今日の東京新聞、2面の下段全部、「地平社」の広告である。
『地平』創刊号、「たちまち3刷り」これはめでたい。3刷りということは約2万部だろう。かつて『前夜』創刊号が「この種の雑誌」としては「異例」の1万部だったが、それを凌いだことになる。
ただ、仄聞するところでは、社長の熊谷さんが全退職金をつぎこんだ資本金(900万)はすでに底をつき、城南信金からの融資を使い始めたとのこと。
そのことを考えると、広告費やら、すでに来月5日に迫っている第2号のことやら心配だらけである。
ちなみに次号はマクロンの「傲慢」かつ「軽率」な国民議会解散の前から欧州極右の特集を組む、という話だったので、これも「タイムリー」となる。そして次ぐ7日は東京都知事選と仏国民議会選決選投票である。
もし左派が勝った場合は今年の革命記念日(7月14日)は、どうなるだろうか?
いずれにしても『ガザ日記』を含めた創刊の7点の内、4点がすでに重版となっている。
私の本は、たしかに一番地味ではあるが、「読んで損はしません」よー、と。
今月のLe monde diplomatique巻頭論文はイラク侵略戦争の際、国連で大演説をぶって、国連軍として出兵しようとする米・英の企図を葬ったド・ヴィルパン元首相。
ここで、ド・ヴィルパンはパレスティナ国家の即時承認とG7からの仏の離脱を主張している。
勿論ゴ―リストであるド・ヴィルパンにとって仏のNATO脱退は「自明の前提」である。
WWII以後NATOの本部はパリに置かれていたが、ド・ゴール大統領の時、仏は脱退。NATO本部は現在のブリュッセルに移動した。
ところが、シラクの後の「維新的」大統領N.サルコジの際、仏はNATO復帰。ただし米軍基地は仏領内にはない。尚、サルコジは大統領退任後、汚職問題で逮捕され、一審、二審は有罪。
また仏社会党(PS)はゴ―リストよりも伝統的に親NATOである。ただし、ミッテランは大陸欧州主義者という点ではド・ゴールに近い。
ド・ヴィルパンに戻ると、マラルメに関する著書もす詩人である。30年代スペイン市民戦争に参加した作家A.マルローもWWII後はゴ―リストとなり、文化大臣も務めた。
WWII中、日本では仏での「レジスタンス」やアラゴン、エリュアール、サルトルなどの抵抗文学は知られておらず、加藤周一はマルローの作品を読んでいた。
フーコーが『言葉と物』の冒頭で古典主義時代の「エピステーメー」を集約するものとして提示しているのが、ベラスケス「侍女たち」である。
ここではベラスケスは、作中に自身を登場させているが、当時スペインでは画家が自らの作品に署名するのは許されていなかった。作中では、ベラスケスは宮廷装飾の責任者である「王室配室長」を保障する鍵袋を下げ、胸にサンチャゴ騎士団十字章を着けている。
現在、レオナルドはともかくとして、(正当にも)ラファエロ、カラヴァッジョ、レンブラント、フェルメールといった「巨匠」として扱われるベラスケスでさえ、貴族に準じる資格は騎士団章によって保障された。つまりこのことによって画中に描きこむことが許された。
スペイン近世文化の所謂「黄金時代」はスペインの全盛期ではなく、むしろ下降する時代に現れたのは興味深い。
尚、イタリアでは芸術家の地位が認められるのは、スペインより遥かに先んじていた。とりわけ、「共和国」であることを誇りとしたフィレンツェにおいて。
ミケランジェロ、そしてマキャヴェリも共和主義者だった。ミケランジェロに至っては、共和制を守るための戦争に軍事技術者として参加している。
しかしフィレンツェがメディチ家の鯛公国トスカーナ大公国となって芸術は急激に衰退していく。
現在、ようやくメディアで(といっても東京新聞くらいだが)格差と貧困、「失われた30年」の出発点として1995年に日経連が出した「新時代の日本的経営」が挙げられ、「新自由主義」という概念と結びつけられるようになった。感無量である。まだ「新自由主義」という分析概念を「否認」している連中(政治学・経済学・社会学)もいるが。
