フローラ・トリスタンー19世紀の社会主義フェミニスト
フローラ・トリスタンは後期印象派の画家P.ゴーギャンの祖母。
19世紀前半の作家、社会主義者、フェミニストでもあります。
アステカ最後の皇帝の血を引く父をもつフローラは、フランスとペルーを往復。その経験を基に国際主義的な社会主義運動を構想し、C.フーリエとも協力します。
世代的には英国のメアリ・ウルンストンクラフトの娘メアリー・シェリー(『フランケンシュタイン』の著者、P.シェリーの妻)と同時期、ということになります。
ノーベル賞作家のバルガス・リョサ(政治家としてはろくでなしだが)が『楽園への道』でゴーギャンとフローラをともに主人公としているために、一般にも広く知られるようになりました。
フランスでは現在、リセで教えられる19世紀の大作家の一人となっていますが、日本ではどれくらい知られているのだろう?
フローラのボルドーに墓碑銘には、「自由・平等・友愛・連帯」が刻まれています。『労働者連合』の著者フローラ・トリスタンへの追悼碑として。
『古書発見 女たちの本を追って』久保覚(影書房)
ー本は、私たちの中にある凍った海を砕く斧でなければならない
-F.カフカ
著者の久保覚さんは『花田清輝全集』を事実上一人で完成させた名編集者。また在日コリアンとして朝鮮芸能史研究者でもありました。
本書は久保さんも関わった生活クラブ生協の『本の花束』に書いた書評エッセイをまとめたもの。
対象となっているのはすべて女性の書いた本です。
レィチェル・カーソン『われらをめぐる海』、イザドラ・ダンカン『わが生涯』、ルイーズ・ミシェル『パリ・コミューン』、ビリー・ホリディ『奇妙な果実』、ローザ・ルクセンブルク『ロシア革命論』、F.サガン『サラ・ベルナール』など。
日本人・朝鮮人としては崔承喜『私の自叙伝』、高井としお『わたしの「女工哀史」、幸田文『ちぎれ雲』、朴壽南『もう一つのヒロシマー朝鮮人韓国人被爆者の証言』、石牟礼道子『苦界浄土』、富山妙子『炭鉱夫と私』などなど。
S.ソンタグに関するついてのエッセイでは次のような言葉があります。「一見リアリスティックに見えて、実は高見から他人の努力をせせら笑っているに過ぎない、冷笑主義的対応ほど不潔なものはありません。」
この言葉、現代を真っ直ぐに射貫いている、と言えるのではないでしょうか?
日本と朝鮮半島の関係は、明治の初期から一方的な侵略・植民地化の歴史でした。
また日本国憲法制定の際には「国籍条項」が入れられることで、それまで「日本国籍」を持っていた朝鮮人・中国人が日本人から「排除」される準備が法制官僚によってなされます。
サン・フランシスコ講和条約とともに日本という「国家」は形式上独立しましたが、在日朝鮮人・中国人は国籍を失います。
また朝鮮半島では戦争で分断され、韓国籍を有しない朝鮮人の方も多く生まれます。
この他阪神教育闘争など、戦後の在日朝鮮人の歴史への入門として徐京植さんの下の本は、とても有益だと思います。はじめて徐さんの本を読む「日本人」の方にはやや「苦しく」なる箇所もあるでしょうけれども。それでも徐さんの本の中では「苦しくない」方だと思います。
フランス現代思想とポストコロニアル、あるいはフランス現代思想とマイノリティを語る方には是非読んでもらいたい。
おそらく、日本の80年代的なポストモダニズムが全く植民地支配の責任から眼を背けていたことが、自らの経験の喚起とともに理解できるでしょう。
尚、日本と朝鮮半島の関係はフランス・ドイツの二大国の関係とは異なります。フランスとアルジェリアの関係に相似と言えるでしょう。
G.ドゥルーズと「シャトーブリアンからの手紙」
