昨日の小田原市長選で、自民・維新・国民に連合神奈川まで相乗りした現職・守屋氏に対し、市民の推す元職・加藤氏が圧勝した。
昨今の自民党への逆風、守屋氏が4年前のコロナ下での選挙時に全住民に10万円を配ると嘘をついて当選したこと、今回守屋氏は、(統一教会の)「食口(シック)になりました」で有名な井上義行氏を選挙応援で呼んだことなどを聞けば、よその人は「それは守屋氏負けるだろ」と思うかもしれない。
でも、地元では、少なくとも選挙が始まった当初は、全然そんな雰囲気ではなかった。現職・守屋氏は、市の広報誌と一緒に、選挙戦の少し前に自らの4年間の功績を冊子にして配布した。赤い、守屋輝彦氏応援を匂わせるポスターが市内いたるところに貼られた。ご近所の知り合いや、取引先の事業に目立つ形で貼られたポスターを前に、加藤氏支持とは言い出しにくい雰囲気が漂った。大方の予想では守屋氏が優勢だった。
それを打ち破ったのは、この指止まれ的に集まった市民たちの「熱」だった。党派を超え、勝手連的に手弁当で、チラシを作り、ポスティングし、電話かけをし、様々な形で呼びかけた(私は、うつ病で直接は動けないので、X(Twitter)で援護射撃するくらいで現場を見たわけではなく、漏れ伝え聞いているだけだけれども)。
南彰さんの『絶望からの新聞論』(地平社)、読んだ方がいいよみんな。
『読まれやすいニュースの具体例には朝日新聞デジタルで配信された『京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析』(2023年5月30日)がある。虐待や性被害などにあった女性を支援する一般社団法人「Colabo」の東京・歌舞伎町の活動現場に出向いて、冷笑的、差別的な言葉を投げつけていた埼玉県草加市議について、そうした言動について触れないまま、政治スタイルを好意的に紹介したのだ。
《「デジタルで読まれそうな記事を」という編集局幹部の号令のなかで企画された記事だった。》
《コラボに対する攻撃がこの年起きていたときには、現場をルポし、ミソジニー(女性蔑視)に基づく攻撃がもたらす影響などを取材していた女性記者の記事に何度も注文をつけて記事の配信・掲載を二カ月近く先送りしていた。「コラボを擁護して、『また朝日が』と言われないようにしないといけない」という意見が繰り返された。》』
https://bunshun.jp/articles/-/71049?page=3
BTした文春のコラム。
南彰さんの『絶望からの新聞論』(地平社)への言及があります。
「実はこれら「朝日の冷笑」の答え合わせになる本を最近読んだ。『絶望からの新聞論』(地平社)だ」
#地平社 #南彰
QT: https://rss-mstdn.studiofreesia.com/@bunshun/112515199853204688 [参照]
「今の国民はパンよりサーカス」と啖呵を切った茂木自民党幹事長(1955生)、マッキンゼーから平成維新の会というキャリアであることは先に投稿。
ふと気づいて見れば、大阪府・大阪市・堺市のすべてで顧問を務め、株式会社麻生の社外監査役、そしてZEN大学副学長予定の上山信一氏(1957生)も、同時期にマッキンゼー。
共に米国に留学、「公共政策」なるものを専攻したことになっている。
しかし、上山氏の「公共政策」とは、大阪市所蔵の美術品を「ガラクタ」扱いして、地下のガレージに放り込んでおくことのようだ。
経済安保マフィア=「チーム甘利」の調整役として活躍、東大先端研に客員教授として「天上がり」した国分俊史も海外の大手コンサル経由で、研究とは縁もゆかりもない人物である。
この首都圏高学歴とコンサル、そして安倍政権と繋がった黒い沼、まさに「現代の与次郎」を輩出するマグマとも言えるだろう。
されば、東浩紀、茂木健一郎、津田大介、三浦瑠麗などメディア界の与次郎達がこの「黒い沼」へと連なっているのもむべなるかな。
東大先端研(玉井克哉)や慶応SFC(竹中平蔵)などはさしずめ、この世界のゴッドファーザーというところか。
ただ、昔からこれらの人達には「御用芸人」というレッキとした名前がある。
日本でも有名なA.センはJ.ロビンソンをケンブリッジで指導教官とした。
センはノーベル経済学賞を受賞したが、学者としての力量・スケール・独創性はジョーンの方が遥かに上。センの主張は基本、中道左派的な「常識」を経済学の世界でも多少受け入れさせた、という程度のもの。逆に言うと、今の経済学は如何に非「常識」で何の役にも立たないか、ということである。実際、「資本主義体制」を学問の対象から外す「経済学」に何の有効性があるのか?
