井上光晴(1926生)は、戦後共産党に入党するも、「書かれざる一章」を「新日本文学」に発表、これを機に除名された。
ちなみに、当時共産党中央は「所感派」であったが、「新日本文学」は「国際派」。
原和男のドキュメンタリー「全身小説家」で知られる。このドキュメンタリーもそうだが、現在のフェミニズムの視点からはまずは批判されるだろうし、されるべき。ただ、それで「骨も残らない」か、と言えばそうでもない。
子供のころから「うそつきみっちゃん」と呼ばれた虚言癖を「うそをつく」仕事である小説に生かすことに成功した。
大西巨人、谷川雁、上野英信と並んで、九州の「戦中派」作家として知られ、埴谷雄高は井上を世に出すために何かと努力した。先述の原の映画にも埴谷は頻繁に出てくる。
ただ、井上の「戦中」を舞台にした小説はあまりに「戦中派」のクリシェであって私はあまり評価しない。。このことで大学時代久留米出身でアジア主義評価の友人と激しくやりあったことがある。
「アジア主義」は日本帝国主義のアジア向け「プロパガンダに過ぎない」という私の評価は、この頃すでに定まったいたのである。
尚井上光晴は女性と見れば「口説くことをやめることができない」人格で瀬戸内寂聴とは長年の不倫関係にあった。直木賞作家の井上荒野は娘。