「シャトーブリアンからの手紙」とは1941年ヴィシー・ナチに対するレジスタンスに参加した17歳の少年ギ・モケが仏警察に逮捕、海辺の街「シャトートブリアン」の収容所から銃殺の前日、母に書いた手紙のこと。これは涙なしには読めない。
17歳のギの処刑にあたってはド・ゴールがロンドンから追悼を、チャーチルとルーズベルトはそれぞれ非難を発表。
この事件をシュルレアリストにしてコミュニストとなったL.アラゴンは地下出版(Minuit)にて『殉教者の証言』として発表。
さて、この手紙2007年右派のサルコジ大統領が「共和国」を讃える詩としてギの銃殺の日、リセで歌うように法制化、その際左派は批判。マクロン与党が「共和国、前進」であるように、WWII以後は右派が「共和国」を掲げます(これが日本と政治軸がずれてわかりにくい所。)
しかしこうした政治的利用とは別にフランス人の多くは「シャトーブリアンからの手紙」を知っています。
ところで、実は哲学者G.ドゥルーズはこのギ・モケと同じクラスだった。また1944年23歳だったジルの兄ジョルジュ・ドゥルーズはレジスタンスに参加した廉で逮捕、ブーヘンヴァルト収容所に移送途中死亡。ジルの記憶には「英雄の兄」として刻まれます。
フォードがアイリッシュ、キャプラはシチリア系イタリア人。W.ワイラーはアルザスのユダヤ人でした。
ワイラーは1942年にドイツの空爆に抵抗する英国を描いた『ミニヴァ―夫人』でアカデミー賞監督賞・作品賞を受賞。その後、欧州大陸の航空戦を撮影。その際、聴覚障害となり、片耳は完全に聞こえなくなります。またWWIIに参加した黒人兵のドキュメンタリーも撮影します。
しかし、ミュルーズのワイラーの親族は全員ナチスによって殺害。
ワイラーの1946年『我らが生涯の最良の年』では復員兵たちの困難な「社会復帰」を描いています。片腕を失くしたもの、出征中に妻に出奔された者、PTSDに苦しむ者、職が見つからない者などなど。
ワイラーは戦時撮影に携わった監督の中で最も「赤狩り」に持続的に抵抗します。
いわゆる「ハリウッド・テン」の援護グループの世話人となり、『ローマの休日』ではD.トランボ、『友情ある説得』ではM.ウィルソン(「陽の当たる場所」、「戦場にかける橋」、「猿の惑星」)と「ブラックリスト」の脚本家を採用。前者はアカデミー賞。後者はカンヌ映画祭パルムドールを獲得。
しかし、『黄昏』は「レッド・パージ」の暗い時期を反映しており、商業的には失敗。しかし芸術的にはハリウッドの「文法」を逸脱した名画。
WWII中の戦場撮影班の責任者の一人はシチリア系移民のF.キャプラです。
キャプラは1939年に『スミス都に行く』を撮ります。これは地方の政治家のダム建設をめぐる不正、とそれと戦う「素朴なアメリカ人」(J.スチュアート)という典型的な「ニューディール」映画。
当初は脚本家が共産主義者であり、内容が「反米的」である、として上映禁止の可能性大、だったのですが、WWII勃発により、ニューディール+反ファシズムに揺り戻しが起こり、ぎりぎり上映できたものです。
「フィリバスター(議事妨害)」と言う言葉、日本では安倍政権の頃からポピュラーになったように感じますが、連邦議会で追い詰められたJ.スチュアートが最後の「あがき」として行うのが「フィリバスター」です。
そして日を跨ぎながら「フィリバスター」を続け、疲労困憊し今や倒れんとするところに、「デウス・エクス・マキーナ」が訪れ、相手側の「不正」は暴かれる、というストーリー。この時期の米英が、基本最後はHappy endが規則。
この頃は保守のJ.フォードでさえニューディール映画『怒りの葡萄』を撮りました。
