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しかしこのわくわくする感じ、自分はやはり偶発性・不如意性に強く依存する表現がすきなのだと思った

著名人の訃報って亡くなってから数日~数か月後に公表されることがけっこうあるけど、それなりに知ってる人でそれがあると毎回少し不思議な気分になる

実際にはその人は●日前にこの世からいなくなっていたのに、自分はその人が存在してる前提で●日間暮らしてたのか…という

別に毎日その人のことを考えてるわけではないけど、思ってたのとちょっとだけ違う世界を生きてたんだな、という意外さ

AIが絵を描いてくれるのも素敵だしわくわくするけど、爪の伸びる速さを制御できるとか、寒い日に1枚の服も脱がないまま清潔に快適に尊厳をもっておしっこができるとか、そういう技術を打ち立てる分野にも優秀な人材が流れてほしいと思う

Spasticus Autisticus 

自身も障害のあるイアンが障害をネタにして放送禁止になった歌がイアンの死後にロンドンパラリンピックで使用されたっていうの、いい話として受け止めていいのかいまだに分からない
時代がイアンに追いついたのかもしれないし、逆に巨大で巧妙な感動コンテンツに取り込まれてしまったのかもしれない
仮に後者だとして、開会式のステージで歌い踊ってた人たちを一方的に憐れむのもなんか違う気がして
むしろ損得を見極めたうえであえて取り込まれたのかもしれないし

まあなんだな
40年後に縁もゆかりもない東洋人にこんなこと考えさすぐらいにはすごい曲だよ
何より単純にかっこいい

※「障害」表記は「(社会の未熟さゆえ)障害(を課せられている)」という意味で積極的に採用してます

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Fediverse上の一部の人たちの行為に対する批判的言及 

あれだけのことをやらかした犯人に極刑が求刑されることについては、当人に十分な責任能力があると仮定したうえでなら(死刑自体への賛否は別にして)自分としてもとくに疑問はない
でもたとえ大量殺人犯だろうと、自分の大切なものを奪った人だろうと、ある人を死に至らしめることへの賛意を絵文字リアクションのようなもので手軽に表現するのはとても嫌いだし怖い

BOOK REVIEWある映画流通メディアが死に絶える前に 『さよなら、レンタルビデオ VHSだけで観られる映画たち』&『無職が聞く、日本最強の(元)自宅警備員による「TSUTAYA時代の映画語り」』|映画秘宝公式note
note.com/eiga_hiho/n/n834191d4

"裏目読みをすれば、ビデオテープが出てくる1980年以前の映画鑑賞環境(映画館と、テレビ映画劇場の代わりに配信)に戻ったとも考えられる"

ほんと、便利なはずなのに時々強烈な不便さを感じることがある
現在の構造は(少なくとも自分のような)ユーザー本位で構築されたものでは明らかにない
どこかの誰かに都合の良いシステムが自分にとってもベストなのだと思いこまされているような

創作・表現の類なんて究極的にはすべてゴミ(普遍的/恒久的価値がない※)という立場の人間としては、そもそも公費で巨大なゴミを作って放置するのがパブリックアートというものなので、醜い・贅沢といった指摘はあらかじめ織り込まれているはず(でなきゃおかしい)という認識

なので感想として言いたいなら言えばいいけど、個々の作品の完成後にこれを言っても批判にはならないよなあと思う
パブリックアートが自分の気に入らないものになるリスクを受け入れてないのなら、日頃からパブリックアート全般に反対しておくべきなのでは、と

とはいえ自分だって自宅近くの公園に歴代首相が裸で戯れる噴水など作られた日には文句の一つも言うだろう、その意味で目糞鼻糞ではある
でもそのときには醜い・贅沢などとは言わず、もうちょっと細やかな言葉で論評したい

※普遍的/恒久的価値がないゴミのはずなのにどういうわけだか時折心に刺さってくる、つまり個人的/刹那的な価値を生じる可能性を秘めているからこそ創作・表現を生産あるいは消費することには意味があるという考え
逆にいうと、ある作品が普遍的/恒久的価値を帯び始めた時点から創作・表現としての価値は目減りしていくと思っている

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ル豆(雲)  

