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「二つの科学革命」

 一般的に科学史においては、17世紀、デカルト、ライプニッツ、ニュートンの時代に、微積分と万有引力理論の結合において、「科学革命」が起こった、とされます。

 しかし、この時点では「自然科学」ではなく「自然哲学 natural philosophy」。ニュートン自身も、錬金術の研究や神学の研究も行っている。

 またニュートンは有名な「南海バブル事件」への投資で現代換算で約4億を失い、「私は天体の動きは予測できるが、狂った人間の行動は予測できない」と明言を残している。これは、2008年リーマン・ショックの際の「金融工学」の連中と同じ感想(ただ後者は「確信犯」だったけれども)。

 18世紀末から19世紀初頭の産業革命は「科学者」ではなく、「起業家」+「発明家」による試行錯誤の技術革命。

 蒸気機関の原理自体はヘレニズム時代のアレクサンドリアで発見され、巨大図書館の開閉など一部では利用されていた。

 19世紀物理学は大きく熱力学、電磁気学、光学の分野に分岐して進化。

 20世紀の「科学革命」は、この三つの分野を横断して「パラダイム」チェンジを引き起こすこととなる。

 それが相対性理論と量子論による「第二次科学革命」。
 この際、一時分離していた数学と物理学が一瞬交差します。

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BT

韓国のゲーム会社で、過去にフェミニズム的な活動をSNSでおこなっていた女性社員が、その活動を理由に男性ユーザーたちから抗議を受け、会社から解雇されたそうです。

(ハンギョレ紙・自動翻訳)

ゲーム業界の女性作家、また解雇···「フェミ検証で生業を絶つ、不法」

papago.naver.net/website?local

「モバイルゲーム開発に参加した女性イラストレーターが過去のSNSでフェミニズムを支持する活動をしたという理由で解雇通知を受け論難が起きている。ゲーム業界に蔓延した「フェミニスト検閲」と「女性嫌悪」にまた一人の女性労働者が働き口を失ったわけだ」

「A氏が解雇されたのは男性利用者の反発のせいが大きい。先立って男性利用者たちはリンバスカンパニーの女性キャラクターが身体露出が少ない全身水着を着用していたり体つきが平面的だなどの理由を挙げて「フェミニズム開発会社」とプロジェクト文を非難した」

「特にA氏が解雇通知を受ける数時間前、利用者10人余りが直接プロジェクトムン本社を訪ねて抗議したりもした」

日本社会に暮らす私たちにも既視感のある「フェミ叩き」。
こういうところまで似ているのですね・・・。

(引用した部分で自動翻訳が不自然な箇所はちょっと直しました)。

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 一般論としては、各々の国の中等教育の内容は、それぞれの国が決定する。

 しかし「例外」はある。例えば現在の国際社会の土台=合意としての「反ファシズム」。

 例えば、ドイツの中等教育で「ナチスもよいことをした」という内容をドイツ政府が主権国家の専権事項、と主張することはできない。あるいは「ホロコースト」を広告のネタにすることは許されない。

 日本の中国侵略や「従軍慰安婦」=「性奴隷制」も同様。

 ただし、植民地支配に関しては連合国側も、WWII終了時点では継続するつもりであり、植民地支配の記憶の伝承については、「ファシズム」の記憶と別扱いになり、20世紀中は混乱が続いた。
 日本国内でも、ある時期までは1931年の満州事変以降の侵略が前景化し、1880年代からの日本の朝鮮侵略、植民地化への反省はやや遅れ気味だった。 

 しかし、オランダ、ベルギーの例に見られるように21世紀に入ってから、植民地支配の記憶に関しても、世界的に見て潮目は大きく変わった。

 もう一つの「例外」は核兵器。これは主権国家を含む全世界の生存に直接関わる問題であるから、単なる主権国家の専断事項となるべきではない。

 核兵器の使用がどのような「惨状」を引き起こしたかは、全人類が知ることが望ましい。

 

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「資本主義と産業革命は別の概念である」

 議会主義と民主主義に似て、資本主義と産業革命も別の概念。

 これも日本には、明治以降双方同時に来たので、混同されやすい。

 歴史的に言うと、ウォーラーステインは資本主義世界経済に構成される「近代世界システム」を17世紀に誕生とする。

 17世紀は欧州でも「近世」。であるから「近世資本主義」が出発点ということになる。ブローデルのようにイタリアを中心として見れば16世紀に資本主義の誕生を見ることも不可能ではない。