しかし、ハリウッドのニューディール派はWWII後の「赤狩り」によって厳しい立場に追い込まれていきます。
『駅馬車』や『怒りの葡萄』で知られるアイリッシュ系の映画監督J.フォードは、WWII中海軍の戦時撮影班のリーダーとなり、ミッドウェイ海戦を現場で撮影、その際日本の戦闘機の機銃掃射で左腕を負傷。その障害は生涯続きます。
またフォードは日本では「玉砕」第一号で知られるアリューシャン列島の戦闘も現場で撮影。
これは米軍兵士の死傷者もフィルムに収められていたため、公開は見送られます。
ここに一つのエピソードがあります。フォードが現場撮影したフィルムを軍上層部に見せた際のこと。
映写が始まると、軍高官たちは一人去り、二人去りし「10分程でフォードだけ」になった。
フォードはこのエピソードを好んで語り、軍上層部は「現場」の戦場について「全くの無知」であることを強調しました。
フォード自身も戦後長くPTSDに苦しみました。超タカ派のJ.ウェインを可愛がってはおり、兵役経験なしのジョンを戦争映画の主役に抜擢はしましたが、「敬礼の仕方からしてなっていない」と罵倒し続け、その後「泣き崩れる」こともしばしばだったそうです。
フォード以外にもW.ワイラー、F.キャプラ、G.スティーブンス、J.ヒューストンがWWIIの戦時撮影に参加。この経験は4人の人生と映画を大きく変えていきます。
訂正と「戦間期の精神」、そして『勉強の哲学』の著者、千葉さんについて
『シュルレアリスム宣言』(正)
尚、日本のシュルレアリスム研究はブルトンとアラゴンがWWIの際、共に医学者として「地獄の西部戦線」に従事したこととシュルレアリスムの「(反)美学」の関係にほとんど着目しない。「西部戦線」では「人間の尊厳」、「生命の有機的統一」などは、霰のような砲弾の嵐によって、文字通り「バラバラ」の肉片へと砕け散っていたのです。
これこそがまさに「シュール」レアリスムたる所以。単なる「言語遊戯」ではない。この感覚がアルトーの「器官なき身体」を通じて『アンチ・オイディプス』にまで至る。
B.ウルフ(誤)
V.ウルフ(正)
『ダロウェイ夫人』かつては「意識の流れ」という小説手法の新技法の面から論じられた。
しかし内容的にはPTSD(友人の爆死のフラッシュ・バック)に苦しむセプティマスの飛び降り自殺とダロウェイの内面(死への衝動含む)との交差です。
ナチスの「ブラックリスト」にも入れられていたヴァージニアは1941年WWIIの最中入水自殺しました。
「戦間期の精神」とはブルトン、ウルフ、ジョイス、アルトーと向き合うこと。
さて、千葉雅也さん、これらのテクストについてどのくらい「勉強」されたのだろうか?
原爆ドームを背景に、岸田首相とゼレンスキーの「同盟」を視覚的に演出している(「日経」)。
キャプションには「平和の決意、今こそ」とある。
NHKでもゼレンスキーと岸田の映像をせっせと流していたらしい。
ゼレンスキーは演説で「バフムートと広島は似ている」と発言(うーむ)。
しかしノーベル平和賞受賞団体ICANと国連総長グテレスは、核禁止条約に加盟しようとしないG7(米覇権同盟)を強く批判。
サミットに招待されたインド、ブラジル、インドネシアもG7には同調せず、声明は別にした。
ブラジルのルラは元来今回の戦争の政治的責任はNATOにあるとの立場なので、ゼレンスキーとの会談も拒否。
何度も書いたが、ロシアのウクライナ侵攻は当然批判されるべき。
しかし、中ロとの対決を前提とした軍事同盟に加盟、改憲すべきかは別問題。また被爆地「広島」での「核不使用、通常兵器のみ」のデモンストレーションは悪質な「政治利用」です。
千葉雅也さん、「ゼロ年代という戦間期」とやや無邪気なことを言っているが、世界はもはや「第三次世界大戦」に入りつつある。
