《私が迷路に興味を持つようになった動機は、半人半牛の男が、螺旋状の中心でもの思いにふけっている一枚の画であった。
射手座生まれで、人馬宮に属する私にとって、この男(すなわちミノタウロス)の運命は、そのまま自分のことのように思われたのである。(……)何の科もなく半獣半人として生まれたばかりに殺されてしまうミノタウルスが気の毒でならなかったが、それは私自身の生まれ月(ホロスコープ)のせいと言うべきだろう。》――寺山修司『不思議図書館』
上半身が人間で下半身(性)が馬のケンタウロス。
上半身が牛で下半身(性)が人間のミノタウロス。
前後をあわせ読むと、寺山はケンタウロスとミノタウロスをいっしょくたにして、上半身が人間で下半身(性)が牛のミノタウロスをイメージしていたように見える。
記憶を創作する際の手抜かりといったところか。
Googleアラートに「上海バンスキング」を登録しておいたら、こんなのが届いた。
https://x.com/chihokumada/status/1809783095232761989
東京都美術館の「デ・キリコ展」を見てきた。
https://dechirico.exhibit.jp/
知らなかったが、キリコは彫刻作品を残してた。10点ほどのブロンズ像あり、いずれも高さ40センチほど、金メッキまたは銀メッキ。晩年に集中して作ったもので、「自身のヴィジョンを具体化したい、描かれた彫像を現実の彫像に変えたいという願望」と図録の解説にあり。
彫刻ならふつうは四方どこからも見ることができるが、「後悔するミノタウロス(The Repentant Minotaur)」と題した銀メッキの1点は、正面からだけ見るようにできていて、裏は何もない。全体の形状からいえば、壁にかけて眺めるものか。
妙に感じてのことだろう、裏にまわって確かめる人多し。
ミノタウロスは、クレタ島の王ミノスの妻パシパエが牡牛と通じて産んだ牛頭人身の怪物。ミノス王がダイダロスに命じて作った迷路に閉じ込められ、のちにアテナイの英雄テセウスに殺される。
ミノタウロスとパシパエに関する Wipedia 記事
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミーノータウロス
https://ja.wikipedia.org/wiki/パーシパエー
「上海帰りという物語は、いつごろまでリアリティをもって人々に受け止められてきたか」と
https://www.genspark.ai/
にきいてみた。以下の要因をあげて、70年代まではリアリティがあったろうとの返事。
歴史的背景: 上海は20世紀初頭から中期にかけて、多くの日本人が関与した都市であり、特に第二次世界大戦前後には多くの日本人が上海に滞在していました。このため、戦後しばらくの間は「上海帰り」というテーマがリアリティを持って受け止められていた可能性があります。
社会的変化: 戦後の日本社会は急速に変化し、経済成長とともに人々の関心も多様化しました。1950年代から1960年代にかけては、戦争体験や海外での生活経験がまだ新鮮であり、多くの人々にとってリアリティを持って受け止められていたと考えられます。
文学的受容: 文学作品としての「上海帰り」がどのように受け入れられたかについては、具体的なデータが必要ですが、一般的には戦後数十年間はそのリアリティが保たれていたと推測されます。特に戦争体験や海外生活をテーマにした作品は、その時代背景を共有する読者層に強く訴えかける力を持っていました。
「上海帰りのリル」の発売は1951年(昭和26年)7月。
レコーディングは5月。その前日のレッスン室でのこと、津村謙の歌が「リル リル」のフレーズにさしかかったところで不意に途切れ、あとが続かない。作曲の渡久地政信が見ると、津村は譜面に顔を隠して泣いている。「ちょっと休もうか」と言ったディレクターの目元も赤くにじんでいた。
これも飯島哲夫の『津村謙伝』によった。
作詞家が危惧した歌詞を、作曲家と歌手がヒット曲に仕上げた。
