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@gaby 感動的ではありますが,インド英語が字幕と一緒に聞いても全く分からないのにショックを受けてしまいました.この種のショックは昔東北旅行をしたとき以来のような気がします.まあスイスの田舎が出てくる映画をドイツ語字幕で見ても似たことが起こるとはおもいますが,僕は昔の指導教官がスイス人だったことがあるので,これよりは多少はましかと.

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朝から泣いちゃったよ…。

インドのスターバックスCM。
店内で「息子のArpit」を待っている父母。入って来た息子は「娘」に変わっていた。とまどいを隠せない父はカウンターに珈琲を買いに行く。できあがった珈琲3つで名前Arpitaが呼ばれる。
びっくりする娘に「お前がわたしの子どもであることに変わりはない。名前にaが追加されただけだ」と父。

Arpitは男性名、ここにaが追加されてArpitaになると女性名になる。
youtube.com/watch?v=YyKOc8M5w-

ジブリの「おもひでぽろぽろ」の文庫版を読んでみた.主人公の思い出す子供の頃 (僕とほとんど同い年だろう) の思い出が原作をほぼ忠実に再現したものになっているが,主人公の今 (といっても1980年代) の物語は,小津安二郎のあの映画を彷彿させるものである.作中でも,名前は出ないが,「映画の中でのように」として参照されている.
 ところがあの映画がどれなのだかなかなか判明しなかった,杉村春子の演じるお母さんが,原節子の演じるちょっと婚期をのがしかかった女性に息子の嫁になってくれれば,というシーンは Berlin の映画館 (Arsenal かあるいはもっと大きな映画館だっただろうか) で何回もみたはずなのに.これが「麦秋」 (1951) だということが確認できるまでにひどく時間がかかってしまった.

20世紀の後半くらいには,まだ東京でも夕方になると石炭を燃やした匂いが漂っていた.これは,今はなくなってしまったし,自動車も昔のような強烈なガソリンの匂いがしなくなった.でも,これを CO₂ が排出されなくなった,と勘違いする人が結構いるようだ.
 まあ,平均的知性というものが,(日本に限らず)全く頼りにならないものなことは,今さら言ってみてもしょうがないのかもしれないけれど.
 コロナになる前は,毎年ポーランドに行っていたのだが,この夕方になると石炭を燃やした匂いが漂う,というのはポーランドでは(少なくとも僕が毎年行っていたシュレジア地方では)まだあって,なんだか,僕にとっては郷愁をそそる「音と香りは夕べの大気を漂う」だった.

fuchino.ddo.jp/obanoyama.html#

ZDF のニュースで,雨の降っている広島を背景にレポート に Christian Sievers が „Herzlichen Dank Elmar Theweßen live aus dem Regen in Hiroshima“ と言ったが,彼は「長崎は今日も雨だった」という歌を知っているのだろうか?

今日,思い出そうとして,„Dauerauftrag“ という単語が出てこなかった.毎日ドイツ語をヘビーに使っていると思っていても,ドイツの文化的文脈にはいないので,日常の単語はどんどん忘れていってしまっているかもしれない.
 現代では,サーチエンジンや ChatGPT たちなどを使って,連想ゲーム的に単語を再現することができるので,そういった忘れられた単語たちが永遠に記憶の彼方に飛んでいってしまうことは,かろうじて避けられていると思うのだが ...
 この „Dauerauftrag“ も,google サーチで,überweisung monatlich automatisch というキーワードで探して再発見したところである.

Sakaé Fuchino さんがブースト

#数学 ができない人間が総じて「文系」を自称しているせいで文系の平均レベルが大きく下がっている印象を与える。
君たちは文系ではなく"ただ数学ができない人"です。

@hyoyoshikawa 僕は likes が集まらなかったり,書いた本がベストセラーリストに入らなかったりすることは本当に名誉なことだと思っているのですが,書いたことを「酷い」と形容する酷い人が出てくることは,それを上回る名誉だとおもいます.

@gaby 何がはずかしいことなのか,というのは文化依存なので,あなどれないと思います.

今はそうでないのかもしれませんが,イギリスのように素足を見せるどころか靴を脱ぐのことも恥ずかしいという文化もあったりするので ...

「今はそうでもないのかもしれない」と書いたのは僕が最近つきあっている若いイギリス人は,オーストラリアとか南アフリカとかのバックグラウンドを持っている人たちもいるので,本土のイギリス人とは感覚が違うかもしれない,ということもあって彼らの例を代表的なものと考えていいのかがよくわからないからなんですが.

南アジアは,もともとの文化というよりはアメリカやヨーロッパからの観光客に依存しているので,感覚が変わってきている,ということもあるのではないでしょうか.

それから,これは,タイではないですが,逆に,ちょっと前のバリ島でのロシア人のヌード撮影事件みたいなのもあったりするので, まあ,これについては,日本でも靖国神社でヌード撮影をしたらおなじような結末になるかもしれませんが ...