「哲学者・作家」として資本主義を最近はどうも「批判」されているけれども、この世界戦争の危機をドゥルーズを使って、どのように分析・克服できるのか、提示するべきだろう。
「千葉雅也さんにとっての第一次世界戦争」
千葉さんの「インターネットで旧来の世界が焼き払われていくというのが僕ら日本のロスジェネにとっての第一次世界大戦」という比喩に対して私は「いささか想像力を欠いているのでないか」と懸念を表明しました。
しかし「想像力」というものは意外とあてにならぬもの。そこでより具体的でアクセスしやすい資料を提示します。
例えば、前世代までは大学生の「常識」であったレマルクの『西部戦線異状なし』。これニ度にわたって映画化されている。また同じく西部戦線末期の仏軍の崩壊寸前状態を描いたキューブリックの『突撃』。尚、仏では徴兵忌避・命令拒否は法的に「敵前逃亡」と同じと見做されますので、原則「銃殺」。
インターネット時代に大量の若者が「銃殺」されたとは寡聞して知らない。
A.ブルトンは「地獄の西部戦線」に医学生として従軍、この経験からシュルレアリスムは誕生します。『シュルレアスム宣言』は1924年。
もう一つ付け加えると、近年再評価著しいB.ウルフの『ダロウェイ夫人』は1925年です。この頃にはドイツ語圏ではフッサール、ハイデガーの現象学が台頭。『存在と時間』1927年。
サルトル世代はこうした「戦間期の精神」の中で登場した。
少しでも参考になれば、ということで。
「知性の猛者たち」
いつもは新聞広告「不快」になるので、眼に入らないようにしているのだが、今日は運悪く視界に入ってきてしまった。
「創始者たちイーロン・マスクとピーター・テイル」これって見南アフリカ鉱山王の息子とその悪友、ネトウヨの世界の元締めとトランプの政策顧問、の組み合わせ。ピーター・テイル、右派リバタリアン、加速主義右派、投資家・コンサルというイーロン・マスクと同等の最悪のコンビではある。どちらも「何のリスク」もとったことない「詐欺師」だが。
それにしてもスプツニ子!も含めて、米国や英国の中朝教育での「数学の天才」(自称・他称)はやめてほしい。日本の高3生が米英に行けばほとんど全員「数学の天才」になるのです。
しかし「知性の猛者」たちが「絶賛」している、というので誰かと思ったら東浩紀・成田悠輔他詐欺師2名だった。
「知性の猛者」という表現ははじめて知った。イーロン・マスクを讃えるとはどんな「知性」だ?「痴性の猛者」の間違いじゃないのか?
BT)L.ブニュエル監督、ジャンヌ・モロー主演『小間使いの日記』、これはお勧めです。
現代日本の「極右」とほぼ「同じフレーズ」が連呼されているのに驚くと思います。
ブニュエルはゴダール、トリュフォーと並んでサルトルの大ファンだった。サルトルがノーベル文学賞を辞退した際には、「ブラボー」の電報を送っている。
尚ニザンは数ヶ月極右組織に加盟した後、離脱1926年アデンに向かいます。ここでの植民地主義と自らの経験を基にした小説第一作が『アデン・アラビア』です。
帰国後共産党に1927年に入党。サルトルとアロンの立ち合いの下、22歳で結婚(この両者は戦後は宿敵となる)。
ニザンの娘と結婚したのがアシュケナージ系ユダヤ人のO.トッド。オリヴィエは『現代』に協力しながら、27歳でサルトルの序文を得て小説を上梓。
このオリヴィエの息子がE.トッドです。ですから、ニザンの孫。なんだか意外ですねー
しかし、現代日本のリュシアン、もう50半ばで福田和也を賞賛してどうする?鵜飼哲さんを「強者」と讃えてすがるのか、福田和也を褒めたたえるのか、二つに一つではないのか?