実は、私は、1990年代後半「80年代研究会」で、酒井隆史さん、大内裕和さん、渋谷望さん、故金森修さん達と、1975年からの日本の新自由主義的再編を分析する作業を行い、その成果は90年代後半の『現代思想』、最終的には2001年11月号(WTCへのテロ攻撃の直後)、『ポストモダンとは何だったのかー80年代論』として刊行された。
ここでは1980年に始まる大平臨調から始まる審議会政治、中曽根による国鉄の民営化と国労つぶし、サントリー財団のヘゲモニー戦略とポストモダニズム、自己責任論と心理学主義の関係、「社会」の解体と治安国家のせり上がり、日本の多国籍企業の特徴など、が明快に論じられている。
昨年4月の『現在思想』の大内さんとの対談「新自由主義化の宗とイデオロギー」は四半世紀後の総括と言える。
2001年は図書館で読めますので、関心のある方はご笑覧頂ければ幸いです。
『地平』創刊号、増刷8千部、昨日やっと市場に出たのですが、アマゾンは月刊雑誌は1回しか入荷しないので、「テンバイヤー」(送料高)のものしか、ありません。
と、ここまで書いて確認したら、それも残り1冊でした。
ですので、お求めの方は地平社ホームページかお近くの書店でお求めいただければ幸いです。
尚、次号では、欧州における新自由主義の深化と欧州極右の抬頭の関係の特集を組む、と仄聞しました。
これは、マクロンが国民議会の解散を電撃的に決定する前から決まっていたことですが、まことにタイムリーな特集になる、と思います。
さて、来るフランス国民議会選挙の左派統一戦線、「新しい人民戦線 le nouveau front populaire」、全小選挙区での統一候補一本化をすでに達成。
最大会派の「服従しないフランス」のメランション党首は、「マクロン政権との完全なる決別」を宣言すると同時に極右を「年金改悪と移民排斥」の双方で、マクロンと「変わらない」と指摘。
緑の党党首は「極右かわれわれかを選択する選挙」を位置づけました。
公約としては「60歳定年制、富裕税の復活、最低賃金の1600ユーロ(約27万円)、週労働時間の32時間に引き下げ、民営化された部門の再公有化、再生エネルギーの拡大」を掲げました。
また外交政策としては、パレスティナの即時国家承認と同時に「レイシズム、反ユダヤ主義、イスラムフォビア」と闘うとする。
また現在、先住民の大規模抗議行動を引き起こし、警察の弾圧によって死者も出している仏領南太平洋ニューカレドニアでは、抗議の引き金となった仏系住民の選挙権拡大を中止すると明記。
そう、仏はいまだに英と同じく、カリブ、南米(ギアナ)、インド洋、南太平洋に植民地(法的には仏領)をもつ帝国主義の遺産を引きづっているのです。
日本からゴーギャンで知られるタヒチにいきなり観光にいけるのもそのため。
「ヌーヴェルバーグの革新性」
ヌーヴェルバークの撮影上の革新性と言えば、撮影所の外でのロケ、同時録音、俳優のアドリブ。
しかし、これは現在の映画、ドラマにさえ応用されてそれ自体としては「陳腐化」したとも言える。
いずれにせよ、撮影所の外のロケは「外」の光の発見という点で印象派が「外」に出たことに類似している。
従ってゴダールの映画史では印象派・ポスト印象派が大量に引用されることになる。
この後の欧州映画では「長回し」が多用されるようになるが、ゴダールはむしろ「モンタージュ」の人。蓮実はテマティックの手法を用いて「長回し」の「フォトジェニック」な画面を騙る(褒めている)のは、うまいが、なにせエイゼンシュテインを嫌っていたので、ゴダールを本当に好きだったのかは疑問。
さて、ヌーヴェルヴァーグの監督達は元来「カイエ・デュ・シネマ」などに集った批評家達。いっそ自分達で「つくってみるか」で始めたインペンデントな運動である。
であるから、日本の「松竹ヌーヴェルバーグ」などは「丸い四角」のようなもの。
勿論その後米国に渡って才能を浪費したルイ・マル、商業映画と適度に妥協しながら自らの世界を綴っていったトリフォー、そして68年以降商業映画との接点を最小するゴダール、と分岐していくわけだが・・・