@gaby 大昔,中国を旅行したドイツ人の女性から,聞いたことのある話です.彼女は素足でストッキングをはいていなかったのですが,そのうち,ローカルの人たちは素足はエロすぎてスキャンダラスなことだと考えていることが判明して,peinlich な思いをした,ということでした.

Sakaé Fuchino さんがブースト

The sentence from Borovik's article

«In many countries, politicians, state bureaucrats, theoreticians of mathematics education, and school teachers led by them, made everything possible to turn students into a kind of biorobots trained for passing school exams.»

ought to be discussed and re-discussed by anyone who takes seriously the immense damage inflicted by large publishing companies on mathematical formation.

Several decades after the disaster was started, the results are there, in plain view.

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昨日は,午後に zoom セミナーで話すことになっていたのに,その前の日から徹夜で村上春樹の新しい小説を読んでしまった.

fuchino.ddo.jp/obanoyama.html#

パンデミックは収束しかけているように見えるが,数学者にとっては,感染したことが原因の脳死の可能性のために,気をぬくことができない.

この「脳死」は,数学用語 (特に Paul Erdős の言った意味の) で,全人類の40歳以上の99.99%が該当するような状態のことである.

地球人の人口は,8× 10⁹ くらいと言われていて,統計資料によるとこのうちの約 38% が 40 歳以上ということなので,脳死でない人たちの残りがこのうちの 0.01%としても,40歳以上の脳死状態でない地球人は全世界で30万人くらいはいることになる.

@hyoyoshikawa というか,遺跡とは違って,ここでたまたま発掘されただけで,ナウマンゾウはどこにでもいたんではないですか.

@miraisyakai 全員無効にする,という choice があれば,迷うことなくそれを選ぶと思います.誰かを選ばなければならないというめちゃくちゃなルールを作ったのはいったい誰なんだ!!! @hyoyoshikawa
そういえば,ドイツでは Demokratie 2.0 みたいなことを議論する人が結構いると思うんだけれど,日本にはそういう発想は全くないみたいな気がする.人の作ったルールが神のルールの近似でしかない,と言う発想が絶対的な神の概念がない場合にはできようがないということか.

日本語のある新聞記事に「... と驚いた様子で語った」と書いてあった.
日本人は,過去の経験を,そのときに驚いた,ということを表現するために,驚いた,というそぶりをしながら語る,という,おかしなジェスチャーの体系を持っているのかもしれない.これは僕がそのようなジェスチャーをしない場所に長く住んでいたために,僕のジェスチャーの体系が忘れてしまっていることなのだろうか.それとも意識していないだけで,実は自分でもやっていることなのか.

Macron 仏大統領と,von den Leyen 欧州委員会委員長 が中国を訪問している/いた?が,日本のメディアは von den Leyen の発言や動向いついては殆ど何も言っていない.日本のメディアが彼女の欧州での政治的立場を勘違いしたからなのかもしれないが,女性だから,というのがその理由だったとしたら,笑っちゃうしかない.もっとも Macron に関する報道も読んでみると大本営発表みたいな文面しか出てこないのだが.

Infinitesimal を使う解析学は,日本では,故齋藤正彦先生の造語である「超準解析」という名前で知られている.

mathstodon.xyz/@johncarlosbaez

超準解析を使った解析学の導入については,『数学セミナー』に昔書いた記事の拡張版
fuchino.ddo.jp/articles/susemi
に証明付きで解説している. [参照]

Sakaé Fuchino さんがブースト

Leibniz based his approach to calculus on infinitesimals - numbers that are bigger than zero but smaller than 1/2, 1/3, 1/4, ... and so on. Many people were uncomfortable with these, so they figured out how to do calculus without infinitesimals. That's how it's usually taught now.

But you can do calculus with infinitesimals in a perfectly rigorous way... and in some ways, it's easier! Here's a free online textbook that teaches calculus this way:

• H. Jerome Keisler, Elementary Calculus, people.math.wisc.edu/~hkeisler

The picture here is from this book. There's a tiny little infinitesimal number ε, pronounced 'epsilon'. And 1/ε is infinitely big! These aren't 'real numbers' in the usual sense. Sometimes they're called hyperreal numbers:

• Wikipedia, Hyperreal number, en.wikipedia.org/wiki/Hyperrea

You can calculate the derivative, or rate of change, of a function 𝑓 by doing

(𝑓(𝑥+ε)−𝑓(𝑥))/ε

and then at the end throwing out terms involving ε. For example, suppose

𝑓(𝑥) = 𝑥²

Then to compute its derivative we do

((𝑥+ε)²−𝑥²)/ε

Working this out using algebra, we get

2𝑥+ε

Then, at the end, we throw out the term involving ε and get

2𝑥

This is the rate of change of the function 𝑥².

In 1961 the logician Abraham Robinson showed that hyperreal numbers are just as consistent as ordinary real numbers, and that the two systems are compatible in a certain precise sense. In 1976 Jerome Keisler, a student of the famous logician Tarski, published this elementary textbook that teaches calculus using hyperreal numbers. And now it's free with a Creative Commons copyright!

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