 他方、蒸気機関を動力とする「産業革命」は18世紀末から19世紀初頭。

 であるから、フランス革命ーナポレオン戦争は、産業革命以前の兵器で戦われた。ネルソンの英国艦隊も、鉄と蒸気機関ではなく、木を素材とする帆船で構成された。

 科学史的に見ると、この時点までは科学と技術は、分離して進化。
 19世紀末にドイツにおいて化学分野において両者の連動が始まる。

 決定的だったのはWWII中のマンハッタン計画。この際の原理物理学の工学的応用の「成功」から、国家による「科学・技術」への巨大投資が始まる。

 生命科学、インターネット、AIなども、マンハッタン計画の延長線上。
 ただし、科学というよりは技術への投資・進化が中心となっているけれども。
 

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 従って立憲主義・自由主義と民主主義の間は決してスムーズな正の関係ばかりではなく、軋轢は元来発生するようになっている。

 「価値」のレベルでも民主主義は政治的決定における「平等」を重視しますが、自由主義は「経済活動」を「自由」にするための保証・インフラ・投資を国家に求める。が、社会的・経済的「平等」には無関心ないし敵対的。

 英国的資本主義は18世紀中に英国を中心にかなり広がっていきますが、世紀末には仏ではすでにお決まりの格差と貧困が前景化していた。

 1789年の革命は当初「英国的立憲主義」を目指していたものの、農民や都市民衆が革命に参加することによって、「自由」とともに「平等」の比重が高まっていきます。

 ここに国民公会期に左にエべール、中道にロベスピエール、右にダントン、という構図が定まり、思想家としては「反英国代議制」のルソーの「平等」が「徳の共和国」の原理となった遠因があります。

 尚、仏本国でもロベスピエール、サン・ジュストのイメージは「恐怖」であり、18世紀啓蒙思想家のようにパンテオンには収められていません。

 しかし、一度フュレとともに大きく右に揺れた革命解釈、昨今の資本主義の危機の中で、今度は大きく左に触れている。実際自由と平等を対等に掲げた革命は仏革命以外にない。

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「代議制体と民主主義」

 代議制民主主義はWWII以後の日本では同時に誕生したので、代議制と民主主義の関係について、日本ではやや混乱した理解が見られます。

 概念的には「民主政」は古代のものであり、税の徴収を目的とする「議会」は中世起源。

 18世紀の英国代議制は反「民主的」な自由主義・立憲主義体制。英国代議制は「主権」という概念を嫌いますが、あえて言えば「議会」主権(決して「人民主権」でないことがミソ)。

 であるから、司法と議会が対立した場合は議会が優先。故に英国には長く憲法裁判所や違憲審査がなかった。
 この代議制体は「権威主義ー自由主義」体制と言えましょう。これを「保守主義」と定式化したのがE.バークです。

 それに対し、フランス革命時の国民公会は、人民主権。ただし、この際は「政党」がない。「ジャコバン」派のでも「山岳派とジロンド派」が争う。

 政党がないために、いわゆる「党議拘束」がなく、パリのコミューン単位の院外行動に、大きく左右される。いわば「政党なき代議制民主主義」の段階。

 19世紀中英国では「民主主義」=「反体制」。20世紀の世界戦争でドイツを共に敵とするにあたり、「西欧」=英仏を「民主主義体制」と再定義した。

 また総力戦体制の構築の過程で、英国の格差は急激に縮小。

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8月からの原爆、そして終戦記念日。メディアは一斉に戦争の災禍の無数の経験を語り、それは貴重なのだが。

そこにはいつも災禍の犠牲になった無辜の人びとのみがかたられ、災禍=悪を引き起こすにいたった罪のある人間たちを指す主語がない。

戦争を引き起こし、協力し、実行に手を貸した人間たちの名前がない。

かれらが何を戦前、戦中にしたかが語られない。

かれらが苦しめ、傷つけ、時には残酷に死を与えた多数の人びと、集団に対しての名前も与えられない。

岸、兒玉、笹川といった無罪で放免されたA級戦犯者たちの名前もなければ、かれらが戦後なにをしたか──2023年の現在までにいたる、戦争の罪は問われない。

ウィシュマさんが名古屋の入管施設で残酷に放置されたま死を迎えたのとほぼそのままに、戦後二ヶ月経ったというのに、政治囚のまま豊多摩で疥癬を放置されて枯木のように死んだ、三木清のようなひとの名前がない。

