ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』読んでいるけど、このときはドラキュラ伯爵は「犯罪者」的な人相をしており、美しい容姿としては描かれていないな。
吸血鬼=うつくしいっていうセオリーはいつころできたものなんだろう? 『夜明けのヴァンパイア』のレスタトは原作からして美形みたい
ブーストした記事のリンクから京都府立大学のサイトにとんだら、いやこれは素敵。英語版のデジタルブックもあるので、英語の読者も、英語の読者も、日本語と英語を対照したい読者にもいいのでは。
越田 崇夫(KOSHIDA Takao)/ 国立国会図書館調査及び立法考査局
「明治憲法の緊急事態条項」
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info:ndljp/pid/13591827
議会による制約がないが戦時・事変にしか使えない「戒厳」と、議会閉会中に限るが法律と同等の効果のある「緊急勅令」・「行政戒厳」など。
個々の発動のとき、どのような影響が出たか、議会がどのように対応したかなどがまとめられている。
「スペースオペラ」のどのへんがオペラなのかぴんとこない。
語源的には「ソープオペラ」の宇宙版らしいけど、ソープオペラが日本の昼ドラみたいなものだとすると、宇宙で昼ドラをやればスペースオペラになるのだろうか。
preposterous は字義的には pre + post で うしろと まえが 逆になっている という意味らしい(ラテン語から) #英語
語源を考えたことがなかったけれど、言われてみるとそのまんまだ
もっと平易な英語では upside down というのもある
Takie Sugiyama Lebraの日本研究の本があまり日本語訳されていない問題
日本語圏では他の著者によって言い古されている内容、ということは全然ないと思う
明治・大正時代の華族の生活とその後で1冊日本語訳が出ていて、おもしろかったです(『近代日本の上流階級 華族のエスノグラフィ』) #読書
https://www.ubcpress.ca/takie-sugiyama-lebra
『モダン・ユートピア』H・G・ウェルズ[著]月曜社
https://getsuyosha.jp/product/978-4-86503-196-6/
これ読みたい
めっちゃ調べててえらい。
「悪役令嬢と言われても、アンジェーリークぐらいしか該当する作品がない」とかつて言われたものだが、調査によってぐっと認識の精度が変わった。
向江駿佑「「悪役令嬢を探して」第2回:2000年代乙女ゲームの「悪役令嬢」たち。180本以上から見出したバリエーション豊かな悪の華を検証する」(4gamers)
柳田 國男の書いた、『明治大正史 世相篇』「食物の個人自由」という文章が紹介されていた。外食という習慣がどのように広まっていったか、などが書かれている。
昔の外食は、晴れの席で客人として歓待をうけるような、特別かつ臨時のものだった。明治時代の「礼儀作法はぬきで、いきなり食事を出してもらって、食べ終わったらさっさと出ていく」ような簡易食堂と対照的。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1160219/1/48
聴きのがし配信もやっている「NHKカルチャーラジオ歴史再発見」の新シリーズ「胃袋の近現代史」(湯澤規子)がおもしろい。
https://www.nhk.jp/p/rs/M9R93RK9JJ/
生活者としての個人の小さな物語と、都市化の進行による社会の変化といった大きな物語がうまくつながっている印象。読んでおもしろいノンフィクションと、新しい知見のある学術書のいいとこどりである。
先日、ガーディアン紙の村上春樹インタビューに日本の小説が英国で販売されている翻訳小説の4分の1を占めてると書いてあったけど、さらに詳しい記事が。
いまは村上春樹よりも村田沙耶香作品の方が求められてるとか。「コンビニ人間」50万部も売れてるの…。
でも出版されるのは猫とか出てくる癒し系の本に偏ってるとか書いてあるね。
https://www.theguardian.com/books/2024/nov/23/japanese-fiction-britain-translation
https://search.worldcat.org/ のどこかにいていいはずの猫のマスコットキャラクターが見当たらない問題
「姫」と「男子」の埴輪が同じようにみえる
髪を後ろのほうで束ねているとか、目鼻のバランスが幼形だとかで、女の子っぽい、ということなのか。それとも専門家が見れば装身具に決定的な違いがあるのか。https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/416412 https://www.sankokan.jp/selection/antiquities/a_j_seisodansii.html
方言を方言に翻訳するには、ステレオタイプを2回通過しなければならない。
たとえばスコットランド風の英語を「田舎者」というステレオタイプで解釈し、「田舎者」というステレオタイプに基づいて日本語の東北方言のどれかに翻訳する、など。
問うべきことはたとえば、著者が戯画的にステレオタイプを投影しようとしているのか、それともそこに自然とあるものとして登場させているだけなのか。前者の場合、翻訳にステレオタイプを分かりやすく表すことがむしろ求められるが、後者の場合は日本語の役割語的表現だと「翻訳者が勝手に」「翻訳者独自の主張を追加して」やっていることになってしまいがちである。
翻訳でだじゃれや韻をうまいこと作り直すのとは、ちょっと違った繊細さが求められると思う。
Turingとtuningは1字違いだが、発音では最初の母音も異なる #英語
Turingはむしろtouringに近いらしい(同じ発音にするのも多分あり)
https://en.wiktionary.org/wiki/Rhymes:English/ʊəɹɪŋ
翻訳、プログラミングなどをしている(翻訳家でもプログラマーでもない)