ロベール・ブレッソンの「抵抗」の1シーン。
ブレッソンはメルヴィルとともに「ヌーヴェル・ヴァーグ」の兄とも言える存在。
この映画は1943年にリヨンで囚われ、死刑宣告を受けたレジスタンスのメンバーが脱獄を試みる過程を追っていく。
これは実話に基づいており、当時リヨンには「レジスタンス」掃討担当者SS将校として、あのK.バルビーがいた。
しかし、この時期を扱った映画に限らず、フランス文学には「脱獄」のテーマが脈々と波打っている。
A.デュマの『モンテ・クリスト伯』やV.ユゴーの『レ・ミゼラブル』、バルザックのヴォートラン。『赤と黒』のジュアリン、『パルムの僧院』のファブリスは自ら「牢獄」への道を選択する。
これは、つまり「世界」そのものを「牢獄」と見做し、そこからの「脱出」の試みを「生」と考える伝統とも言える。
この場合脱出の試みが「散文」による「この」世界での出来事であり、ドイツ浪漫派のような「詩」でないことが特徴。
こう考えるとカフカとフランス文学の「相性の良さ」にも得心は行く。(カフカの導入はサルトル・ブランショ世代だが)
この伝統はカミュの『シジフォスの神話』へと続く。
ただし、1848年革命の挫折により、フローベールの「偽の散文」・「反文学」(サルトル)も現れるのだが。