戦争は自然災害ではない。引き起こし、担いだひとがいる。最悪なことにかれらは戦争を終わらせた自覚も覚悟をもてないままだった。国もまた断線を引けなかった。だから今もまた、戦前・戦中の亡霊は生きている。

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 このヨーロッパの大動脈に関してはアナ―ル派最大の歴史家ブローデルが明快に分析・記述している。

 ルネサンス・近世におけるこのラインの経済的動脈故に、ハプスブルクVSヴァロワの対決は全欧州、+オスマン帝国も含めた全地中海的なものになった。

 例えばカール5世とフランソワ1世。神聖ローマ帝国皇帝であるカールは本気で「キリスト教普遍帝国」の復活を意図し、それは実現一歩手前まで行った。

 それを阻んだのがフランソワ1世・スレイマン1世の同盟(ウィーン包囲)とルターの宗教改革及びそれを支持した北ドイツ諸侯。
 このキリスト教普遍帝国の挫折から、インターステイト・システムが誕生する。

 政治家としてはこの時期、他に英国のヘンリー5世、教皇レオ10世(ジョバンニ・ディ・メディチ、ラファエロのパトロン)。

 一世代前は皇帝マキシミリアン1世(デューラーのパトロン)、イタリア戦争を始めたシャルル8世、レオナルドのパトロン、ミラノ大公のイル・モロ、そして教皇アレクサンドル6世にその息子、チェザーレ・ボルジア(マキャヴェリが『君主論』を捧げた)、それにルイ12世です。

 日本で欧州人文学ではまず美術史と政治史が分かれ、また政治史は国別になります。
 であるから、ここに挙げたようなラインは個別に研究される。
QT: wstrsd.masto.host/@adachika192
[参照]

Adachi_Kaori  
ある方のスレッドで、 >“日本の西洋史学”は国民史の枠組みに囚われており、ハプスブルク帝国のような存在は視野に入っていない >例えばホイジンガのような「国民文化」を超える「欧州文化」の視点は“日本の西洋史”に引き継がれていない というような見解が流れていきました。 さて。“日本の西洋史学...
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 さて、ご紹介いただいているシリーズの内、『地中海世界史』について見てましょう。

 この企画、私もとてもよいものだと思いますが、これもやはり「古代」・「中世」を中心にしたものです。この時期は「国民」が存在していないので、「国民史」とはなりません。

 また、この時期からは歴史学と思想史が分離するので、古代ギリシア哲学における「エジプトの影響」なり「アフリカのキリスト教の重要性」なり、「ユダヤ・キリスト教」のオリエント起源なり、というトピックは扱われない。2,3に挙げられている叢書についてはコメントは省きます。

 それよりも重要なことは、日本の「歴史学」のディシプリンはそもそも欧州、特にドイツ(ランケ)から導入されたものであったため、近代史においては当然国民史・国家史から出発せざるを得なかった、ということ。

 日本中世史の創始者原勝郎、東洋史の狩野直喜、宮崎市定さえ欧州に留学しています。

 さて、ホイジンガに戻ると、『中世の秋』はブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』と並んで、文化史であるとともに文学作品と言えるもので、これは簡単に「模倣」・「導入」できるものではない。

 まずはロンドン、フランドル・ブルゴーニュ、リヨン、イタリアという当時の欧州の動脈の分析から始めるべきだったでしょう。
QT: wstrsd.masto.host/@adachika192
[参照]

Adachi_Kaori  
(続き) 一般書籍で見ても「国民史の枠組み」が〈各国史〉叢書として存続する一方、『地中海世界史』全5巻(青木書店 1999-2000年)*1 や『地域の世界史』全12巻(山川出版社 1997-2000年)*2 のような企画も充実しています。気軽に読める叢書で〈世界史リブレット〉(山川)や〈~を...
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「日本の西洋史についての補足」

 私は昨日、ホイジンガの「中世の秋」について投稿しました。

 それに対して補足がありましたので、こちらからも補足します。

 「中世」においては「国民」はまだ誕生していないので、当然「国民」史とは異なります。

 ただ、まったくスタイルが違う増田四郎、堀米庸三は二人とも、まだ「ヨーロッパ中心主義」の中世史です。欧州では、1970年代くらいから「中世文化」の多くがイスラム起源であることが注目されるようになり、この方面からの研究が進みました。例えばトマス・アクィナスなどのスコラ哲学、医学などがその典型です。

