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彩の国さいたま芸術劇場で観たとき、やっぱり困惑&困惑だった『終わりよければ〜』のほうはかなり楽しく観られました。
2度目の観劇で、登場人物をある程度把握していたからかな…シェイクスピアは同じ作品でも観劇体験を重ねたほうが楽しめるのかも。あと登場人物にも俳優にも「推し」というか、ここに注目するぞ、というポイントがあったほうがよいのかなという気もしました。

浦井さんのバートラムがよかったんだよね!
彩の国さいたまの藤原竜也くんのバートラムは女遊びとかしそうにない感じだったんだけど、浦井バートラムは「爽やかなイケメンだがチャラいクズ」感がありました。めちゃくちゃ感じがいいのにクズい!だがそこがいい!笑
中嶋朋子さんのヘレナも、聡明でしたたかさがありつつファンガールっぽい前のめりさがあってよかった。ラストが「すべてよし」なのかは謎だけど。
ソニンさんは『尺尺』『終わりよければ〜』どちらの役もすごくよかったです。

浦井さん、今後もシェイクスピア演ってほしいな…歴史劇シリーズでヘンリー四世・五世・六世・七世コンプリートしてるのに、ほぼ見逃してるの残念すぎる…また何かの拍子に上映会してくれないかな。

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11月に入ってすぐ、新国立劇場の『尺には尺を』『終わりよければすべてよし』をマチネ・ソワレ通し観劇しました。
nntt.jac.go.jp/play/shakespear

ステージ上に池があって、『尺には尺を』ではあんまり使われてなかったけど『終わりよければ〜』では浦井バートラムがフランス王に池に叩き込まれたりしていました(下手側前列で観たらかなりびっくりしそうだった)。
基本のセットは同じなのに、けっこう印象が違ったな。

予備知識ゼロの状態で初めて観た『尺には尺を』はものすごくスッキリしない話で、どう面白がればいいのか困惑しているうちに終わってしまいました。
とくに公爵がイザベラに求婚する結末にドン引きした…イザベラもドン引いてたけど…

入社2週間で退職してしまいました。アルバイト生活をしていた頃にもなかったことですが、出席させられた会議で経営者から年齢ハラスメントでは?という発言を浴びせられ、びっくりして気がついたらこうなっていた。
経営者側は同じ会議の中で(私ではない社員が会社に提出したコメントを扱き下ろしながら)「ハラスメントと指導の区別がついていないのではないか」とも言っていました。

実際には、ハラスメントと指導の区別がついていないのは被害側じゃなく加害側なんだよね。宝塚歌劇団が、宙組生の急逝を受けて発表した調査報告書を読んだけど、それはパワーハラスメントですよね…?という内容を堂々と記載して、堂々と「ハラスメントにはあたらない」としている印象があり、とても怖かったです。

たとえば、私はそもそも「お声がけコミュニケーション」なるものが行われる必要性や妥当性をものすごく疑問に感じてしまうんだけど、報告書はそういう部分にはまったく疑いの余地をはさまず、「礼儀として行われて然るべきもの」という大前提を決して崩さずに、上級生と下級生の行動を評価しているので、根本的に話が通じていないという絶望感があります。
kageki.hankyu.co.jp/sp/news/20

なんかほんとうに節目というか、青春の終わりを感じる。更年期を目前にして何を言ってるんだ感があるが…

この20年…25年?ぐらいのあいだに夢中だったものが次々に過去になり、いま住んでる家の周囲がどんどん取り壊されてて長くても10年以内にはうちも立ち退きだろうなというのが見えてきて(戸建てだが持ち家ではない)、おそらくインボイス制度の影響で家族の仕事はいよいよ減り、別の家族は非正規から正規雇用に切り替わり、文学フリマはビッグサイト開催が決まり、会社勤めがハードでものが書けなくなり、その状況は転職しても改善しそうにはなく、足下がぐらぐらのうえに見通しもあんまり明るく思えず…つらい…ただでさえ気持ちが落ちこみやすい季節なのに…

なんでこんなときにあっちゃんはいなくなったの?

