ある方のスレッドで、
>“日本の西洋史学”は国民史の枠組みに囚われており、ハプスブルク帝国のような存在は視野に入っていない
>例えばホイジンガのような「国民文化」を超える「欧州文化」の視点は“日本の西洋史”に引き継がれていない
というような見解が流れていきました。
さて。“日本の西洋史学”といっても幅広いのですが、自分の専門に近いこともありまずはヨーロッパ中世史の面々が思い浮かびます(敬称略):
日本も包括する世界史を構想した上原専禄(1899-1975)を筆頭に増田四郎(1908-1997)・堀米庸三(1913-1975)等、専門領域を深めながら大きな歴史観も提示するスタイルは次の世代にも受け継がれ堀越孝一(1933-2018)・森本芳樹(1934-2012)・阿部謹也(1935-2006)等の業績があります。特にホイジンガの訳者である堀越がその批判も踏まえて展開した独自の心性史を見逃すことはできないでしょう。勿論アナール派を翻訳・紹介した二宮宏之(1932-2006)や福井憲彦(1946-)等もその手法を自ら発展させ日本の史学界に広く影響を及ぼしました。
(続く)
このヨーロッパの大動脈に関してはアナ―ル派最大の歴史家ブローデルが明快に分析・記述している。
ルネサンス・近世におけるこのラインの経済的動脈故に、ハプスブルクVSヴァロワの対決は全欧州、+オスマン帝国も含めた全地中海的なものになった。
例えばカール5世とフランソワ1世。神聖ローマ帝国皇帝であるカールは本気で「キリスト教普遍帝国」の復活を意図し、それは実現一歩手前まで行った。
それを阻んだのがフランソワ1世・スレイマン1世の同盟(ウィーン包囲)とルターの宗教改革及びそれを支持した北ドイツ諸侯。
このキリスト教普遍帝国の挫折から、インターステイト・システムが誕生する。
政治家としてはこの時期、他に英国のヘンリー5世、教皇レオ10世(ジョバンニ・ディ・メディチ、ラファエロのパトロン)。
一世代前は皇帝マキシミリアン1世(デューラーのパトロン)、イタリア戦争を始めたシャルル8世、レオナルドのパトロン、ミラノ大公のイル・モロ、そして教皇アレクサンドル6世にその息子、チェザーレ・ボルジア(マキャヴェリが『君主論』を捧げた)、それにルイ12世です。
日本で欧州人文学ではまず美術史と政治史が分かれ、また政治史は国別になります。
であるから、ここに挙げたようなラインは個別に研究される。
QT: https://wstrsd.masto.host/@adachika192/110799817328001581 [参照]