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『地平』10月届きました。

特集は「学問の自由を守れ」

現在、自民党。軍需産業は、自らの技術開発の低さのため、大学を軍事研究に動員しよう
としてます。

個々の学部、特に工学部系の大学は、これに応じようとする流れもある。ただし、従来、学術会議全体としては、「軍事研究には協力しない」との立場を維持してきました。

学術会議解体問題は、自民党政権の面子の問題でもありますが、同時に大規模な軍産学複合体が日本に誕生するかどうか、瀬戸際の問題でもあります。

ご関心のある方は、ぜひ手に取って見てください。

 アイスランドが国民の遺伝子情報を一企業に委託していることはご存じの方も多いのでは。

 映画「湿地」はこの状況を背景にしたサスペンス映画。サスペンスとしても良くできていますが、その過程で「生命倫理」的な問いを浮かび上がらせている、という点でもうまい映画だと思います。

 それにしても、「新生児医療」に携わっている友人から、アイスランドでは、現在、ほぼ「ダウン症」がゼロで移行しており、おそらくそのままの率で進むだろう、という話を聞いて複雑な気持ちになったことを思い出しました。これはもちろん、「出生前診断」によるものです。

 昨今、「確信犯」のメディアのみならず、世間、あるいは学生のなかにも、むやみに「遺伝」ですべての問題を語ろう、とする傾向が強まっていることには危機感を感じます。

 とくに医学部系の学生は、ほぼ完全にそれがデフォルトになっており、ほとんど優生思想と区別がつかない場合も多い。

 現在の優生思想は新自由主義による格差の正当化に明らかに寄与しており、新自由主義と優生思想との共犯関係を批判する必要性を強く感じます。

 とりわけ、分子生物学者や遺伝学者(の一部)はみずからの「学問」の「エビデンス」を逸脱して事実上「優生思想」に踏み込んでいる場合も多く、きわめて深刻な問題だと感じます。

 大岡昇平原作、溝口健二監督の『武蔵野夫人』を数十年ぶりに観る。

 文学と映画は全く別ジャンルの芸術なので、文芸映画というのは難しい。大河ドラマ的な構成にやすいトルストイの『戦争と平和』でさえ、何度も映画化されているが、成功作はない。

 ところで、この溝口の『武蔵野夫人』全くの駄作である。溝口は1930年代と50年代の時代物で海外映画祭狙いの作品は、相当水準が高い。小津と並んで、映画史的には1950年代を「日本映画の時代」と言わしめる位である。

 しかし、戦後の混乱期を描く「現代」を舞台にしたものはからっきし。

 成瀬と比較して、溝口には花柳界の女性しか描けない、という決定的な弱さがある。成瀬は多様な職業の女性を描くことができた。

 ところで、この映画を「失敗作」にした要因は「潤色」の福田恒存にある。福田は小説「武蔵野夫人」を「失敗作」と断じたらしいが、いくらなんでもこの映画のシナリオはひどい。

 福田は小林秀雄ともに『正論』を73年にサンケイから創刊。70年代後半はフジテレビで「世相を斬る」などと小癪なことする。朴正煕との密接な関係。

早稲田英文教授の弟子にシェクスピアの翻訳をやらせ(名義は自分)、その弟子は自衛隊と密に交流していた「ど右翼」。最後は小林よしのりの神輿となった。
 

 

A.ドロン死去(88歳)。

 フランスの俳優にしては珍しい「イケメン」だった。

 同世代のもう一人のスター、J=P.ベルモンドが「勝手にしやがれ」などの役柄とは異なり、ブルジョア出身の「インテリ」だったのに対し、アラン・ドロンは、家庭環境が安定せず、海軍兵士としてインドシナ戦争に従軍もした。

 実際、アランは「インテリ」とは言えず、マフィアとの関係も「公然の秘密」だったとされるが、若い頃は「繊細で知的な青年」を演じることが多かった。

 例えば、ゲイであったL.ビスコンティに愛され、『若者のすべて』や『山猫』などに出演できたことは、ドロンにとって幸運なキャリアだった。またJ=P.メルヴィルの映画にも複数出演、これらはすべて歴史に残るだろう。