「フレンチ・ポップス」のF.アルディ死去。これで、F.ギャル、A.カリーナ、J.バーキンと団塊の世代の仏アイドルは、ほぼ世を去ったことになる。
日本のポスト団塊の世代ではJ.バーキンが飛びぬけて有名だっただが、これは首都圏の「オリーブ」世代と重なったからだろう。また、私は知らなかったがバーキンはエルメスの銘柄にもなっていたようで、これでは突出して有名なのは当然である。
たぶん、日本では元夫のS.ゲーンズブルより有名ではないだろうか?そう言えば、二人の子であるシャルロットなども80年代日本に導入されていたような気がする。
ただし、J.バーキンはヌーヴェル・バーグの代表的監督J.リヴェットの映画に多数出演。この点でゴダールの初期の映画で常に主演を務めたA.カリーナと並んで、文化資本的にも(インテリにも)ファンが多かったのだろう。
実際「ヌーヴェルバーグ」で仏文化のスタイルは大きく変わった。バーキン(英国)、A.カリーナ(デンマーク)、そしてエヴァ・グリーンの伯母であるマリカ・グリーン(ブレッソンの「スリ」主演、スウェーデン人)にしても、フランス人ではない。1955生のイザベル・アジャーニはアルジェリア系である。
ヌーヴェルバーグの革新性はこうした外国人の積極的な登用にもある。
雑誌「ZAITEN」さんが、地平社から上梓した拙著『世界史の戦後思想 自由主義・民主主義・社会主義』を書評で取り上げて下さいました。
ここのBOOK REVIEWは担当編集者自ら書評をする慣行ということで、熊谷さん自ら書いてくださっています。感謝!感謝!
インド総選挙、事前の世論調査ではBJPの「圧勝」が予想されたが、結果は野党の健闘によって単独過半数割れ。ただし、連立で与党は維持し、モディはネルー以来の首相3期目に入ります。
BJPは所謂「ヒンドゥー原理主義」政党。ガンディー暗殺者を「英雄」と讃え、数百万レベルの「民兵」組織を備える。
2002年ガンディの出身地であるグジャラード州で「反ムスリム暴動」が発生、少なくとも2千人以上が虐殺された。この時の州知事がモディであり、この虐殺には州政府が関与した。
モディ政権は2020年代に入って、ムスリムの市民権剥奪の恐れがある市民権法修正を可決。
とは言え、インドの人口の15%(2億人)程度はムスリムなので、これ以上BJPのヒンドゥー原理主義がエスカレートすると、本当にカオスになる。
ところで、インドの宗教原理主義も新自由主義グローバリズムのよる格差と貧困、そしてメディア操作によって21世紀に入って急速にせり上がってきた。これは日本・米国と同じパターンである。
ハイデラバードやバンガロールのIT都市のイメージと裏腹に、危険な環境での児童労働がまかり通っている。
逆に左派が強い西ベンガルやケララではBJPは弱い。
写真はインドの科学繊維における児童労働を描いた映画「人間機械」
今日発売の「地平」創刊号、すでにAmazonで残り1点になっています。
万一、売り切れてしまった場合、必ず「テンバイヤー」が割りましで出品します。
その場合は地平社に直接ご注文下さい。原価の990円でご購入できます。
と、まるで地平社の社員のような口上ですが、私は社員でありません。
ただし、今、この状況で「リベラル左派」を結集する言論の可能性はここにしかない、と考えてはおります。
ただし、彼らの「人権」にはパレスティナ人は含まれていない。
サルトルが「植民地主義は一つの体制である」で指摘したように、「人権」は普遍的イデオロギーである故に、植民地独立を掲げるアルジェリア人は「人間」ではない、ということになった。現在のイスラエルもパレスティナ人を「野獣」と呼ぶ。
体系的な拉致・拷問・二重スパイへの「転向」マニュアルはアルジェリア戦争の際、仏軍によって開発され、後ラテン・アメリカの軍事独裁政権に「輸出」。J=L.ゴダールの「小さい兵隊 petit soldat」はこの問題を扱って上映禁止となった。
ちなみにアルジェリアは、法的には植民地ではなく「フランス」であった。従ってアルジェリア人も形式的には「フランス人」であったのである。
一国一共産党を採用していたコミンテルンも、それに従いアルジェリア共産党を認めなかった。
