引き続き『キネマと怪人』を拾い読み。
ホテル「ひばりケ丘」のボーイ竜が、別のナミコ=波子に向かっていう台詞。

《大陸の某王家の令嬢、謎の美人女優、あなた様をお迎えする長春の町は、一ヶ月も前からもう噂でもちきりでございました。待ちに待ったその当日、特急「あじあ号」の一等車のタラップから降りられて、駅前の広場を埋めた歓迎の大群衆ににっこりと手をお振りになったあなた、凛々しい乗馬服姿のあなたは……》

波子はこのドラマの主役らしい。登場人物のトップに彼女の名がある。
「某王家の令嬢」とあり、清朝の皇族の家に生まれた川島芳子を思わせるが、「美人女優」という表現は芳子にあてはまるのか。あるいは波子は、川島芳子と山口淑子(李香蘭)を合成したような人物か。

川島芳子 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/川島芳子

山口淑子 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/山口淑子

佐藤信『キネマと怪人』「序」

時代背景
1937年(昭和12年) ジーン・ハーロウが腎臓障害で死ぬ。
1962年(昭和37年) マリリン・モンローが薬物で死ぬ。
1967年(昭和42年) ジェーン・マンスフィールドが自動車事故で死ぬ。
1932年(昭和07年) 「満州国」建国。
1945年(昭和20年) 「満州国」自然消滅。

かくして、ホテル「ひばりケ丘」では、あらゆることが起こった――とあり。

引き続き佐藤信の戯曲『キネマと怪人』を読む。序がもう一つあり、題して「もうひとつの序」。

最初のト書き
《一本のおんぼろ傘の下、肩を寄せ合う三人。昨夜も見かけた「ご町内の三人組」――松島さん、厳島さん、天橋立さん。今宵の彼ら、あつかましくも彼のマルクス三兄弟もどき。》

最後のト書き
《三人組、前方を見つめて、そのまま動かない。
暗転――とたんに、三人組のあげる断末魔の悲鳴。》

場の設定は、ハイウェイ、雨、夜明け。
三人組は話を交わしたり歌ったりするが、なんのために出てきたのか。劇の登場人物だから、劇中で負わされている役割はあるはずだが。
何かを象徴するかもしれない存在として、現場に後足と尻尾だけ残し、頭や前足はトラックの車輪にこびりついてどこかへ行ってしまった猫。じつはただの野良猫ではなく、後ろ姿から見てハンフリー・ボガートなのだという。

フォロー

佐藤信『キネマと怪人』「第一章」

ホテル「ひばりケ丘」8号室、早朝。
宿泊客はジミーことジェームズ・ディーン、化粧石鹸の行商人、30歳。
「24歳の秋に自動車事故でも起こしてくたばってれば、あなたも今ごろ永遠の青春のアイドルになっていたかもしれない」と、明智小五郎の助手・小林君の弁。ジミーのこの設定には、左翼運動で死に損なった者の思いがこめられてはいないか。1943年生まれの作者は、1960年の安保闘争当時、高校生。
またジミーの造形には、詩を捨てて商人に転じたアルチュール・ランボーの姿も預かってるだろう。

ジミーは女連れで投宿している。
宿帳には「妻、21歳」と書いたが、じつは土砂降りの街道で拾ってきた波子。
波子の名は、役名リストの最初にあり、このドラマの主役か。

引き続き佐藤信の『キネマと怪人』を読む。
「第二章」の場と時間は、ホテル「ひばりケ丘」の支配人・浪子の自室。時刻は「第一章」と同じ日の、ただし昼近く。

最初の登場人物は、浪子と鞍馬虎馬(くらま・どらま)。浪子は「往年の大スター、女装の麗人」とあり、女装しているのだから女ではなく男。男・女の関係が逆になるが、「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子を思わせる設定。
『キネマと怪人』は評伝ドラマではないから、モデルの利用は恣意的。川島芳子の属性は別のナミコ=波子にも取り入れられている。
fedibird.com/@mataji/112614488

*『キネマと怪人』には6人のナミコ――波子、浪子、濤子、涙子、並子、漣子――が登場

[参照]

『キネマと怪人』「第二章」のつづき。
浪子(男)と彼の専属監督である鞍馬虎馬が、遅い朝食をしながらチェスを指している。

鞍馬 まだつみではありませんよ。よろしいですか、この騎士をこう――
  ト、駒を動かす。
浪子 あらまあ、お上手。とてもお上手。
  ト、盤上の駒をひっかきまわして、辺りに散らばしてしまう。
 
二人の力関係は、なにごとにつけ浪子が攻撃的で上位にあるように見えるが、鞍馬も負けていない。
この場面でも、鞍馬は動ずるふうもなく、駒をひとつずつ拾って、それまでと同じように並べ直す。

鞍馬がチェスの駒を並べ直しながら、活弁ふうに言う――
鼠を殺す日曜日までには、まだ数時間の猶予がございます。その間のお暇つぶし、我らが傷だらけのヒーローを探し求めさまよい歩きまする、我らが傷治しのヒロインの、絹糸にもたとえられようか細き叫び声。(声色で)「あなたやあ、あなたやあ――」。彼女の白魚にもたとえられようか細き小指の第二関節には、彼の日の指切りげんまんの切れ端が、いまは冷たい化石と変って、ぶらぶら引掛っているのでございます。

さえぎって、浪子が言う――
申し上げておきますねどね巨匠、私はもうそんな安っぽいメロドラマのヒロインなんて真平ご免。私の映画(キネマ)は私の真実を――真実の愛を捧げられる映画でなければなりません。そういう映画の中でこそ、私は生き、死に、そして再び不死鳥のように蘇るのです。

映画監督の鞍馬は、映画を作り物と考えている。
女優でもある浪子は、映画の中で自分は生きているのだと言う。

鞍馬はポケットからフィルムの切れ端を取り出し、「たかだか数フィートのセルロイドの帯に過ぎない」と言って、はさみでフィルムを切る。
とたんに、女の悲鳴。
「ほらご覧なさい」と浪子。

作品には生身の人間が綴じ込まれている。――との作者の思いを浪子に託した場面か。

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