 他方ヌーヴェル・ヴァーグからは目の敵にされたルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』では「現代のジュリアン・ソレル」を演じ、大衆的にも一挙に大スターになる。

 実際これは、今見てもアラン・ドロンの俳優としての潜在力を引き出したよくできた映画だと思う。

 この美的センスは日本の「太陽族」を演じた代表とも言える石原裕次郎とは全くレベルが違う。

 その上、ゴダールの「ヌーヴェル・バーグ」にも出演しているのだから、まさに時代に恵まれたと言えるだろう。

 ちなみに福祉国家スウェーデンでも1930年代に骨相学に基づいてラップランド住民(サーミ人)が、どのような過酷な扱いを受けていたについては、

 映画『サーミの血』(2016)が参考になります。

 東大の先生は、グールドは無理でもこの映画位は最低見た方がいいと思う。

 でないと、このまま行けば「人種主義・植民地主義」・「ミソジニー」、そして口だけ「反資本主義」の労働者差別者、の三拍子揃った学者、ということになりかなない。

 警告はしたよ。

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 井上光晴は1963年の『地の群れ』で、原爆投下後の戦後の長崎を、被差別部落、朝鮮人部落、被爆者部落、が絡み合う複雑な様相を1950年の共産党武装闘争に参加、挫折した医師の眼から描きます。

 この小説は1970年に熊井啓によって映画化されました。現在でもわりとDVDないしはネトフリなどで見られると思うので、関心のある方はぜひ。

『地平』9月号
「ジャーナリズムをさがせ」

 この号、実質「朝日新聞」に堂々と「手套を投げつけ」ているなー

 要するに朝日は「ジャーナリズム」として機能してない、ということだ。

 それはそれとして売れるといいな―。8月号のAMAZON在庫もなくなったようである(テンバイヤーが登場している)。

 J=L.ゴダールの最後の長編、「イメージの本 Le livre d'image 」(2018年)を観る。これで三度目位くらいだが、記憶とさして変わらなかった。最近「短期記憶障害」に不安を抱えているので、少し安心した。😀

 映画の構成は、基本「晩期」ゴダールの基調である「新ドイツ零年」、「映画史」に連なる。

 ただし、2点ほど大きな変化がある。

 まず、ロシア革命ではなく、むしろフランス革命への回帰が見られること。

 68年以降、ゴダールは一時期は共産主義、とりわけ毛沢東主義への批判的近接性が前景化する。

 その後毛沢東主義への言及はほぼなくなり、ロシア革命とナチズム、ホロコーストに焦点が移る。

 しかし、21世紀に入ると、さらに時代を遡りフランス革命への言及が増えてくる。これは決して「フランス・ナショナリズムへの回帰」ではなく、フランス革命の特異性を問題化していると見做せる。

 2点目はイスラエルによるパレスティナへの暴力への言及が急激に前景化していること。特に映画の後半はほとんどこの問題に費やされる。ゴダールの立場は明快で「私はアラブ(イスラムではなく)の側に立つ」というもの。

 ホロコーストからパレスティナへ。ゴダールは90歳に至るまで深化し続けた作家と言えるだろう。

 今週の「週刊読書人」にて、『地平』創刊に寄せて、ということで熊谷編集長、内田聖子さん、武田徹さん、の鼎談が掲載されています。

 しかし、この鼎談、2号校了終了後に行われた、ということだけれども、さすがに熊谷さん、ちょっとお疲れのご様子。何と言っても、ちょうど校了の日は2時間睡眠といっていたからなー

 「68年5月、サルトル、ゴダール」
 1958年にクーデターで政権を掌握したド・ゴールは1962年にエヴェイアン協定でアルジェリアの独立を認めます。ただし、アルジェリア領内での核実験場所の確保など、さまざまな条件をつける。

 国内ではテクノクラート主導の経済成長を採用するも、クーデターから10年後の1968年5月、パリ大学ナンテール校(私は2002-2004客員研究員だった)から火の手が上がった学生運動がパリのカルチェラタンに飛び火、これにCGTを始めとする労働組合が呼応して「ゼネスト」に入ることで、首都パリは「権力の空白」状態へ。

