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三宅 芳夫 さんがブースト

「読んでいた」(正)
「中川昭一」(正)
「大学院の数年後輩」(正)

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 川崎さんの父上は千葉大学理学部理論物理学(素粒子物理)教授で戦後の反核平和運動を担い、ビキニで被爆した第五福竜丸の保存に尽力された方。 
 こちらの方面からも共通の知人がいて、それもかなり驚かれた。

 川崎さんは、私立武蔵から東大法学部、そしてその後平和運動へ、という今やほぼ消え去った日本のエリートの「ノブレス・オブリージュ noblesse oblige」の最後の一人、と言えるだろう。
 なんといっても川崎昭一郎の名を知らない理論物理学者はいない筈である。

 他に私は個人的に挨拶・会話はできなかったが、原発訴訟代表団の海渡雄一弁護士、パートナーの福島瑞穂さん、辛淑玉さん、斎藤貴男さん、東京新聞の望月さんなど、なかなか豪華なメンバーがスピーチに立っていた。

 私は、地平社のロゴがかわいい「熊さん」であることに触れた上で、もう一つの想像上の動物に言及。「熊谷さんは、我に義ありと感じても、やはり組織人である以上妥協が必要な臥竜だった」、しかし「その束縛から解き放たれた今、雲を掴んで天駆ける龍になることを信じて疑わない」とスピーチをした。

 しかし昨日のレセプション、1930年代だったら、治安維持法違反で即全員検挙だっただろう。
 その意味では、まだ言論の自由は辛うじて残っている、とも言える。

 次に、創業の6点を共に担当した内田聖子さん、毎日新聞記者の東海林智さん、元NHKチーフディレクターの長井暁さん。

 内田さんと東海林さんは、知っている人が間に何人もいて、書いたものも呼んでいたが、お会いしたのは今回はじめてである。

 長井さんは2000年にNHKの連作「戦争をどう裁くか」を担当された方で「日本軍従軍慰安婦」の回に安倍晋三・中川昭三が介入して来た際の当事者になられた方である。

 今回はじめてお話したが、とても温厚な人柄だった。今、実質審議なしに衆院を通ってしまった経済安保法案の話が中心だったが、連合の立憲民主への圧力や、法案の主たる起動力としての「チーム甘利」などについて意見交換。現在NHKディレクターで「原発事故最悪のシナリオ」や「大河原化工機事件」を番組化した石原大史さんが私の大学院の数年後半であることから、かなり話は弾んだ。石原さんは、当日ちょうど明治大学で「経済安保法案」の危険性について講演中だったらしい。

 次にピースボート共同代表、ノベール平和賞を受賞したICANの国際運営委員の川崎哲さん。川崎さんは私と同年でもお会いするのは今回はじめてだが、共通の友人・知人がかなりいて、「おお!」となった。実は、川崎さんは湯浅誠君やスパルタカス君の私立武蔵の同級生なのである。

 

  昨日、地平社創業記念レセプションというものがあり、神田神保町まで出かけてきた。

 私は、今までレセプション、出版記念パーティなどには出席したことはないのだが、さすがに今回は自分の本が創業の6点の入っているので、行くことにした。

 レセプションというのは、かなり来るらしいので、人生ではじめて「名刺」というものをつくることにした。

 行ってみると、確かにメディアでお見掛けし、私も本を読んだことがある人が結構いて、挨拶がてら少し話をすることができたのはよかった。

 まず地平社顧問の元日弁連会長の宇都宮健次さん。宇都宮さんは熊谷さんを選挙対策本部長として3期都知事に挑んだ盟友である。

 直接お会いすると、かなり小柄なのだが、やはりエネルギーと「若さ」は凄い。これで77歳とは信じられない。私などは70歳までは生きられないだろう、と思っている。

 宇都宮さんは2008-9年の「年越し派遣村名誉村長」でもあった。実はこの時の村長であった湯浅誠さんは私と同年でもあり、大学院時代には自主ゼミを共に行った仲であった。

 微妙な問題だとわかってはいたものの、宇都宮さんに湯浅君のことを聞いてみた。すると、宇都宮さんは淡々と応じされ、さすがに長く市民運動を続けてきた「貫禄」を私に感じさせた次第である。

