『地平』創刊にあたって、韓国のメディア研究者の方が紹介してくれた折り、私のことを「社会学者・労働問題研究家」としていて、?と思ったのだが、今日ふとその理由に思い当たった。
2000年代初頭の岩波講座で「近代日本の文化史」というものがあり、そこに私は「「近代」と「現代」ー丸山眞男と松下圭一」という論文を書き、それが韓国で翻訳されたのだった。
ここでは、松下圭一が「近代」と区別された「現代」の概念を練り上げたことを重視し、また「現代」における「抵抗の戦略」としてー企業別ではないー産別また地域型労労働運動を提起したことを指摘した。
たぶん、ここの労働運動の「在り方」の部分をお読みになって、私を「労働問題研究家」と誤解なさったのではないかと思う。
1950年代後半に出版された『市民社会理論の形成』は当時のマルクス主義全盛時代の共産党・社会党・新左翼のどこからも批判され、松下は「100年後に読まれればいい」と言っていたという。
ただ、松下は1970年代からの革新自治体を支える理論家ー経済学者の宮本憲一と並びーとなる。
「構造改革」という言葉も、この頃左派が使っていたものだが、21世紀になって小泉に簒奪された、と言えよう。
自治体民主主義の可能性、今ほど問われていることはない。