 ド・ゴールは一時国外に出て、軍の支持を確保して後、帰国。秩序を概ね回復した後、「信任選挙」に打って出て何とか勝利するが、69年に辞任。

 言説界では、当時「構造主義」が一世を風靡していたが、五月革命では「構造はデモをしない」というグラフィティが溢れる。

 サルトルはこの際、学生叛乱を断固支持。すでにノルマルに勤務していたデリダもビラの編集作業など「慣れない」仕事をした。

 またF.トリフォー、G=L.ゴダールなどサルトルに私淑する映画監督も運動に参加。

写真上はビラを配るサルトル、後ろの女性がボーヴォワール。下はゴダール、サルトル、ボーヴォワールである。

 著者の石田憲さんからご恵投いただきました。
 
 石田さんが元来イタリアファシズムの研究者。そこからドイツ、日本との比較への研究対象を広げてきました。

 今回のことは1945年前後の日本とイタリアの比較研究の政治史とも言えるもの。

 ドイツ・イタリア・日本を比較したものとして『敗戦と憲法』があります。

著者の内村博信さんからご恵投いただきました。

 前著『政治と美学』に続いて、ベンヤミン三部作の完成。

 ベンヤミンは引用する人は多けれど、さて本人を研究するとなるとなかなかに難しい人である。

 内村さんの研究は緻密なテクスト批評と政治的歴史的文脈を重ね合わせることで、ベンヤミンの軌跡を辿る力業です。

 今後W.ベンヤミン研究の標となっていくのは間違いないでしょう。

「仏で人民戦線(左派連合)大勝利」

 都知事選と同日7月7日に行われた仏国民議会選挙では、当初の予想を大きく覆し、新人民戦線が182議席で第一党、マクロン党が168、極右(RN)は143で、過半数どころか三位に沈みました。

 政治危機において、「左か右か」の二択しかなければ「左」が勝利する、という「フランスでは左翼は無敵 En France ,pour la gauche , il n'y a pas d'ennemi」の政治文化、 三度に渡り裏付けられた形です。

 ちなみに一度目はドレフュス事件から第三共和制、二度目は30年代の反ファシズム人民戦線。

 ただし、今後の政局は混乱が予想されます。なんといってもマクロンは「人民戦線よりはルペンがまし」という男。また新人民戦線には「政治屋」R.グリュックスマンを始め、日和見中道も多くいる。36年に勝利したブルムの人民戦線も内部の「いざこざ」で崩壊しました。

 しかし次の焦点はまずは来週7月14日の革命記念日。この日は巨大なデモが予想される。今まで強行突破してきた悪法の撤廃は勿論、マクロンが辞任に追い込まれる可能性さえある。

 ただし、「右側(右翼)に気をつけろ Soigne ta droite」(J=L.ゴダール)

 

 

20世紀前半の「社会的カトリック」は資本家と労働者の間の支配・搾取関係を批判し、労働運動に参加する人々も現れます。

 これは主に日常的に民衆と接する機会が多かった「村の司祭」(教会内部での地位は最下位)が中心になります。日本で『出る杭は打たれる』を書いたA.レノレ神父も極東にまで志願してやってきた労働神父です。

 しかし仏における「社会的カトリック」にはナチスによる「占領」という試練がありました。

 多くの司祭はレジスタンスを匿い、また自ら参加さえしました。ルイ・アラゴンの詩に「神を信じる者も、神を信じないものも」という句があるのはそのためです。

 現在の歴史的調査では占領中、はっきり「レジスタンス」派は人口の1割、「対独コラボ派1割」、残りは最後まで「なだらかな日和見のスペクトル」だったとされている。

 とは言え、この時のレジスタンスの犠牲と神話によってWWII以後仏では「ファシズム」・「極右」はタブーとされて来た。この「共和国の神話」がついに破られるのか、または守られるのか、明日日本時間7月8日未明には判明します。