 東大教授苅部直さんとともに、 サントリー財団から資金援助を受けた「スナック研究会」の中心人物だった河野有里さんが、米国の大学でのイスラエル批判を、ー60安保の際の清水幾太郎を引き合いに出しながらー貶しているらしい。

 ちなみにサントリ財団からの資金は科研と違って、飲食に用いても構わない、たいへん使い勝手がいい者である(勿論、私は申請したこともないが)。

 ところで、清水幾太郎は、理論家としては優れている時期もあったが、運動家としては「左翼」の時代から「スタンドプレー型」のオポチュニストであった。

 有名な例としては、1952年石川県の内灘闘争の際に、「みなさん、私は皇族の方々を教えている学習院の教授です。であるから、私の言うことに間違い、ということはないのです。」と連呼していたエピソードがある。

 ま、アジテーターとしてその場を「盛り上げる」才能はあったとされているけれども。

 いずれにしても、この状況で、米国の大学でのイスラエル批判運動を、見え透いたレトリックで貶めている、河野有里氏、わかってはいたが、つくづく「どうしようもない」人ではある。

 先日、お知らせしたインタビュー、「民主主義は「スラップ訴訟」に屈してはならない」のタイトルで「ZAITEN」6月号(5月1日発売)に出るようです。

 私は実は、この「ZAITEN」という雑誌を知らなかったのですが、取材を受けて、「基本方針は権力の批判です」と説明を受け、2,3冊拝読すると確かにそうだった。

 少なくとも今の「朝日」よりは、三菱重工などの軍需産業や「経済安保マフィア」などを持続的に批判している。

 というわけで、インタビューを受けることにしました。

 編集長さんの説明では、「普通の本屋さんに置いてある」とのことでしたので、ご関心のある方はご一瞥いただければ幸です。

 今、気づいたのだが、ホームページには新刊拙著の写真まで載せてくれている。ありがとうございます!

 目次で野田と並んでいるのはやや複雑な気持ちだけれども。

今日の東京新聞、3面に5段を使って、この程創設された地平社零年の新刊、6点が並べられています。

しかし、週末、5段分、というと広告費は大丈夫なのだろうか?

私は、印税を放棄したけれども、それだけでは足りないのではないか?

いずれにしても、他の5点にもご注目いただければ幸です。

 ちょっと、信じがたい投稿をしている人がいる。残念ながら、私の知っている人である。「風紀委員」とか「学級委員」とか言っているが、要するに反「人権」=反
PCの表明である。

 こんなことを続けていると、ポスト東浩紀の「ネトウヨ」の神輿にされてしまうのでは、と他人事ながら心配になる。

三宅 芳夫 さんがブースト

・信号機の維持予算が各地で課題に 更新時期の目安超え運用増加
www3.nhk.or.jp/shutoken-news/2

「信号機の維持にコストかかりすぎるから、各地で信号を取り外したりし、”信号機によらない安全対策”を工夫している」という、おどろきの報道。

「このうち千葉県では、維持管理の費用として、毎年およそ40億円が投入され・・・予算を圧迫しています」

千葉県の信号の維持費は1年で40億円?

おとといの投稿でふれた、
日本の海上自衛隊で買っている迎撃ミサイルは「1発20億円」です。
fedibird.com/@chaton14/1123199
1県につき、その2発分も出せない?

ちなみに、2024年度の日本の「防衛費」は9兆6803億円(契約ベースでみた場合)だそうです。

貼った画像は、防衛省のページにある「防衛力抜本的強化の進捗と予算-令和6年度予算の概要-」の一部です。

mod.go.jp/j/budget/yosan_gaiyo

「防衛力抜本的強化」などというのなら、まず全国各地で、信号、色あせた道路標識、消えかかった白線、でこぼこの道路、被災への備え、等に先にお金を使い、最低限の安全確保をするべきではないでしょうか。

高い兵器を買うかどうかは、そういう通常の「防衛力」を備えたあとでゆっくり考えることでは? [参照]

