どうも一部の界隈で「現代思想」と「哲学」の関係が話題になっているようだ。
私もフーコーと『言葉と物』について、「相当の近世・近代哲学と言語学の知識がないと分かる筈がない」と啖呵を切ってしまったので、なにやら補足をする必要を感じる。
まず原則論から言うと、仏では「現代思想」という概念はない。またフーコー、ドゥルーズ、デリダは全員哲学のアグレガシオン(教授試験、当時最難関)に十ている哲学者である。デリダなどは受験は苦手で1度落ち、2度目もパッとしない順位で通った。アルチュセールは、ENSにおけるこのアグレガシオンの受験指導担当であり、ここで多くの弟子を養成した。ENS出身のアルチュセリアンが多いのはそのため。
しかし、フーコーは所謂制度的な哲学とはかなり異なる道を歩もうとする。そもそも彼はリセで教えず、大学にも少し籍を置いてだけでコレージュ・ド・フランスに上り詰めた。たしかにフーコーは「世渡り上手」ではあったが、これはENS出身者でなければ無理なアクロバットな道である。
対照的なのはドゥルーズでENS出身者ではなく、地道にリセで教えながら哲学の論文を書き続け、「差異と反復」で博士号を取得。とは言え、日本で有名なガタリとの共著は、日本の文学部哲学科の訓練では「読む」ことはできない。