もとはと言えば、詞のアクチュアリティ。
上海帰りのリル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=19n7uyalzmc
「上海帰りのリル」の作詞は東条寿三郎、作曲は渡久地政信。
東条は詞のリズムが歌謡曲としては型破りなので、曲がつかないのではないかと思った。
渡久地の曲作りも難渋した。歌詞を受け取って20日ほどして、井の頭線のホームでようやくメロディが浮かび、
船を見つめて いた
ハマのキャバレに いた
風の噂は リル
上海帰りの リル リル
その日の夜中、「リル リル」の箇所までたどりつくと、あとはスムーズに運んだ。 「リル リル」に付けた「ファミーファミー」のメロディは琉球の五音音階にあるものという。渡久地は6歳まで沖縄で育った。
曲ができ、渡久地がピアノを弾きながら歌うのを聞いても、東条は感心しなかった。やはり歌謡曲には向かない歌詞だと思いながら帰った。
以上、飯島哲夫『上海帰りのリル ビロードの歌声 津村謙伝』による。
鞍馬がチェスの駒を並べ直しながら、活弁ふうに言う――
鼠を殺す日曜日までには、まだ数時間の猶予がございます。その間のお暇つぶし、我らが傷だらけのヒーローを探し求めさまよい歩きまする、我らが傷治しのヒロインの、絹糸にもたとえられようか細き叫び声。(声色で)「あなたやあ、あなたやあ――」。彼女の白魚にもたとえられようか細き小指の第二関節には、彼の日の指切りげんまんの切れ端が、いまは冷たい化石と変って、ぶらぶら引掛っているのでございます。
さえぎって、浪子が言う――
申し上げておきますねどね巨匠、私はもうそんな安っぽいメロドラマのヒロインなんて真平ご免。私の映画(キネマ)は私の真実を――真実の愛を捧げられる映画でなければなりません。そういう映画の中でこそ、私は生き、死に、そして再び不死鳥のように蘇るのです。
引き続き佐藤信の『キネマと怪人』を読む。
「第二章」の場と時間は、ホテル「ひばりケ丘」の支配人・浪子の自室。時刻は「第一章」と同じ日の、ただし昼近く。
最初の登場人物は、浪子と鞍馬虎馬(くらま・どらま)。浪子は「往年の大スター、女装の麗人」とあり、女装しているのだから女ではなく男。男・女の関係が逆になるが、「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子を思わせる設定。
『キネマと怪人』は評伝ドラマではないから、モデルの利用は恣意的。川島芳子の属性は別のナミコ=波子にも取り入れられている。
https://fedibird.com/@mataji/112614488852862255
*『キネマと怪人』には6人のナミコ――波子、浪子、濤子、涙子、並子、漣子――が登場
佐藤信『キネマと怪人』「第一章」
ホテル「ひばりケ丘」8号室、早朝。
宿泊客はジミーことジェームズ・ディーン、化粧石鹸の行商人、30歳。
「24歳の秋に自動車事故でも起こしてくたばってれば、あなたも今ごろ永遠の青春のアイドルになっていたかもしれない」と、明智小五郎の助手・小林君の弁。ジミーのこの設定には、左翼運動で死に損なった者の思いがこめられてはいないか。1943年生まれの作者は、1960年の安保闘争当時、高校生。
またジミーの造形には、詩を捨てて商人に転じたアルチュール・ランボーの姿も預かってるだろう。
ジミーは女連れで投宿している。
宿帳には「妻、21歳」と書いたが、じつは土砂降りの街道で拾ってきた波子。
波子の名は、役名リストの最初にあり、このドラマの主役か。
引き続き佐藤信の戯曲『キネマと怪人』を読む。序がもう一つあり、題して「もうひとつの序」。
最初のト書き
《一本のおんぼろ傘の下、肩を寄せ合う三人。昨夜も見かけた「ご町内の三人組」――松島さん、厳島さん、天橋立さん。今宵の彼ら、あつかましくも彼のマルクス三兄弟もどき。》
最後のト書き
《三人組、前方を見つめて、そのまま動かない。