1983年まで生きたジョーンは当然ノーベル経済学賞の候補に何度もなったが、結局受賞せず。理由は、
1)女性であること
2)受賞の場合、スピーチの席で主流派経済学への批判を展開する可能性があったこと
3)受賞を決定させた上で辞退し、ノーベル経済学賞の「無意味さ」を世界に知らしめる可能性があったこと。
と推測されています。
実際、「ノーベル経済学賞」は他の正規のノーベル賞と異なり、政治的にジョーンの論的であるサミュエルソンに受賞させるために1970年に米国の肝いりでつくられたもの。
21世紀は、新古典派の虚構性を明らかにし(すでに明らかなのだが)、むしろジョーン・ロビンソンをケインズ以降の最大の経済学者と見做すようになるかもしれません。
SILENT FILM LIVE【シリーズ23】
6/3(月)、6/6(木) 19:20-
紐育の波止場
The Docks of New York
1928年/アメリカ/76分
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
出演:ジョージ・バンクロフト、ベティ・コンプソン、オルガ・バクラノヴァ
猥雑な港町で芽生える愛
映像美が輝くフィルム・ノワール
ぶっきらぼうな男ビルは、貨物船で働く石炭焚きの火夫。一夜だけの休暇を許された彼はニューヨークの波止場に降り立ち、場末の酒場に遊び出る。一方、港では人生を憂いた娼婦が身投げを図る。ビルは彼女を救い、酔った勢いで今すぐ結婚式を挙げようと言い出すが…。巨匠・スタンバーグ監督が34才で撮ったサイレント末期のメロドラマ。社会の底辺に生きる者の普遍的な愛を、スタンバーグの映像の魔術で描く名作。
※楽士、鳥飼りょうさんのアフタートーク付き
silentfilmlive @ryo_torikai
SILENT FILM LIVE【シリーズ23】
6/1(土),、6/4(火)、6/7(金) 15:20-
カリガリ博士
Das Cabinet des Dr.Caligari
1920年/ドイツ/76分
監督:ロベルト・ヴィーネ
出演:ヴェルナー・クラウス、コンラート・ファイト、フリードリッヒ・フェーヘル
歪んだ物語は幻想か凶器か
ホラー映画の原点を体験せよ!
青年フランツィスが老紳士と話をしていると、その横を美しく若い女性があてもなく歩いてくる。フランツィスはその女性が自分の婚約者であると言い、二人が体験した世にも奇妙な物語を話し始める…。夢遊病を題材とした、ホラー映画の原点とも言われるドイツ表現主義映画の代表作。奇抜で歪んだセットやメイクなどの卓越した視覚的効果は、ヒッチコック監督や後のフィルム・ノワールにも大きな影響を与えている。
※楽士、鳥飼りょうさんのアフタートーク付き
silentfilmlive @ryo_torikai
私は津田大介さんのお名前は存じ上げていたけれども、書いたものを読んだこともなく(SNS上のものも含め)、また動画上での発言も初めてお聞きする機会を今回もった。
この動画、全部見たわけではないけれども、「何々はクソ!」という発言の仕方には疑問を感じる。
欧米ではSHIT!やmerde!は私的には使うけれども、公的な場、特に討論の場では基本使用不可。つまり、この語を発すると、その時点で討論は終了となるから。
ただしTwitterが導入されてから、米国ではかなり濫用されている。であるから、Xは基本公的討論の場とは見做されない。
ただし現在欧米の世論は、人心の荒廃をすべて「SNSのせい」にする傾向があるが、これには私は疑問。
津田さんに戻れば、東浩紀と並んで「ポスト戦後日本(PPW)の知的状況」で木庭先生が形象化する与次郎(「三四郎」)、平岡(「それから」)の現代版、ということかもしれない。
ただ、実際は「朝日」政治部の維新推しの方がより悪質である。(cf南彰「絶望からの新聞論」地平社)。先日の野沢直子さんの「トランプ」推しの人生相談に「ひろゆき」なみの「冷笑」アシストをしている編集委員などはその典型である。
いずれにしても津田さん、もう少して勉強してから発言した方がいいと思う。
「ケンブリッジVSケンブリッジ」
先の投稿での「ケンブリッジ」とは米国ボストン州のケンブリッジを指します。
