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『女ぎらい ニッポンのミソジニー』
著/上野千鶴子

社会学を多少かじって、フェミニズム関連の本も数冊よんでみたとはいえ、それでもうまく名前が付けられずにいたモヤモヤに、ぺぺぺっと名札を張って、痛快で明快な説明をしてくれる本。読むのも凄く楽しくて一日で一気に読んじゃった。刺激的な表現が多岐にわたってでてくるので電車の中で読むのは多少気を遣った。でもそこが好き。

ミソジニーの定義にはじまり「ホモソーシャル」についての解説、性の二重基準、児童虐待、皇室、春画、母と娘、女子高……と、盛りだくさんな内容だった。一家に一冊あったほうがいい。

2010年に刊行された単行本が2018年に文庫化されている。13年前の本だというのに、古いと感じるところはほとんどない。たとえ話とか出てくる本のタイトルが古いとかその程度。多分、あと10年20年は余裕で古びないとおもう。気が遠くなる。ちょっとは前進していればいいが、最近は反動的なうごきも強くなっているので、状況はむしろ悪化しているんじゃないかとすら思う。

「ニッポンのミソジニー」感想続き 

ぺけったーで時々話題になる「弱者男性」の話題も取り扱われていた。要約すると「弱者男性に女をあてがえという論は、女を所有することで男になりたい男性に好まれる。男のアイデンティティとは、女に支えてもらわなければあっけなく崩れてしまうほどの脆いものらしい。弱者男性論そのものにミソジニーを煽る効果がある」……議論は13年前に終わっていたのだ。びっくりだ(4章「非モテ」のミソジニー)

韓国でも広く読まれたらしい。そういえば、NHKのニュースになっていたのを見た気がする。韓国の読者には10代、20代の若い世代が多いのだという。日本では「フェミニスト」「フェミニズム」は、性の賞味期限が切れたうるさいオバサンがなんかわめいてるわ~程度の認識でいるけれど、本当は、男性が男性である苦しみからも解放するための理論であり実践だってことが、もっと知られて欲しい、とおもう。

「ニッポンのミソジニー」感想続き・2 

>女を所有することで男になりたい
誤解を招く表現なので補足すると、「女を所有すること=男になること」なのではなく、女を所有することで「あいつは男になった」と他の男たちから認めてもらうことが重視される、それがホモソーシャル。

そのため、男性の性的主体性をゆるがしうる同性愛(自分も「ホられる側」になるかもしれない!)は受け入れがたく厳しく排斥されるし、自分の性欲を刺激する女性しか「女」と認めない。

「ニッポンのミソジニー」感想続き・3 

感想というかなんというか。

私は昔から殆ど胸部に起伏がないくせに尻がでかく足も太いため幼児が大人サイズになって歩いてるみたいな体形しており、大学の頃部活の先輩達に「あいつじゃ勃たない」と言われていた。小中高と「こいつだけはアリエナイ」みたいな目で見られ続けたし、親からも「どうしてあんたは(妹にはできるのに)愛想よくできないの」みたいな扱いだった。あとこれは元々の性格もあっただろうけど、服や化粧にも気を遣わなかったので余計にそういう扱いだった。何もかもが億劫だったので葉っぱ一枚あればいい社会に行きたいとずっと思っていた。

連中にあんなことを言われる筋合いは無かったと今なら思える。殴ればよかった。何なら今からでもぶん殴りたい。殴らせろ馬鹿野郎。

ああいう品定めの目線って全部、この社会が「男の欲望」で満たされていて、その中で生きてたからだったんだな。

もう十年以上前のことだけれど、そんなふうに言語化されたことがとてもうれしい。

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