 阿部勤也、二宮宏之は「社会史」を志向したと言えますが、トランスナショナルな「脱国民史」の視点があったとは言えません。
 またアナ―ルの「心性史」はある意味、典型的な仏中心主義なものです。ですから、現在ドイツから「感情史」が導入されていますが、輸入している当人たちが「心性史」との関係について学会での質問に答えられない、ということは起こるのです。

 さて、ホイジンガの訳者である堀越孝一に関して言うと、歴史家としての力量で上に挙げた人々とは比較になりません。
 翻訳はしているもの、ホンジンガの仕事の「賭金」に関しては何も理解していない、と言ってよい。
QT: wstrsd.masto.host/@adachika192
[参照]

Adachi_Kaori  
ある方のスレッドで、 >“日本の西洋史学”は国民史の枠組みに囚われており、ハプスブルク帝国のような存在は視野に入っていない >例えばホイジンガのような「国民文化」を超える「欧州文化」の視点は“日本の西洋史”に引き継がれていない というような見解が流れていきました。 さて。“日本の西洋史学...
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 J.ホイジンガについて

 J.ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』などでも知られる20世紀を代表する文化史家の一人。

 オランダ人であり、日本とも関りが深いライデン大学学長となった。WWII中にはオランダを占領したナチスによって強制収容所に監禁。1945年オランダ解放直前に死去。

 私は大学生の時、幸運にもライデン大学学生との3週間程の交流プログラムに参加する機会があり、オランダに滞在した。その際は、あちこち案内してもらい、私個人にとっては「よい想い出」しかない。

 ただオランダはWWII中の日本の「性奴隷制」を含む戦争犯罪にはきわめて厳しい態度で臨む国でもある(インドネシア解放の名の下で「慰安婦」にされたオランダ人女性もかなりいる)。

 昭和天皇は1971年にオランダ訪問した際、搭乗する車に魔法瓶をぶつけられ、窓ガラスにヒビが入った、という事件もある。

 ホイジンガに戻ると、オランダ人でありながら、ブルゴーニュ公国の文化史を俯瞰的に描くことで、「国民文化」の枠を超えた「欧州文化」への視点を提出しようとしたと言える。

 これはナチスの逆鱗に触れるのは当然である。

 しかし、ホイジンガの視点、どうも日本の西洋史には引き継がれていない。 

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 考えてみれば、ジブリの「ハウルの動く城」も舞台はハプスブルク統治下の山岳自体であったような気がする。

 フランドルは英仏百年戦争の終り頃には、ホンジンガの名著『中世の秋』で知られるブルゴーニュ公国の統治下にあった。

 ジャンヌ・ダルクを見殺しにしたシャルル7世の息子ルイ11世の時に、ブルゴーニュ公シャルル「突進公」がスイス・パイク兵(長槍密集歩兵)に敗死してから、ブルゴーニュの大部分はフランス王国に吸収。

 しかし「突進公」の娘マリーは婚約者のハプスブルクのマクシミリアン(まだ神聖ローマ皇帝ではない)に助けを求め、僅かな時間差でマクシミアリンはフランドルに到着。

 マクシミリンはブルゴーニュ公としてギネガテの戦いで、やはり歩兵密集集団でフランス重騎兵突撃を大破。
 
 以後フランドル支配を不動のものとした(尚。マクシミリアンから神聖ローマ皇帝はハプスブルクの事実上世襲となる)。

 このマクシミリンとマリーの子フィリップと「狂女」とされるスペイン王女ファナの間の子が、かの神聖ローマ皇帝にしてスペイン国王、カール5世。

 カール5世はフランドルで生まれ育ち、母語はフランス語。スペイン語はスペイン国王になってから習得。

 この辺りは国民史として出発した日本の西洋史学は完全に死角になっている。

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 子供の頃、観たアニメ作品で記憶に残っているものとして、「アルプスの少女ハイジ」、「フランダースの犬」、「母を訪ねて三千里」、「赤毛のアン」などがある。

 「ハイジ」、「フランダース」などは、ある意味独仏などの欧州大国ではなく、ある意味周辺的な地域を舞台にしているのは興味深い。

 フランダースは「フランドル」の英語読みで、場所的には現在のオランダ・ベルギーにあたる。

 アニメの最初にはフラマン語(オランダ語)の歌が挿入されているが、これは1975年という放映時では、日本人にはほぼ馴染みがなかったのではないだろうか?

