今の1960-1970年代生の人文・思想系のインテリの「貧困」は、基本的に、『現代思想』・『批評空間』によって自己形成を遂げたことに拠るとしておいて大過ない。

 『批評空間』、就中、浅田彰が最も精力的にプロデュースしたのが、「かの」ネトウヨ大王、Z大学教務部長就任予定だった東浩紀だったことはそのことを証明してあまりある。

 昨年秋の「痴愚神礼賛」祭りの事務局長をはじめとする、「駒場の神々」6人衆などは、「僕は批評空間」発売日に本屋に行って買ってます」などと言って当時の私をうんざりさせていたものである。

 その内の一人の「政治と美学の関係をやりたい」などと宣っていた御仁などは、後輩の女性院生イジメの精を出す「政治」、美学と言えば「僕は服と時計合わせて十万円以下では大学にこないことをエチケットを心得てます」という調子である。この男が今は早稲田で漫画批評などを教えていると仄聞した。要するにただの「オタク」。

 福田和也に戻れば、SFCの教え子で最も有名なのが、先日都知事選後に「朝日」で蓮舫批判をしていた鈴木某という女性「評論家」である。この人はジジェックの翻訳などをしている大学教授の娘である(ちなみにこれは公開情報)。

 駒場の「神々」の掉尾を飾るのが千葉雅也氏ということになるだろう。
 

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 現在の日本には、批判的知識人は点として散在してはいるが、層としてあるいは「知的ブロック」としては存在していない。

 これは、勿論複合的な要因によるが、短期的・直接的には、三浦雅士『現代思想』、蓮実重彦『ルプレザンタンシオン』、浅田・柄谷『批評空間』、と続いて21世紀に入って東浩紀の『思想地図』に至る流れが人文系インテリを瓦解させたと言える。

 先の投稿で、1960年-1970生のインテリで『現代思想』・『批評空間』で自己形成した「世代」の「無惨さ」を「痴愚神礼賛祭り」シニアで例解したけれども、21世紀に入って『思想地図』から始めた世代はさらに悲惨である。

 何と言っても東浩紀がそうであるように、この時期になるとそれまでよかれあしかれ存在していた「フランス思想」という他者=外もなくなり、ただJAPANのサブカルチャーに自閉していくだけ。

 この段階で「リベラル」仕草の軛からも完全に開放され、SF業界も含めて「ネトウヨ」・「ミゾジニー」ハビトゥスが爆発することになった。

 であるから、1980-90生で仮に『思想地図』や「ゲンロン」で自己形成したとしたら、これはもう目も当てられない。

 となると30年間、知識人は再生産されなかったことになる。ここ数年僅かに変化の兆しがあるのは微かな希望だろう。

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