「和魂洋才」あるいは,これの元の表現になっていると思われる「和魂漢才」は,日本文化を論じるときの重要なキーワードの一つでしょう.
今年の初めに『現代思想』書いた論理教育 (倫理教育ではありません) に関する論説では,和魂洋才というタイトルの節を設けて,これについて少し論じてみました.
https://fuchino.ddo.jp/misc/logic-2022-x.pdf#page=22
私はいわゆる「教育」の専門家でないので,これは専門外からの場外乱入の作文だったのですが,大方の「専門家」からは無視されてしまったかもしれません.けっこう本質的な鋭い指摘をしているつもりなんですが ...
この作文のエピグラフの一つに,
言葉には、言葉そのものを認識したり説明したりすることを可能にする働きがあることを理解すること
という語句をあげていますが,これは,
文部科学省、高等学校学習指導要領(平成30 年告示)解説 国語編
の論理国語と題された節からの引用です.他のエピグラフは,それぞれ Gödel と Wittgenstein の有名な言葉ですが,この「言葉には、 ... 」は,それらに劣らない名言と言えるでしょう.