『性的人身取引ー現代奴隷制というビジネスの裏側』シドハス・カーラ
社会主義圏崩壊以降、加速する国際的「性奴隷」ビジネスを綿密な調査と資料精査によって明らかにした書物。昨年翻訳が出版された。
性奴隷の供給源の一つは、社会主義崩壊以降、福祉が崩壊した旧東欧圏。ルーマニア、ブルガリア、ポーランド、チェコ、ウクライナ等から、「結婚詐欺」や文字通りの「誘拐」などによって大量の女性が西欧及び北米に拉致され、性奴隷ビジネスに従事させられている。
また、アジアではタイ、フィリピンなどの児童買春に「ペドフィリア」の多くの「北」側の男たちが訪れる。ただ、最近は観光に来た白人家庭の子供が誘拐され、性奴隷にされるケースもあるようだ。
著者は、こうしたグローバルな調査を踏まえた上で、国境を超えた性奴隷制ネットワークが新自由主義グローバリズムによって可能になり、また急成長する分野になったことを指摘する。今や性奴隷ビジネスの「利益率」は麻薬ビジネスより大きい。
従って、著者は新自由主義グローバリズムの是正なくしては国際的「性奴隷制」の根絶はない、と主張する。(「朝日」では「性奴隷ビジネス」を「非合法化すべき」という「眠たい」書評出ていた。そもそも性奴隷制、「非合法」です)
関心の或る方、ぜひご一瞥下さい。
「日本の選択」-「平和主義の放棄と真の軍事大国へ」
米誌タイム誌の表紙に岸田首相がずる賢そうな「悪人」顔で登場。
表紙では「数十年にわたる平和主義を放棄し、日本を真の軍事大国にすることを望んでいる」。
記事では「WWII以降、最大の軍拡を公にした」とあります。
外務省は表紙の文言に若干のクレームをつけ、電子版ではやや修正された、などという話もありますが、これは些末な話。
正直、外務省が反応を見て、ある程度の修正を要求をする、という「シナリオ」が元々あった可能性もあります。
5年間で43兆円分の軍事予算。これは国債発行だけでは到底足りません。そこで国立及び地域医療のための積立金、為替介入のための特別会計、コロナ予算の積立金、さらには東日本大震災復興特別税の「半分」を軍事費を回すことを政府は決定しています。
しかし、これだけでは「足りない」ので、社会保障全体の削減(これは確実)と消費税増税も選択肢となるでしょう。
すでに医療現場では看護職員の8割が「慢性疲労」、8割が「仕事を辞めたい」という状態にまで追い込まれています。
軍事費倍増、日米同盟のNATO化、そして今回の「悪人」岸田のパフォーマンスとすべて米国発。
この構図、対等の主権国家同士としてはどうみても「異常」です。
ロベール・ブレッソンの「抵抗」の1シーン。
ブレッソンはメルヴィルとともに「ヌーヴェル・ヴァーグ」の兄とも言える存在。
この映画は1943年にリヨンで囚われ、死刑宣告を受けたレジスタンスのメンバーが脱獄を試みる過程を追っていく。
これは実話に基づいており、当時リヨンには「レジスタンス」掃討担当者SS将校として、あのK.バルビーがいた。
しかし、この時期を扱った映画に限らず、フランス文学には「脱獄」のテーマが脈々と波打っている。
A.デュマの『モンテ・クリスト伯』やV.ユゴーの『レ・ミゼラブル』、バルザックのヴォートラン。『赤と黒』のジュアリン、『パルムの僧院』のファブリスは自ら「牢獄」への道を選択する。
これは、つまり「世界」そのものを「牢獄」と見做し、そこからの「脱出」の試みを「生」と考える伝統とも言える。
この場合脱出の試みが「散文」による「この」世界での出来事であり、ドイツ浪漫派のような「詩」でないことが特徴。
こう考えるとカフカとフランス文学の「相性の良さ」にも得心は行く。(カフカの導入はサルトル・ブランショ世代だが)
この伝統はカミュの『シジフォスの神話』へと続く。
ただし、1848年革命の挫折により、フローベールの「偽の散文」・「反文学」(サルトル)も現れるのだが。