アルジェリア民族解放戦線(FLN)で共産主義がほとんど役割を果たさなかったのはそのため。
また仏共産党も仏国民多数の支持を失うことを恐れ、最後の最後まで態度を明確にしなかった(但し既成政党の中では最も批判的)。この傾向は現在のイスラエル批判にも表れている。ガザの大虐殺を最も激しく批判しているのは「服従しないフランス」の党首、メランション。
QT: https://fedibird.com/@yoshiomiyake/112550855718216961 [参照]
世紀末プラハ、グラーツの作家としては、カフカの他に他にR.M.リルケ(1875生、母方がユダヤ系)、「特性のない男」R.ムージル(1880生)がいます。
カフカ(1883生)の父はチェコ語を母語とするユダヤ人、母はドイツ語を母語とする「同化ユダヤ人」。
カフカ本人の母語はドイツ語。カフカも「ユダヤ人」という自己意識はなかったが、ガリシア(現ポーランド)からのアシュケナージの移動劇団とイデッシュ語に触れる中で、自己の「ユダヤ系」を再考するようになる。
ショースキーやモッセの研究でも明らかなように世紀末ウィーンとWWI後のベルリンは、ドイツ語を母語とするユダヤ人によって支えられていた。これに中世以来ユダヤ人ゲットーがあったフランクフルト(アドルノ、ホルクハイマー)、それにW.ベンヤミンを加えてもいいだろう。
それにしても「人生」を不条理な監獄と見立てて、そこからの脱出の「不可能な」試みを悲喜劇的に描写する、というナラティヴはある意味非常にフランス的でもある。
両大戦間にカフカを「発見」した時の驚きをボーボォワールは自伝に記している。
サルトルはブランショをカフカ的な視点から高く評価し、一般読者に紹介する批評を書く。ただし、やや「ユーモアに欠く」とした。左ムージル、右リルケ
A.ゲルマン「わが友イワン・ラプシン」を観る。
これでゲルマンが監督をした映画は全て観たことになる。
1938年生のゲルマンは「道中の点検」(1972)が検閲で上映禁止になって以来、ペレストロイカまで映画上映を禁止。1998年の「フルスタリョフ、車を」がロッテルダム映画祭が上映されるまで沈黙を強いられた。「神々の黄昏」(2013)の撮影後死去。この映画は死後上映ということになる。
ロシアの映画監督としては、タルコフスキー、ソクーロフなどが著名だが、ゲルマンは別格の貫禄がある。
やはりポルトガルのサラザール独裁政権時代、沈黙を守り、その後105歳まで映画を撮り続けたオリヴェイラと相通じるものがある。
オリヴェイラ、晩年は駄作も多かったが、1991年の「神曲」や95年の「メフィストの誘い」は傑作である。
1575年の「長篠の戦」での三段射撃は現在の研究では疑問視されており、明治に入ってからの教科書記述で人口に膾炙したようだ。
これは近世欧州の軍事史と比較しても納得がいく話ではある。
そもそも当時の火縄銃はライフリングがされていないため、命中率が極めて低く、有効射程距離は最大100メートル。
これは百年戦争の際のイングランド(ウェールズ長弓隊)の射程距離より遥かに短い。また1分あたりの射撃頻度も圧倒的も長弓隊が優る。ただし、長弓隊は子供の頃からの長期の訓練がないと育成できない。
対して火縄銃・マスケット銃は長くて数ヶ月の訓練で習得できた。
従って、いわゆる「足軽」に火縄銃を担当させることは「合理的」と言える。
16世紀末の日本に大量の火縄銃が普及したのもそういう背景があるのだろう。
いわゆる「武田の騎馬隊」が存在したのかどうかも疑問のようだ。実際当時の日本の馬はポニー程度の体躯で重武装した突撃に耐えられたかどうか疑問。
それに対し13世紀の仏重騎兵を乗せた馬はかなりの大きさ。ただし、逆に弓や銃の的になりやすい。
とは言え、18世紀まで決定的な火力となったのは大砲。
明はすでに大砲を16世紀には導入していたので、朝鮮侵略した秀吉軍はそれに敗れたとも言える。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年