 私は3度ほどアントワープに行ったことがある。その内、一度「ネロ」がその前で死んだとされるルーベンスの絵がある教会に行ったことがある。
 そのルーベンスはそれほどのものでもない、とは思ったものの、観光客相手の現地の人が「パトラッシュ、パトラッシュ」と声をかけてきて、グッズを売りつけようとしたので驚いた(俺は犬か!)。

 ハイジの「お爺さん」は元傭兵で外国経験も長い。当然「民間人」の間では泰然自若として、且つ「なんでも知っている」筈だ。であるからハイジはお爺さんに「教えて」もらうことで成長できた。

 フランドル、スイスは共にハプスブルクVS仏王権の因縁の地域である。

 

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 日高六郎さんは名著『戦後思想を考える』の冒頭で次のように書いている。

 極東軍事裁判において「A級容疑者を釈放。・・・しかし岸信介、児玉誉士夫、笹川良一にだけは学生の注意を喚起しよう。いや、もう一人できれば安倍源基(戦時の内務大臣、戦後は衆院議員)の名も教えたい。彼は特高関係を歩んだ人間である。」

 「冷戦の激化の中で、私はその意味を鮮明に理解した。児玉、笹川、岸は、釈放されるべくして釈放された。つまり釈放する方がアメリカの世界戦略の本筋だったのである」

 「いわば戦後は、その一点から鮮やかに照らし出されている」

 日高六郎さんはまさに「反ファシズム」と「グローバル冷戦」の双方に「独立」左派として抵抗したグループの代表と言える人。

 また帝国日本の植民地である青島で1917年に生まれ、旧制一高に入学するまでそこで育った日高さんは、日本の植民地責任に極めて敏感な人でもあった。

 例えば、日高さんは日本国憲法の制定過程で、日本側の司法官僚が「国籍条項」を挿入し、独立後の朝鮮人、中国人の法的権利を剥奪する工作をしたことを批判し続けます。

 『戦後思想を考える』は1983年出版。83年はニューアカ・ブーム、84年埴谷・吉本論争、ここから日本の文化言説はポストモダニズムへと滑り落ちていく。
 

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いわゆる「もの言う株主」(「アクティビスト」)の話(ターゲットにした会社の経営に口出しできるくらい、たくさん株式を買って大口の株主になって、株主にとってのみ利益になるような口出しをさんざんして、得られる利益を得たら、株式を売却して去る。残されるのはいろいろ吸い尽くされた会社、みたいなの)、
最近しょっちゅう記事になりますね。

このあいだのそごう・西武の労働組合のスト権確立の記事、日経だと見出しが「物言う労組」になってて、吹き出してしまいました。

本来の「アクティビスト」で「物言う」のは労組のほうなのに!

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 しかし、自衛隊空軍トップの「フランス軍の心意気を感じた」、不思議なコメントではある。

 記事では、わざわざ「遠い所からおいでいただいて」、ということだけれども。

 全体に、この記事、どうも「間の抜けた」感じが漂う。ラファールと自衛隊のF2の「共同飛行」のイベントにファン達が集まったなどと書いているのだが、どうも緊張感がない。

 ま、これは朝日的に「あえて」緊張感を薄めている可能性もある。日経は、より「真面目に」軍事戦略を語る。
 この真面目な「戦略論」がまたナイーヴで「間が抜けている」ので、一般市民としては困るのだけれども。

 ところで、仏の海外県に戻ると、他に南米にギアナ、太平洋にタヒチ(ゴーギャンで有名)。パリ・コミューンの後、生き残りのコミューン参加者たちはこれらの植民地に「流刑」となった。
 有名な女性アナーキストのルイーズ・ミシェルはニューカレドニアに流刑。彼女はここでも征服された先住者(カナク)の側に身を置き、1878年の蜂起の際はカナクを擁護する。