三宅 芳夫 さんがブースト

#海渡雄一 弁護士。

あす、4月25日に、院内集会を兼ねた出版記念会を開き、経済秘密保護法の危険性を訴えます。経済安保の専門家、井原聡先生と坂本雅子先生、食糧安保の専門家、天笠啓祐先生と私が出席し、地平社の最新刊『経済安保が社会を壊す』の内容を縦横無尽に話合います。
地平社は、岩波書店の『世界』の編集長をされていた熊谷伸一郎さんたちが、あらたに設立した、やる気満々の出版社です。
場所は参議院会館の講堂です。定員300名です。ぜひ、満員にしたい。ぜひ、リアルのご参加を。本の発売は公式には30日からですが、当日にも販売予定です。明日の院内集会は、会場をいっぱいにしたいので、来れる方は参議院講堂まで、ぜひ来てください。来るのが難しい方は以下でご覧ください。youtube.com/live/MXm7wd5FmzY?f

facebook.com/profile.php?id=10

#セキュリティクリアランス

  東大法学部名誉教授木庭顕さんの「ポスト戦後日本の知的状況」を読む。

 木庭さんはローマ法専攻、「稀代の碩学」と言われる、東大法学部伝説の「奥の院」的な人である。私は直接お会いしたことも講義を聞いたこともないけれども。

 元来、「象牙の塔」的なスタイルだが、いよいよ現在の日本の政治社会状況及び知的退廃への危機感を押さえきれなくなったようだ。

 私は専門も世代も違うし(木庭さんは1951年生)、立場も違うので、疑問点や同意できない部分もあるが、全体としては問題意識はよくわかる。研究者の人にはぜひ一読をお勧めしたい。

 それにしても、この書における木庭さんは、怒りを爆発させた「荒野のリア王」さながらの猛々しさである。

 序文からして「東大法学部は一般的には、必要な文学的歴史学的哲学的素養を欠き、したがってクリティックなど一顧だにしてこなかった」と一刀両断。

 大学に関しても、大学院化以降「教授の仕事は申請書類を書くことに変わった」、「ロースクールによって法律学は初等法律教育に堕落」、政治学者は「政治学をやめて政治に走った」という調子である。
 中沢新一に至っては「いい加減なことを言って読者をたぶらかそうとする暗い情念」。

 ま、中沢は単に本人が「いい加減な人」なだけでは?という気もするが。

三宅 芳夫 さんがブースト
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BT

このあいだの「イランからイスラエルへの攻撃」から「イスラエルを守るため、アメリカ海軍の艦艇が迎撃ミサイル「SM-3」を実戦で初めて使用した」という記事。

記事を読んで、全体的に兵器の性能をアピールすることが目的っぽい書かれ方だと思いました。

やはりこうやって、武力衝突があると「実地で使われて、効果がありました」という、兵器をつくっている会社にとっては絶好の宣伝の機会になるのだなぁと実感します。

この記事に出てくる「RIM-161スタンダード・ミサイル3」。
開発は日米で行われ、三菱重工業も参加しています。

日本の海上自衛隊の護衛艦にも装備されているもので、一発20億円。(これは何年か前の値段で、現在は円の価値がないから、もっと高いと思います)。

・「イランのミサイル迎撃に初めて実戦使用されたSM-3、日本の防空能力も証明」(JBpress)
jbpress.ismedia.jp/articles/-/

↑こういう記事の書かれ方から見ても、今回の「実戦初使用」は「優れた兵器」であることをアピールして、さらなる軍拡を日本でも推し進めるために利用されるものと考えられます。

ちなみに、ミサイル防衛に日本が参加を決めたのは小泉政権時。旗振り役は守屋武昌氏(兵器産業からワイロを貰って逮捕服役した元次官)。 [参照]

三宅 芳夫 さんがブースト
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14才で731部隊に参加した二人の方の証言。

戦争犯罪の末端にこんな子どもを荷担させていたなんて。

1945年8月14日、上官から「もし、捕まることがあれば自害しろ」と青酸カリを渡されたそうです。

実際に細菌兵器が使われた浙江省で、家族が犠牲になった中国の方のお話も。

youtube.com/watch?v=CJhcPWp6Il
「標本室は目の開けられないくらい・・・」731部隊の実態、元少年兵の目に焼きついた光景【報道特集】 | TBS NEWS DIG




