ということは、つまり「国家主義」は何も安倍政権の際に、突如出てきたものではない。
要するに自民党政権とは、元来「そういうもの」なのである。
1960年安保の高揚を見て、田中角栄、大平正芳くらいまでは、表に出さなかっただけでのことで会って、中曽根の際に「新国家主義」として、前景化し始めた。
そして、この中曽根の新国家主義は国労解体に象徴される新自由主義と連結し、総評・社会党ブロックの解体、小選挙区制によるい保守二大政党制へと連なっていく。
この流れを踏まえない、単なる「政権交代論」では、いつまで経っても、現実的な「オルタナティヴ」にはならないだろう。