 下の映画は『影の軍隊』で知らせるJ=P.メルヴィルの『モラン神父』。レジスタンスに参加する神父をJ=P.ベルモンドが演じます。

 蓮実重彦はやたらとJ.ルノワールに言及するわりには、『ピクニック』の同年にJ.ベッケルとともに、『人生はわれらのもの』を撮影したことには全く触れない。

 またルノワールは1937年には平和主義を訴えるJ.ギャバン主演の『大いなる幻影』を撮った。この映画はさすがに日本でも戦後一時期有名になったが、蓮実はことさらにこの映画への言及を避ける。

 さらにルノワールはナチスの仏占領とともに米国に亡命、チャールズ・ノートン主演レジスタンス映画「祖国は我らのもの Vivre Libre」を撮影。この映画については、蓮実教信者達は存在も知るまい。

 ちなみにJ.ギャバンは対独協力を拒否して米国に亡命している。同じくナチへの協力を拒否して亡命していたM.ディートリッヒとギャバンは一時期パートナーとなる。

 J.L.ゴダールは知識人として人民戦線を主導、続くスペイン市民戦争にも義勇兵として参加したA.マルローをサルトルとともに、自らの「守護天使 Ange gardien」としていたが、蓮実はその意味を理解できず「マルローだけはやめなさい」と日本語で信者たちに布教するだけだった(しかしそれをゴダールに言えた筈はない)。
 
 実際にはゴダールの映画史にはマルローの映画『希望』と原作の朗読が頻繁に引用される。

 日本でも著名な印象派の画家、ルノワールの息子、J.ルノワールの1936年の映画『ピクニック』。

 父の世代の作家モーパッサン原作の映画化だが、光と影の扱い、野外撮影など多くの点で、ネオリアリズモ、ヌーヴァルバーグの巨匠たちに大きな影響を与えた。

 ゴダールの「映画史」はアトリエから飛び出し、光と色の関係を追及した印象派・後期印象派の絵画を多く引用している。ただし、商業的に成功したルノワールの父は省かれているけれども。

 J.ルノワールの『ピクニック』は近代絵画の出発点となったマネ『草上の昼食』の構図に近い。というよりも、明らかにこの絵画を下敷きにしている。

 『ピクニック』は反ファシズム人民戦線の1936年に撮影され、J.ベッケルの助監督として参加している。

 同じ年、ルノワール、ベッケルは人民戦線のプロガンダ映画「人生はわれらのもの」を撮影している。

 尚、下写真左上は、『ピクニック』の主演、シルヴィア・バタイユ。当時G.バタイユの妻であり、後J.ラカンと結婚、シルヴィア・ラカンとなる。 

 

 意外なことに、今日の「朝日」の論壇時評、憲法学の青井未帆さんが、『地平』創刊号の酒井隆史さんの論考を筆頭に挙げてくれている。

 コメントの最後は「新たに創刊された雑誌『地平』が、かかる閉塞感を振り払う役割を期待したい」。

 (ま、他の委員は、「あの」竹中平蔵の弟子であったり、HANADAの論文を挙げたり、とどうしようもない人もいるけれども。)
 しかもオンラインでは、今月の雑誌を円状に配置し、その中央に「地平」を置く、写真が掲げられている。

 さらに言うと、欧州政治について千葉大の「水島治郎さんに聞く」という記事も出ている。
 欧州政治と言うと、これまでは「似非国際ジャーナリスト」国末憲人氏とここでも何度も批判した提灯学者の遠藤乾氏だった。

 二人とも骨の髄からのマクロン主義者で、今回の仏議会選挙での反ファシズム「人民戦線」を批判している。今年東大先端研の池内恵の下に、「特任教授」として「天上がった」国末氏に至っては、「人民戦線」からの出馬を表明した前大統領オランドを「晩節を汚した」と罵倒する始末。

