧倒的。

 しかし外交的交渉力がない金融資産だけの国家は、国際的には「いい鴨」にしかならない。現在の乱高下する為替と株価はその象徴である。

 この過程で、NISAなど株式に投資された貯蓄は雲散霧消し、富は海外投資機関に移行する。

 この過程は巨大な家計貯蓄が消えるまで、続くだろう。貯蓄が消えればジンバブエと同じことになる。

 ではバーリン(1909生)やポパー(1902生)のヘーゲル批判は全くの「言いがかり」だったのでしょうか?

 これは同時代的にはそうとも言い切れません。バーリンはラトヴィア・リガ、ポパーにウィーンのユダヤ人で、英国に移住。当然両者にとってナチズムとの対決が思想的課題となる。

 ドイツは19世紀末から1929年まではカント学派が主流。ところが、世界恐慌以降、「新ヘーゲル学派」が急速に台頭、ナチスのイデオローグとなります。ナチスはユダヤ系学者(カント派)や社民党支持者を大学から放逐、そのポストに新ヘーゲル主義者が収まり、「新秩序」論を鼓吹。

 またシュミットはWWI直後からワイマール体制を「保守」の立場から批判し、大統領独裁の正当化プランを作成したりしたが、ナチスが政権を獲ると、すぐさま入党。

 逆に排除された大物としては、社民時代司法大臣を務めたラートブルフ、WWI後オーストリア共和国憲法案を起草したケルゼンがいる。

丸山眞男は同時代的に左派へ―ゲリアンとして、ケルゼン、ラートブルフ、シュミットを並行して原書で読んでいた。またオックスフォード滞在中はバーリンと親しくしていた。

であるから、20世紀フランス思想以外の大抵のブロブレマティークは、丸山のテクストに「再発見」できるのである。

 
 

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