Xの見出し問題 

初めてしたバイトは建設用地の地質調査だった 

棒(たぶん先端がスクリュー状になってる)を回して地中に挿入し、先端まで入ったら棒を継ぎ足してまた回すの繰り返し
回転数と到達深度で硬さを調べるみたいなやつ

その棒の回し方が、両側に付けたハンドルを胸の前でつかんで棒の周りをぐるぐる歩くという古代ローマの奴隷のようなフォームで
togetter.com/li/1339759
まさにこれ、これを棒1本あたり2人でやる
平成の日本にこんな分かりやすい(見かけ上の)奴隷労働あるんだ、と心の中で笑った記憶

働くことは駒になることという労働観を最初に植え付けられたのは良かったのか悪かったのか
炎天下で体力的にはハードだったけどしっかり休憩させてくれたし(させないと死んじゃうから)、何も考えなくていいしミスもしようがないし、10日間ぐらいのバイトが終わった後もそのメンバーで何度か遊びに行ったぐらいには結束が強まったしいい思い出でしかない
人権がそれなりに尊重された奴隷(それを奴隷と呼ぶかはともかく)はやってて心地よいというのが人間というもののややこしい仕様なんだろうな
権利という概念が存在しない他の社会的動物ならそれがもっとも効率的なのだろうし、だからこそ人間をそちらに近づけたい人が一定数いるんだろう

マーティ・フリードマン メタルの変化について語る 「メタリカがメインストリームに進出した時、この世の終わりだと思った」 - amass
amass.jp/170010/

メタル要素のある別ジャンルの曲にほぼまったく惹かれないのは、自分にとってメタルが一種のムード音楽だからなんだろうなと思った

アートという概念は、「これはもうアートですね」と言われたくて仕方ない人たちと言いたくて仕方ない人たちに明け渡して、別の概念を打ち立てるべきだと思う
紛らわしいし鬱陶しいので

架空の人物と実在の人物をシームレスに扱うこと 

bs.tbs.co.jp/journey/jnnstorie

"福島県本宮市出身の歌手、伊藤久男が来年で没後40年を迎えます。昭和を代表する歌手、伊藤久男は数々のヒット曲で多くの人々を魅了しました。
彼の歌の原点には故郷があります。伊藤の足跡を辿っていくと見えてくるのは、その地の魅力、そして人々が生きてきた歴史。旅をするのは、大物演歌歌手の水谷千重子。
伊藤久男のゆかりの地を旅し、よく知る生き証人と触れ合いながら足跡を辿ります。"

水谷千重子を実在の歌手と誤認することによる弊害はそこまで大きくないと思うけど、こういう文章で実在の人物と同等に扱われると、逆に「伊藤久男」に対して「誰か芸人が演じている架空の歌手か?」という疑いを短い時間とはいえ抱いてしまう

こういう混乱は部外者としてはまあ楽しいけど、それが制作者やこの文章を書いた人の望むところなのかといえば違う気がする

バス停に並ぶバスもまた乗客を運んでいるのだとしたら、この「バスに乗るバス」は次のバス停で降りて自分の客を乗降させ、またバス停に並び、来たバスに乗り込むことになる
これを繰り返すのだとしたら、乗客にとってあえて「バスに乗るバス」を選ぶインセンティブはどこにあるのか

また「バスに乗るバス」が存在し得るなら「バスに乗るバスに乗るバス」も存在し得ないとはいえないし、マトリョーシカ式にさらに多数のバスが乗っている可能性もある

バス運転士の不足を報じるニュースがあったが、解決策が分かった気がする
バスにバスを乗せるな

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続き 

一方でそれらの多くは極めてパーソナルで独立した作品なので、先人の作品を踏まえて新たな表現を生み出したり、あるいはその時その時の社会のあり方を反映させたりといった連続性のある営みにはなりにくい

作家・作品と受け手が互いに個として対峙する表現のあり方はもちろんあっていいし、それだけあればいいという人もいるかもしれない
ただ人間社会というものが縦横の連続性をもつ以上、表現が同様の性質をもつのは自然なことだし、逆にそういった表現によって社会の連続性が見えてくるところもあると思う

時間・空間の隔たりを飛び越えてあらゆる作品を並置したうえでアルゴリズムによって選出・提案される仕組みが、受け手に対してそのような連続性を見えにくくしているところはあるかもしれない

