トルコに行って「日本人」とわかるとたいてい関心をもち、親切にしてもらえる。
これは欧州では普通、日本・韓国・ベトナム、そして中国が「同じ黄色いアジア人」として括られ、対して関心も寄せられないのと対照的。
何故と云うに、トルコの人々にとって長年悩みの種である強国ロシアと対峙、その上1904-05年の戦争に勝利したという「日本」イメージが一般に流布しているからだ。
19世紀以来ロシアの南下政策に苦渋を舐めさせれて来たトルコ人にとっては、アジアで「はじめて西洋列強」を破った「アジア系」国家、になる訳だ。東郷平八郎などはそれなりに知られた有名人である。
もちろん、トルコはほとんど地球の裏側であるから、日本帝国主義の侵略を受けたことはない。であるから、その点でのマイナス。・イメージもない。
しかし、日本のインテリがその「ぬるま湯」にどっぷり使って、近代日本の植民地支配・侵略戦争を反省もせず、「西欧啓蒙」を糾弾している姿ほど滑稽なものはない。
ちなみに研究者の間ではオスマン・トルコとは言わない。オスマン帝国はトルコ人のものでなく、多民族・多宗教を包摂する「普遍イスラム帝国」だった。オスマン語も現代トルコ語とは別である。
ただ、当時の西欧はオスマン帝国のことを「トルコ」と呼んでいた。