昨日のイカの塩辛バターのおにぎり、出来立ての温かさで急いで食べちゃったけどもっとゆっくり味わえばよかった、めちゃくちゃ美味しかったなあ〜、と寝起きで思い出しているくらいなので、あのお店が人気店なのも納得です。
家で塩辛おにぎり作っても絶対ああならないな〜。しっかり握ってあるんだけど、食べるとふわっとほどけて、中からバターの香りと塩辛が!! あと薄味の厚焼き玉子もちょうどよかった。
えーこんなショート動画作ってるの全然知らんかった最高や……!https://www.youtube.com/shorts/wwOlM82A0ac
#高石ともや さん死去。
反戦平和を伝えるフォークシンガーであり、社会風刺ソングも面白かった、関西フォークブームの牽引者だった。
わたしも、高石ともやファンの友人と一緒に「年忘れコンサート」へ行ったことがある。
トークが楽しいし、シングアウトも楽しかった。
わたしが好きな高石ともやのナンバーは「陽気にいこう」「受験生ブルース」、「街」、「死んだ男の残したものは」。
残念……。
まだ生きていてほしかった。
フォーク歌手の高石ともやさん死去 82歳 「受験生ブルース」 マラソンランナーとしても活躍
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/08/19/kiji/20240819s000413H4098000c.html
中上論としては、亀有碧「中上健次の〈アジア〉思想」(2023)が久保の議論を引き継ぐものと言えそうだった。
(pdf注意) https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/2007580/files/lis2108.pdf
『ヒズ・ガール・フライデー』みた アマゾンプライムはクラシック作品が結構ある
・記者が殺人以外ならなんでもした時代……という言葉から始まる通り、元夫である新聞の編集長が無茶苦茶な手しか使わない あと見た人全員言うと思うが、全編ものすごい早口
・ただアマプラで見られるやつはフィルムの状態が悪いのか役者の顔がほとんど白飛びしてしまっていて表情はほとんどわからない
・1940年公開の映画ですが、あれだけ弁が立って職業もあり男と対応に渡り合える女性キャラクターがいるというのは単純な感想だけどすごい ホークス的女性像で色々批評もされているようだけど
・なんでいきなり見たかというと、ツイスターズ(ドハマりしてる)にハワード・ホークス作品の影響がある……というのを見かけたから ほんとはハタリ!の方が直接的な引用があるっぽいので見た方がよさそうではあるんだけど
#映画
『明日は来らず』(1937、レオ・マッケリー)
何だか『東京物語』みたいな話だなと思ったら、箱の解説に『東京物語』に着想を与えた作品だ、と書いてあった。日本公開時に野田高梧が観ていてそれをヒントに小津と『東京物語』の脚本を書いたんだとか。知らないことがいっぱいあるもんだな。
老夫婦が家のローンが払いきれず家を差し押さえられることになり落ち着き先が見つかるまで子どものうちで預かることになる。でも、二人を一度に引き受ける余裕だ誰にもないので、長男と長女のうちに別々に引き取られる。しかし、子どもの家族との関係はどうしてもうまくいかず、という話。
長男一家と母親との齟齬の描写がなんとも言えずいたたまれない感じ。最後は母親が女性用老人ホームに父親がカリフォルニアにいるの子ども(一度も画面に登場しない)の家に行くことになり遠く離れることになるんだけど、二人で街の思い出の場所を訪ねて回るところで何か今生の別れのような雰囲気を醸し出す。
コメディ作家のマッケリーなのでユーモアのトーンはあるので暗い映画じゃないんですけど、沁みるというか、名作って言っていい気がする。
#映画
https://www.amazon.co.jp/巨匠たちの-名作映画-明日は来らず-DVD10枚組-ACC-291/dp/B0D7C8XTWK
トルコに行って「日本人」とわかるとたいてい関心をもち、親切にしてもらえる。
これは欧州では普通、日本・韓国・ベトナム、そして中国が「同じ黄色いアジア人」として括られ、対して関心も寄せられないのと対照的。
何故と云うに、トルコの人々にとって長年悩みの種である強国ロシアと対峙、その上1904-05年の戦争に勝利したという「日本」イメージが一般に流布しているからだ。
19世紀以来ロシアの南下政策に苦渋を舐めさせれて来たトルコ人にとっては、アジアで「はじめて西洋列強」を破った「アジア系」国家、になる訳だ。東郷平八郎などはそれなりに知られた有名人である。
もちろん、トルコはほとんど地球の裏側であるから、日本帝国主義の侵略を受けたことはない。であるから、その点でのマイナス。・イメージもない。
しかし、日本のインテリがその「ぬるま湯」にどっぷり使って、近代日本の植民地支配・侵略戦争を反省もせず、「西欧啓蒙」を糾弾している姿ほど滑稽なものはない。
ちなみに研究者の間ではオスマン・トルコとは言わない。オスマン帝国はトルコ人のものでなく、多民族・多宗教を包摂する「普遍イスラム帝国」だった。オスマン語も現代トルコ語とは別である。