 しかし、逆に国末氏が抜けたことで水島さんへの依頼が可能になったのかもしれない。

 ところで、水島さんの写真、これ7階の図書室で撮ったのだなー。

 私のZAITENは6階の方だったけど。

 Le Monde diplomatique に掲載された、現在の地中海における各国の軍事的プレザンス。

 一目に軍事的には「地中海」は米国の湖になっていることがわかる。

 地中海を扼するジブラルタルを英国から拝借、スペインの海軍基地2つ。イタリアのナポリ、シチリア、ヴェネチィア北、に合計三カ所の海軍基地。
 ギリシアにアテネ、サロニカ、クレタに三カ所。

 トルコにイズミル他2ヶ所。

 トルコのことを「権威主義だ」、「イスラム」だと囃し立てて置きながら、ちゃんと軍事基地はおいているのである。

 またギリシアは軍事的には日本と同じくほぼ米軍管理下にあると言っていい。いずれにせよ、冷戦時代、緊急時にはギリシアとイタリアは米国・英国が共同で占領することになっていた。

 また、これを見ると、アテネ、サロニカ、スエズ、ポートサイード、アレクサンドリア、マルタの港湾建設に中国が出資している。勿論、この出資はまだ米の覇権を脅かすようなものではない。ただ、なんでも「断トツ一番」でないと気が済まないヤンキー達は多少神経を尖らしている。

 目下の懸案はこのルートによって補給を確保しながらイスラエルが大虐殺を続行していること。

 今度はヒズボラー討伐を始めると言い出した。バイデンはこれも支持するのだろうか?

『地平』創刊にあたって、韓国のメディア研究者の方が紹介してくれた折り、私のことを「社会学者・労働問題研究家」としていて、?と思ったのだが、今日ふとその理由に思い当たった。

 2000年代初頭の岩波講座で「近代日本の文化史」というものがあり、そこに私は「「近代」と「現代」ー丸山眞男と松下圭一」という論文を書き、それが韓国で翻訳されたのだった。

 ここでは、松下圭一が「近代」と区別された「現代」の概念を練り上げたことを重視し、また「現代」における「抵抗の戦略」としてー企業別ではないー産別また地域型労労働運動を提起したことを指摘した。

 たぶん、ここの労働運動の「在り方」の部分をお読みになって、私を「労働問題研究家」と誤解なさったのではないかと思う。

 1950年代後半に出版された『市民社会理論の形成』は当時のマルクス主義全盛時代の共産党・社会党・新左翼のどこからも批判され、松下は「100年後に読まれればいい」と言っていたという。

 ただ、松下は1970年代からの革新自治体を支える理論家ー経済学者の宮本憲一と並びーとなる。

 「構造改革」という言葉も、この頃左派が使っていたものだが、21世紀になって小泉に簒奪された、と言えよう。

 自治体民主主義の可能性、今ほど問われていることはない。

 オノレ・ド・ バルザックは19世紀前半のフランス社会を「全て」を小説の中に封じ込めるデモーニッシュな意図をもち、その作品群をダンテの「神曲」にちなんで「人間喜劇」と称する。勿論、大西巨人の「神聖喜劇」はここから来ている。

 バルザックの小説は、リヴェットによって「美しき諍い女(知られざる傑作)」、「ランジェ公爵夫人」が映画化されている。
 またA.ドロンとともに「太陽がいっぱい」に出演したマリー・ラフォレの「金色の眼の女」もバルザック原作である。

 バルザックは平民出身であるが、まだ身分制が強固に機能した当時のフランス社会で、貴族の家系であることを「詐称」し、「ド」(貴族であることを示)を名乗っていた。
 またバルザックは、貴族女性との関係を追い求め、最後にはポーランド名門貴族のハンスカ伯爵夫人と死の直前に結婚。膨大なバルザックの借金は死後、夫人が清算した。

 バルザックの身分制社会に対する強いアンビヴァレントは「ゴリオ爺さん」、「幻滅」に顕著に表れている。とくに「幻滅」の主人公リュシアンはバルザックの分身とも言える造形である。

 ここでは貴族に対する強い憎悪が観察され、これは「ランジェ公爵夫人」にも通底する。映画では悪役の貴族夫人を演じるのは共にJ.バリバール(E.バリバールの娘)である。

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