暗転――とたんに、三人組のあげる断末魔の悲鳴。》
場の設定は、ハイウェイ、雨、夜明け。
三人組は話を交わしたり歌ったりするが、なんのために出てきたのか。劇の登場人物だから、劇中で負わされている役割はあるはずだが。
何かを象徴するかもしれない存在として、現場に後足と尻尾だけ残し、頭や前足はトラックの車輪にこびりついてどこかへ行ってしまった猫。じつはただの野良猫ではなく、後ろ姿から見てハンフリー・ボガートなのだという。
引き続き『キネマと怪人』を拾い読み。
ホテル「ひばりケ丘」のボーイ竜が、別のナミコ=波子に向かっていう台詞。
《大陸の某王家の令嬢、謎の美人女優、あなた様をお迎えする長春の町は、一ヶ月も前からもう噂でもちきりでございました。待ちに待ったその当日、特急「あじあ号」の一等車のタラップから降りられて、駅前の広場を埋めた歓迎の大群衆ににっこりと手をお振りになったあなた、凛々しい乗馬服姿のあなたは……》
波子はこのドラマの主役らしい。登場人物のトップに彼女の名がある。
「某王家の令嬢」とあり、清朝の皇族の家に生まれた川島芳子を思わせるが、「美人女優」という表現は芳子にあてはまるのか。あるいは波子は、川島芳子と山口淑子(李香蘭)を合成したような人物か。
川島芳子 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/川島芳子
山口淑子 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/山口淑子
《ベルリン時間でいまは夜明けよ。ご存知? あそこではブロンドの少年たちが揃って臍から下を剥き出しにして朝の食卓に向かうのです。短い感謝のお祈りの間、少年たちの薄い陰毛は、金いろの朝日の祝福を受けて風にそよぎます。》
『キネマと怪人』の登場人物・浪子の台詞。
「臍から下を剥き出しに」とあることで、この浪子が、徳冨蘆花の『不如帰(ホトトギス)』から、のぞきカラクリの『不如帰』(下記歌詞)を経由してフィーチャーされてきたものとわかる。
タケオがボートに移るとき ナミさん赤い腰巻を
おへその上まで捲(まく)り上げ これに未練はないかいな
ナミコがボートに移るとき タケオは紺のズボンをば
膝の下まで摺(ず)り下ろし ……
https://tyumeji.blog.fc2.com/blog-entry-602.html
拾い読みという解。
本をパラパラやって、アンテナに引っかかったフレーズか段落を取り出す。
短いから、そのぶん理解も批評も容易。
もとの文脈を知らないのだから、誤読はありうる。もっとも、文脈のなかで理解しようとしても、やはり誤読はありうる。
再利用の場合も、誤読の上での再利用となりうる。
だったら元の文脈は無視すればいい。
全体として成り立っている文章から章句を取り出せば、元の文脈からは外れてしまう。それを承知で、既存の文章の断片を別の文脈にはめこむ。これを「断章取義」という。
部分の拾い読みで済ます。拾い読んだだけで、わかったかのように再話し、批評し、自身の創作物にはめこむ。
それしかできないなら、そうするしかないのだが。
本は拾い読み。
本を通して読んで、人に伝えられるような形でそれを理解して、理解したことを人に伝える。そんな読み方は自分にはできないのだから、分相応に拾い読んでコピー&ペースト、あるいはコラージュ、あるいは改ざん、自分にできるように読んで、自分にできるように使う。
ということで、佐藤『キネマと怪人』から。
佐藤 死体ばっかりだ。川の中に折り重なり、道端に積み重ねられ――生きている自分の方が、まるでとりとめなく、たよりないものに思えてしまう。
山中 まる半日、歩きづめに歩いて、それでもまだ終らないような広びろとした景色。あれもやはり景色と呼ぶのだろうか。あの一面の焼野原。
東京大空襲の体験なのか、思い出なのか。とりあえずわからない。
もうひとつ、この佐藤とは佐藤信を指してるのか。
いくぶんかは指してるのだろう。自分を自分の名で作品に登場させること。