ただ、当時の西欧はオスマン帝国のことを「トルコ」と呼んでいた。
『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンと聞くと頭に浮かぶのは、淀川長治さんが『太陽がいっぱい』はゲイ映画だと指摘したという話で、思い出したついでに検索したら吉行淳之介との対談を引用している記事が出てきた。
https://rectischiac56.rssing.com/chan-25566612/article36.html
引用すると、
淀川 なぜ、そんなことわかるかというと、映画の文法いうのがあるんです。一番最初、ふたりが遊びに行って、三日くらい遅れて帰ってくるでしょう、マリー・ラフォレの家へ。マリー・ラフォレのこと絵本でも買ってごまかそういって。ふたりが船から降りる時ね。あのふたりは、主従の関係になっている。映画の原則では、そういう時、銃のほう、つまりアラン・ドロンが先に降りてボートをロープで引っ張るのが常識なのね。ところが、ふたりがキチッと並んで降りてくる。こんなことあり得ないのよ。そうすると、そばで見ていたおじいちゃんが、あのふたり可愛いね、いうのね。そして、絵本渡したら、マリー・ラフォレ怒ってしまうでしょう。あの映画、マリー・ラフォレとモーリス・ロネ、マリー・ラフォレとアラン・ドロンのラヴシーンほとんどないのね。
(引用終わり)
こういうのを解像度が高いっていうのか知らないが、細かいところよく観てるなあって。
A.ドロン死去(88歳)。
フランスの俳優にしては珍しい「イケメン」だった。
同世代のもう一人のスター、J=P.ベルモンドが「勝手にしやがれ」などの役柄とは異なり、ブルジョア出身の「インテリ」だったのに対し、アラン・ドロンは、家庭環境が安定せず、海軍兵士としてインドシナ戦争に従軍もした。
実際、アランは「インテリ」とは言えず、マフィアとの関係も「公然の秘密」だったとされるが、若い頃は「繊細で知的な青年」を演じることが多かった。
例えば、ゲイであったL.ビスコンティに愛され、『若者のすべて』や『山猫』などに出演できたことは、ドロンにとって幸運なキャリアだった。またJ=P.メルヴィルの映画にも複数出演、これらはすべて歴史に残るだろう。
他方ヌーヴェル・ヴァーグからは目の敵にされたルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』では「現代のジュリアン・ソレル」を演じ、大衆的にも一挙に大スターになる。
実際これは、今見てもアラン・ドロンの俳優としての潜在力を引き出したよくできた映画だと思う。
この美的センスは日本の「太陽族」を演じた代表とも言える石原裕次郎とは全くレベルが違う。
その上、ゴダールの「ヌーヴェル・バーグ」にも出演しているのだから、まさに時代に恵まれたと言えるだろう。
"「タンポン・ティム」は、ミネソタ州知事のワルツ氏が2023年、州内の公立学校の4〜12年生(日本の小学4年〜高校3年生)の生徒が使用するトイレに生理用品を無料で設置することを義務付ける法案に署名したことに由来する。 この法律は対象者を「生理のあるすべての生徒」としており、女子トイレだけではなく男子トイレにもナプキンやタンポンなどが設置可能になった" https://www.huffingtonpost.jp/entry/tampon-tim_jp_66b43b8de4b042ee2ccfeb0b
昔見たRedditのスレッドで、中国人の妻と一緒に一時日本に住んでた英語圏の人が、感じのいい日本の銀行員が日帝軍の加害を知らなかったことで妻が傷ついた話を書いてた
妻の出身地記入を見た銀行員がニコニコと「そこ行ったことあります、憩いの場になる綺麗な公園があって素晴らしいですよね」って言ってくれて、ほんの僅かに妻の顔が曇ったことに気づいた夫(書き込んだ人)が後で聞いたら、その「美しい公園」、日帝軍に処刑された無数の人たちの慰霊地やったらしいんよ
折に触れて思い出す話なんやけど、その手の反戦漫画見たときにもいつも思い出す
私も勉強不足なので他人に偉そうなこと言える立場ではないけど、要するに「知っとかなあかん」っていうこと
おじいちゃんが語れなくても仕方ないかもしれない、語ったとしても個人のことなので不特定多数に話す必要はない、けどお孫さんや私たちは知っとかなあかん
この時期になるとTwitterで「おじいちゃんが戦争で心を病んだ、だから戦争はだめだと言ってたし私もそう思う」的な漫画が流れてきて、それはまあいいことなんかもしれんけど、正直言うと、そういうの見るたびに「あなたのおじいちゃんはきっと、ご自分がやった本当にひどい行為のことは話していない」と思うようになってしまった
ご家族の個人的なことを他人みんなに話す必要はないから漫画に書かなくていいんやけどさ、結局、「おじいちゃんを含む日帝軍の人たちがやったこと」が矮小化された中途半端な反戦漫画になってしまってるよな
だから個人の語りに任せたらあかん、公的機関がちゃんと認めて振り返り続けなあかんと思う
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代