ただし昔の人が文脈をきちんと踏まえて鑑賞していたかというと、そんなわけない気がするけど
多くの人はテレビ局や出版社やレコード会社や広告屋が提示するままにコンテンツを消費していたのではないか
その意味では目糞鼻糞かもしれない

あとこれ書くのちょっと怖いけど、"「批判はダメ」のニュアンスがある" ところもアウトサイダーアート/アール・ブリュットと相似形
別にアール・ブリュット作品を批判したらダメとは言われたことないけど、まあ覚悟いるよね

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んー 

automaton-media.com/articles/n
"同紙はゲーム動画の配信を巡る著作権法違反の有罪判決は初の事例だと伝えている"
ゲーム専門メディアがゲームにまつわる情報を一般紙からの伝聞の形で報じるところに若干モヤっとしないでもない
社会問題は守備範囲外なので、というならこのニュース自体報じなくていいんじゃね?って話だし

くだ巻き 

恋する幼虫、サブスクには見当たらず
真摯に性愛を描いてるとてもいい映画なのに、サブスクにないと実質存在しないのと同じ扱いになってしまうの悲しい(権利問題とかの可能性もあるけど)

話題作は足並みそろえて配信する一方でこういう映画が一様に無視されるのを見ると、一定以上古くて中途半端な知名度の作品を見たい人にとってはフィジカルメディア中心の時代より状況悪くなってるんじゃないかと

サブスクで見つからなきゃ送料含めそれなりの金払って円盤買うことになるけど、その時点で視聴のハードルは跳ね上がる
なら借りる? もはや自分の生活圏内にDVDレンタルできる店があるかどうか自分は知らない

『未来世紀カミカゼ』も『モーニング・パトロール』も『無邪気な悪魔におもちゃが8つ』も、自分はリリースから20~30年後にレンタルで100円ぐらい払って見ることができた
それは世の中がDVDやBDに完全移行したあともVHSを扱い続ける古代遺跡のようなショップがいくつもあったから
それらのショップは多分もう全部潰れた
これら作品を配信している国内のサブスクサービスがあるか調べてみたけど、ひとつも見つからなかった
カルトになりきれなかった古の作品を100~300円程度で気軽に・すぐに見られる環境はほぼ消失した

続く

前に普段とは比較にならないほど多様な人たちと口頭でいっぱいコミュニケーションするような環境に数か月いたことがあったけど、帰ってきて友達に会ったら「話し方全然違うじゃんキモッ」って言われたのがすごく記憶に残ってる

あれはユニバーサルなイントネーションなりボキャブラリーなりを使うよう無意識に自分を矯正していたんだろうなと
しばらくすると元に戻ったらしい

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tver.jp/lp/episodes/ep6humvbcs

"死体定食"

すごい言葉生まれたなと思ったけど、考えてみたらとんかつ定食も焼き魚定食も死体定食なんだよな

プロレスは悲しい 

テリーファンク死去
ぶっちゃけ試合見たことないけど、プロレスラーの晩年の情報にふれるのはいつも悲しい
ミッキーロークの映画とかミゼットレスラーに関するルポとか、それ以外にも伝えられる数々の事実の影響で、レスラーのある側面を感傷的にとらえすぎなきらいはある
でも悲しいんだよな

今も昔も、レスラーが客を楽しませるため体のあらゆる部分を毎日毎日マットに叩き付けているのは基本変わりない
ブックの存在や互いの技量は体をある程度守ってくれるけど、完全ではない
体が少しずつ壊れていくのを知りながらやめられない人もいるし、ほんの少しのミスや不幸な偶然である日突然表舞台から消えてしまう人もいる
リングに上がってるとき以外は車いすがないと生活できない人も
オリンピック選手のようにチヤホヤされるわけでもなく、ときに嘲笑すらされる
文字通りに身を削りながらなんでそんなことするんだろうと思うし、なんでそんな残酷なものを自分は見るんだろうとも思う(今はあまり見てないけど)

プロレスの本質はサーカスや見世物小屋だし、レスラーの本質は旅芸人だ
当事者含め同意しない人もいるだろうし、プロレス自体どんどん変わっていく
でもふとした時に感じるもの悲しさは、競技スポーツや他のエンタメのそれとはやはり異質と思う

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