ハーバードもMITも所在地はこの「ケンブリッジ」。地名の由来は勿論、英国の大学町ケンブリッジです。
20世紀前半のケンブリッジはJ.M.ケインズを中心とした「ケインズ革命」揺籃の地となる。A.グラムシの友人であったP.スラッファもケインズの「インナーサークル」の一員である。
この「ケインズ革命」が1930年代にはハーバードに波及し、シュンペーターの弟子達は、P.サミュエルソンを筆頭に皆ケインスに左担し、この点ではシュンペーターは孤独を味わう。ちなみに都留重人は旧制八高(名古屋大学教養学部)時代、満州事変に反対して治安維持法にて逮捕後、ハーバードに留学。米国では稀なマルクス主義経済学者、P.パランとP.スウィージーそしてサミュエルソンと親友になる。
ただし、ケインズは新古典派の枠組みそのものを批判する意図ともっていたが、サミュエルソンはケインズ的発想を「新古典派総合」として取り込む。これが学問としての経済学における「ケインズ的妥協」。
WWII後、ケインズの弟子のJ.ロビンソンは米国の新古典派総合理論を激しく批判。これが所謂「ケンブリッジVSケンブリッジ」論争である。
津田大介さん(さすがに私も名前は知っていた)が動画で、維新と立憲を中心とした野党共闘を提言して話題になったようだ。
これは、孤立した発言ではなく、現在の政局に関する、一定のグループのコンセンサスとみるべきだろう。
例えば、連合の現在の方針、野田元首相、岡田幹事長、さらに選対実務責任者、そして最近頻りに吉村をオルタナティブとして解釈できるサブリミナル効果を狙った報道をしている「朝日」、すべて平仄を合わせている。津田さんも情報源として匿名の「政治部記者」に言及していたが、これは近年維新推し激しい「朝日」政治部と推測する。
ところで、連合に後押しされた維新・国民・立憲の「野党」連合は最悪の選択、と私は何度も書いてきた。津田さんは連合との関係、自衛隊、日米安保で立憲は共産党との連立はできないと断言しているが、選挙協力はできることは実証されている。
逆に中長期的にみれば、日米安保をはじめとする対米従属を日米対等外交に切り替えなければ日本の未来はないことは自明。
ところで、津田さんは「欧州は共産党がないから政権交代が起こった」と仰っているが、これは単なる無知。ポルトガルは1974年、仏では1981年、伊では冷戦終結後、全て政権入りしている。独や西は共産党の存在自体が非合法だったのである。
数カ月前、ハーバードの黒人女性学長が、学内のイスラエル批判を「取り締まらない」廉で辞任に追い込まれました。
さらに先日、イスラエル批判=「反ユダヤ主義」を扇動したとして、ハーバードの学生十数名の卒業資格取り消しをハーバード評議会は発表。
しかし、この過程で反復される「反ユダヤ主義」、これは単にイスラエルのガザにおける半年に及ぶ一方的な大虐殺を批判する言説・反動に貼られる悪質な「レッテリ貼り」に過ぎないことは明白である。
いずれにせよ、この行為はハーバードの歴史に消えない汚点、となるだろう。
米国では数百の大学でFree palestineの運動が拡大、事態はベトナム戦争時に類似してきた。他方、ペンシルヴァニア、UCLAなど有力大学への運動「弾圧」の要求は高まっている。
ハーバードに戻れば、WWIIまでは多くのアイビーリーグと同じく「ユダヤ人枠」を設定。それ以上は「ユダヤ人」を入学させなかった。
また教授もユダヤ人は採用せず、そのためシュンペーターの一番弟子だったサミュエルソンは同じケンブリッジのMITへ。
しかし時代は移り、ユダヤ系投資機関がハーバードを「支配」するようになった。
欧米では事態はもはや「赤狩り」へと移行していると言えるだろう。
フーコー、ドゥルーズ、デリダなど「後継者たち ディアドコイ」にも「敬して遠ざけられて」きた、「存在と無」、たしかに難解な書物ではあります。
通常サルトルは前期と後期に分けられますが、私見では中期に画期を置き、「存在と無」と「聖ジュネ」を中心に据えるのが適切であるが適切。
例えば前期の「想像力」、「自我の超越」、「想像力の問題」は現象学ではあっても存在論ではない。また「他者」の問題が扱われていないことが特徴です。
さて、一流の哲学研究者にも難解な『存在と無』、とりあえず最初に読むとすればどこか?