[参照]

三宅 芳夫 さんがブースト

BT

清瀬市の「駅前図書館」。よさそう。

図書館でかりられるDVDやVHSって、あんまり配信やレンタルで見られないやつがあったりして、意外に充実してたりするんですよね。紀伊國屋書店が出している映像ソフトとか。

清瀬市ですが、
たしか、図書館の数を現行の6から2にする条例案(つまり4館の廃止)を、市議会で過半数占めている自民公明が突然出してきて、可決してしまったところですよね。

jcp-tokyo.net/2024/0330/91173

図書館、運営しているひとたちはこうやって利用者の利便をはかったりしていろいろ工夫しているのに、与党の政治家はそれらすべてを「コスト」としか思っていないのかとやりきれない気持ちになります。


三宅 芳夫 さんがブースト

清瀬市立の「駅前図書館(これが正式名称)」は、渋谷区立の「笹塚図書館」と同様、駅前の店舗ビルの上階にあるのだが、なんと図書館の入口の向かいが新刊書店になっている(あまり例がない立地では)。あとここは、貸出可能な映像ソフトの所蔵が比較的多い(DVDのみならず、VHSも多数)。下の階は西友なので、買い物ついでにカジュアルに立ち寄れそう。図書の企画展示も多い。

 デリダは、あからさまに哲学者であると同時に作家でもあるサルトルをモデルとしており、哲学としては比較しやすい。ただ、デリダの本領は、自ら「他者」と呼ぶフランス語との「言葉遊び」にあり、無理に形式化しても、それはサルトルの範囲内に収まる。

 さて、日本の文学部哲学科ないし仏文科の難点は、フーコーの『狂気の歴史』、『監獄の誕生』、『性の歴史』及びコレージュ・ド・フランス講義を読むための、精神医学と刑事権力、主権と統治性、オルド自由主義などの経済学、より根本的には近世・近現代の欧州史などの知識を全く欠いていること。

 であるから、「フーコーと眼差し」などといった全く「ズレた」問題設定になる。ちなみに「眼差し」を哲学的主題にするなら、間違いなく「サルトルと眼差し」でなければならない。

 これは部分的には日仏の哲学教育の違いにも由来する。この当時の仏では基本カント哲学をベースにして、アリストテレス論理学・近世科学と哲学の関係をリセで叩きこまれる。
 また仏では哲学者は同時に左派知識人でもある。この点が日本の文学部哲学科及び仏文科に全く欠けているハビトゥス。

 であるから、フーコー、ドゥルーズ、デリダの日本への導入は、英米と同じく、基本的には失敗した、と総括できるだろう。
 

 どうも一部の界隈で「現代思想」と「哲学」の関係が話題になっているようだ。

 私もフーコーと『言葉と物』について、「相当の近世・近代哲学と言語学の知識がないと分かる筈がない」と啖呵を切ってしまったので、なにやら補足をする必要を感じる。

 まず原則論から言うと、仏では「現代思想」という概念はない。またフーコー、ドゥルーズ、デリダは全員哲学のアグレガシオン(教授試験、当時最難関)に十ている哲学者である。デリダなどは受験は苦手で1度落ち、2度目もパッとしない順位で通った。アルチュセールは、ENSにおけるこのアグレガシオンの受験指導担当であり、ここで多くの弟子を養成した。ENS出身のアルチュセリアンが多いのはそのため。

 しかし、フーコーは所謂制度的な哲学とはかなり異なる道を歩もうとする。そもそも彼はリセで教えず、大学にも少し籍を置いてだけでコレージュ・ド・フランスに上り詰めた。たしかにフーコーは「世渡り上手」ではあったが、これはENS出身者でなければ無理なアクロバットな道である。

 対照的なのはドゥルーズでENS出身者ではなく、地道にリセで教えながら哲学の論文を書き続け、「差異と反復」で博士号を取得。とは言え、日本で有名なガタリとの共著は、日本の文学部哲学科の訓練では「読む」ことはできない。

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