 仏は、大半の植民地独立の後もこれらの地域を「海外県」として保持。仏領であるので、その周辺には排他的経済水域をもつ。

 現在米軍以外で唯一原子力空母を有し、「七つの海」を巡回。無責任なシリア空爆にも参加。これはいただけない。
 

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BT)の毎日新聞記事、「フランス軍の心意気を感じた」との自衛隊空軍トップの談話をしめにしている。いやはや。

 ま、これはマクロンが「東京は北大西洋ではない」と公式にNATO東京事務所開設に反対したため、日仏の「疎隔」を打ち消すためのパフォーマンスではあるのだろうけれども。

 しかし、毎日の記事の「ブレ」は大きい。これは、良くも悪くも朝日と比べて組織統制がとれておらず、現場の記者、ないしデスクの裁量権が大きいから、と一般的には言われる。

 ただ、いわゆる「安全保障」案件については、全国紙の間に大きな「差異」はない。勿論日経が一番ストレートだが。

 フランスに関しては、WWIIまでは米国よりも軍事大国であり、また軍事産業大国でもあった。

 WWII以後も空軍機などの開発に力を入れ、第三次中東戦争で奇襲によってエジプト空軍を壊滅させたイスラエル空軍は仏ミラージュ(蜃気楼)戦闘機(米からの軍事衛星情報に基づく)。

 ラファールとは「疾風」。ネーミングのセンスは米国よりも「凝っている」とは言える。現在エジプト空軍、インド空軍などで運用。

 モード・コスメティック、芸術(近年急速に衰退)の国であるともにカリブ、インド洋(レ・ユニニオン)、太平洋(ニューカレドニア)に海外県をもつ、これがフランス。

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フランス戦闘機ラファール、日仏防衛交流ゆかりの地を飛ぶ 埼玉 - 毎日新聞ニュース
mainichi.jp/articles/20230728/

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「2003年熱波@パリと生存権」 

今日は(も)暑かった。身体がほてってきので、夏風邪による発熱か、と思ったら、気温が37度超えていたのだった。

 体感的には2003年のフランスの夏の「熱波 Canicul」と同様の脱水症状が起こりやすい。

 あの時のパリでは、まだ一般家庭ではクーラーをつけておらず、また「熱波」が来たからといって、「市場」で買えるような状態でもなかった。

 私は今は東大の先生をしている宇野重規さんからアパルトマンを受け継ぎ在仏中。扇風機1台だけだったが、部屋を広かったので、太陽の動きに合わせて、影に移動して読書してしのいだ。

 あの頃まだパリにはスターバックスは1店舗もなく、マックは数店舗あったので、そこのエアコンに避暑にいった若者も多かった。

 問題は建物の最上階(多くは屋根裏部屋)に住む高齢者で、あの夏、「熱波」が原因で5千人以上亡くなったと記憶している。

 しかし、日本の生活保護世帯には、まだエアコンを認めていないと聞いているが、日本が「亜熱帯」に移行した今、憲法25条の「生存権」の保証のためにはエアコンはもはや必須だろう。

 そのための財源は、43兆円計上している軍事費か法人税から出せばよい。

 

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>日経新聞のコラム「春秋」

この森村誠一さん追悼のコラム(7/26)、代表作『悪魔の飽食』の代わりに『黒い墜落機(ファントム)』を挙げています。

『黒い墜落機(ファントム)』は、
「百里基地から飛び立った自衛隊の戦闘機(模擬核兵器を搭載)が山奥の寒村に墜落。その事実を隠蔽するため、全国の自衛隊精鋭が集められ、村民抹殺が図られる」
という筋の、自衛隊に対する批判がじかに書き込まれたサスペンス小説です。
登場人物のなかには「反戦自衛官・野崎」という人物もいて、これは実在の反戦自衛官・小西誠氏をモデルにしていることがはっきり分かるよう、書かれています。

日経コラムはこの小説の中身には一切触れず、作者あとがきの「強大な権力や組織に対して無力な市民はゴマメの歯ぎしりもできない」。「だが「蟷螂の斧が痛烈な一矢を報いるのが小説の特権」」という箇所を引用しています。

「蟷螂の斧が痛烈な一矢を報いる」相手は、森村氏がこの本のなかで批判する自衛隊や日米安保を指すはずですが、
「作家生活は50年超。この間、日本の組織から不条理や理不尽は減ったろうか」という一般論にすり替えて締めています。

このように当たり障りない一般論で大事なことを隠そうとする「態度」こそが、森村氏が長年闘っていた相手だったのではないでしょうか。

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