ロベール・ブレッソンの「抵抗」の1シーン。
ブレッソンはメルヴィルとともに「ヌーヴェル・バーグ」の兄とも言える存在。
この映画は1943年にリヨンで囚われ、死宣告を受けたレジスタンスのメンバーが脱獄を試みる過程を追っていく。
これは実話に基づいており、当時リヨンには「レジスタンス」掃討担当者として、あのクラウス・バルビーがいた。
しかし、この時期を扱った映画に限らず、フランス文学には「脱獄」のテーマが脈々と波打っている。
A.デュマの『モンテ・クリスト伯』やV.ユゴーの『レ・ミゼラブル』、バルザックのヴォートラン。スタンダールにおいては『赤と黒』においてはジュアリンが、『パルムの僧院』においてはファブリスが自ら「牢獄」(修道院)への道を選択する。
これは、つまり「世界」そのものを「牢獄」と見做し、そこからの「脱出」の試みを「生」と考える伝統とも描くこともできる。
こう考えるとカフカとフランス文学の「相性の良さ」にも得心は行く。(カフカの導入はサルトル・ブランショ世代だが)
この伝統を「わかりやすく」エッセイにしたのがカミュの『シジフォスの神話』とも言えそうです。
「パトリス・ルムンバのために」(下)
まさに植民地主義の暴力の凄まじさ、そして冷戦における米国の役割の恐ろしさを象徴する出来事と言えるでしょう。
J=P.サルトルは、このコンゴのクーデター、そしてルムンバ殺害に際して、「パトリス・ルムンバの政治思想」(シチュアシオンV)という長文の論説を書き、ルムンバを追悼しました。
フランス本国では1962年にアルジェリア戦争は終結し、F.ファノンも世を去り、そして1962-66年にかけて「構造主義革命」(「歴史」を追放する)が演出されることで、植民地主義の暴力の記憶は本国白人の間では薄れていきます。そして1980年代には、ファノンの名はほぼ忘却された。
しかし、1990年代には、「構造主義革命」というフェイク・ニュースを演出したP.ノラ的な「歴史学」を批判するJ.ノワリエルの「移民」史的なプロブレマティークが巻き返し始め、また高度経済成長を支えた移民労働者の2世・3世が声を挙げることで、状況は変化しはじめます。
下はハイチの映画監督ラウル・ペックの『ルムンバ』(2000)です。ペックには他に米国のゲイの黒人作家J.ボールドウィンの遺稿を基にした「私はあなたのニグロではない」(2016)、「マルクス・エンゲルス」(2017)などがあります。
「パトリス・ルムンバのために」(上)
ベルギー国王はつい先ごろ(2020年)、かつての植民地コンゴでの恐るべき暴虐行為について、「謝罪」しました。ただし、現在のところ「賠償」は拒否しています。
また2022年ベルギー政府は、コンゴ独立の指導者パトリス・ルムンバの「歯」を遺族に返還し、「道義的責任」を認めました。
何故、コンゴ独立後はじめての首相ルムンバの「歯」がベルギーに保管されていたのか?
コンゴは1960年に独立後、選挙で選出されたパトリス・ルムンバは、米ソのどちらにも与しない「非同盟」路線を追求します。
その「非同盟」の方向が、米国ケネディ政権の「逆鱗」に触れ、ベルギーと共同したCIAのクーデターによりルムンバは失脚、殺害されました。
これがケネディの言う「進歩のための同盟」の華々しい成果、とされたのですから、「民主党リベラル」の「進歩」のほどが窺い知れます。
この後、ケネディ政権はベトナム戦争への本格的介入へと舵を切り、1975年までベトナムは戦争の惨禍に晒され続けました。
そして殺害されたルムンバの遺体はなんと硫酸で溶かされていた。ただし、「歯」だけが残っていたために、実行犯のベルギーの警察官を経由して、首都ブリュッセルに今まで保管されていた。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年