ジュネに「ここだけ読んでおけばいいよ」とアドバイスした箇所、それは第三部対他存在第三章「他者との具体的な諸関係」です。その後、余裕があれば、第4部「もつ」「為す」「ある」に進むとよいでしょう。
この箇所、常にサルトルを貶めるラカンも「ここだけは素晴らしい記述」などとセミネールで言っているが、多分他の箇所は理解できなかったのだろう。
というのも第三部第二章までは、科学論を含めた高度な哲学的訓練を前提にしてはじめて解読可能だからです。
日本では先の該当箇所だけ読んで「サルトルは近代エゴイズムに囚われている」という戯言が流行した時期があったが、これは「問題外」の「外」である。
コンサルというのがいったい何をしている人たちなのか私にはイマイチ分からないのですが、
「いらない(と自分がみなした)ものを排除」するための指示を
上から出すひとたちなのだろうなぁと思っています。
茂木敏充・自民党幹事長は元コンサルなんですね。
ほかにパッと思いつくのは、大阪維新の顧問・上山信一氏です。
政治家やその周りにいる元コンサルという人、最近多いですね。
コンサル・広告代理店といったひとたちによる支配が「当たり前」になりすぎて、いろんなものが失われ続けている気がします。
(国の省庁でこれらに近い価値観をもつのが経産省ではないでしょうか)。
ちなみに、イスラエルのネタニヤフ首相も、米国の大学を卒業後、コンサル会社に勤めていた、「元コンサル」です。
BT
このNHKの記事では、殺すところまで自動で行う“究極のAI兵器”について問題にしています。
ガザでイスラエルが使用しているというAIシステム「ラベンダー」では、最後にその人物を殺すかどうかの判断は人がおこなうため、かろうじて“究極のAI兵器”には至っていません。
が、AIが標的を選び、人間は最後に承認の「ハンコを押すだけ」。
一件につきせいぜい20秒程度しか考える時間がない、と+972マガジンの記事では指摘されています。
現実がここまで来ているのだから、国連軍縮部門は規制する範囲を広げて検討してほしいと思います。
※「ラベンダー」の問題点については、まず解説記事を読むことをおすすめします。
〔解説〕
「ラベンダー」:ガザの3万7千人を標的化するAIマシーン イスラエル独立メディア+972マガジンが調査報道
https://note.com/yasunorikawakami/n/ne67bb44e7af3
+972マガジンの記事
〔原文〕‘Lavender’: The AI machine directing Israel’s bombing spree in Gaza
https://www.972mag.com/lavender-ai-israeli-army-gaza/
〔全訳〕「ラベンダー」:イスラエルのガザ爆撃を指揮するAIシステム
https://note.com/camomille0206/n/n4694b721d4b6
究極の #AI兵器「#LAWS」に歯止めは?
国連軍縮部門トップ・中満泉事務次長インタビュー
#クローズアップ現代 取材ノート - NHK みんなでプラス 2024/05/08 https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic085.html
A.ゲルマン「わが友イワン・ラプシン」を観る。
これでゲルマンが監督をした映画は全て観たことになる。
1938年生のゲルマンは「道中の点検」(1972)が検閲で上映禁止になって以来、ペレストロイカまで映画上映を禁止。1998年の「フルスタリョフ、車を」がロッテルダム映画祭が上映されるまで沈黙を強いられた。「神々の黄昏」(2013)の撮影後死去。この映画は死後上映ということになる。
ロシアの映画監督としては、タルコフスキー、ソクーロフなどが著名だが、ゲルマンは別格の貫禄がある。
やはりポルトガルのサラザール独裁政権時代、沈黙を守り、その後105歳まで映画を撮り続けたオリヴェイラと相通じるものがある。
オリヴェイラ、晩年は駄作も多かったが、1991年の「神曲」や95年の「メフィストの誘い」は傑作である。
維新の馬場代表は「大東亜戦争」の呼称と改憲に「大賛成」と改めて表明。
また次期衆院選で与党が過半数割れになった場合、連立があり得ることに言及。
馬場氏は自民との連立を考えているようだが、維新と統一会派を組む前原氏は、国民民主と維新を「打って一丸」として、立憲民主を巻き込もう、とする腹のようである。これは連合の方針とも一致、また先日岡田立憲民主党幹事長=選対本部長が表明した方針でもある。野田元首相も右に倣え。
先週の世論調査では比例の投票先でついに自民は立憲を下回ったので、事態は流動的と永田町関係者は色めき立っているようだ。
それにしても馬場維新代表は現行憲法を「占領軍」に押し付けられた、と言っているが、当時の日本側改憲案は、ほぼ明治憲法と同じ、統治権=主権は天皇にあっ
た。また現行憲法にある「人権」・「地方自治」の項目は一切ない。
これでは極東委員会に認められる筈もなく、引いては昭和天皇戦犯、処刑の可能性さえあった。
そこでマッカーサーは、日本側に改憲作業させることを諦め、SCAP/GHQ側のスタッフに草案を創らせた。
その結果、人権、地方自治、両性の平等、労働権などが憲法に書き込まれたのである。
詳しくは拙著「世界史の中の戦後思想」をご参照いただければ幸です。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年