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「パトリス・ルムンバのために」(下)

 まさに植民地主義の暴力の凄まじさ、そして冷戦における米国の役割の恐ろしさを象徴する出来事と言えるでしょう。

 J=P.サルトルは、このコンゴのクーデター、そしてルムンバ殺害に際して、「パトリス・ルムンバの政治思想」(シチュアシオンV)という長文の論説を書き、ルムンバを追悼しました。

 フランス本国では1962年にアルジェリア戦争は終結し、F.ファノンも世を去り、そして1962-66年にかけて「構造主義革命」(「歴史」を追放する)が演出されることで、植民地主義の暴力の記憶は本国白人の間では薄れていきます。そして1980年代には、ファノンの名はほぼ忘却された。

 しかし、1990年代には、「構造主義革命」というフェイク・ニュースを演出したP.ノラ的な「歴史学」を批判するJ.ノワリエルの「移民」史的なプロブレマティークが巻き返し始め、また高度経済成長を支えた移民労働者の2世・3世が声を挙げることで、状況は変化しはじめます。

 下はハイチの映画監督ラウル・ペックの『ルムンバ』(2000)です。ペックには他に米国のゲイの黒人作家J.ボールドウィンの遺稿を基にした「私はあなたのニグロではない」(2016)、「マルクス・エンゲルス」(2017)などがあります。

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