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中村俊輔の引退試合のニュースを今更知って(そもそも引退のことすらちゃんとは知らなかったのだが)エントリーしてる選手がよく知っている選手ばっかりで、それこそ松田と奥の名前もあって、しかもスタジアムは三ツ沢なんだ…と思ったら、ウワーッとなってしまった…(城彰二選手が好きで、横浜FCを応援していたことがあります)

この20年の思い出話をさせてくれ…あんなことあったよね、懐かしいね、ってひたすら言いまくりたい。なんかそういう会を設けないと心の整理が難しい。
でも思い出を共有している人の多くとは疎遠になってしまったんだよね。

きっとみんな、人生のもっと早い段階でこういう経験をしてきてるんだろうな。みんなどうやって乗り越えてきたんだろう。
yokohamafc.com/farewell-nakamu

G.Garage///『ヘンリー四世』を滑り込みで観ました。めちゃくちゃ面白かった!
第一部と第二部を一幕と二幕にきれいにおさめて一本の芝居にしてあって、コンパクトで見やすかった。『ホロウ・クラウン』でもとくに第二部はけっこう中だるみした記憶があったんだけど、まったく飽きなかった。
「人間関係がわからないとシェイクスピアはものの5分でつまらなくなる」とのことで冒頭には登場人物紹介があり、これもたいへん笑えてわかりやすかった。

生で観るとイーストチープでフォルスタッフとハルがわちゃわちゃしてる場面ってほんとうに楽しいんだな…「王様ごっこ」とか、楽しすぎて(その後の展開を知っているだけに)つらかった。
二幕(二部)の、女将のヴァイオリン演奏でドルが踊るのも最高だった。

一部の役はクロスジェンダーキャスティングされていて、真以美さんが演じていたホットスパーがすごくかっこよかった。

小さいスタジオに細長い舞台のシンプルなセットで、ススキや酒樽の蓋など小道具をうまく使って場面転換していた。
シェイクスピアを食わず嫌いしていたころ、「私はそういうんじゃなくて小劇場の現代の芝居が好きなんで…」みたいにイキっていたのですが、いつのまにか小劇場で現代的なシェイクスピアを観るようになっていて感慨深い。

あとアメリカのイスラエル援助について、2014年のガザ侵攻の際にもアメリカはイスラエルへの追加の武器供与を可決していた、しかも上院議員の全会一致で、というのはショックだった。「バーニー・サンダースも反対しなかった」のだと。親イスラエル団体を敵に回したら当選できないから、内心はどうあれそのように振る舞うしかない、それでも政権内部にバーニー・サンダースがいないよりはいたほうがいいし、大統領だってトランプよりはオバマやバイデンのほうがましだから…って、こんなの『善き人』で見たやつじゃん。ユダヤ人の親友に「自分のような人道主義者が内部にいたほうがいい」って言い訳してナチに入党する主人公だよ。

そもそも『善き人』のような素晴らしい舞台を生んだイギリスだって、今回の国連の「即時停戦」決議では棄権しており(日本もだが)、遡れば第一次大戦後のイギリスの外交が今に至るまでの問題の発端のひとつでもあるわけで…などと考えはじめると、『善き人』の見え方もまた変わってきてしまう。

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緊急セミナー「ガザ 人間の恥としての」(講師 岡真理)を視聴しました。
イスラエルとパレスチナについて、私もどこかで「複雑な問題」「憎しみの連鎖」という言葉で片付けてしまっていたところがあり、まず「パレスチナはイスラエルの軍事占領下にある」という構造をしっかりとらえられていなかったと思う。「パレスチナはイスラエルの新型の兵器の実験場であり、デモンストレーションのショーケース」というお話は衝撃的だった。

非暴力で平和的に抵抗しつづけても踏み躙られ無視されるばかりで、これ以上どうしたらいいのか、という問いかけがほんとうにつらい。
つらいが、追い詰められたあげくの、抵抗のための暴力だけが咎められる、という構図、ほんとうにあちこちにある。

これまでもずっとそこにあった問題なのに、何をしていたんだろう、と最近しょっちゅう思わされるが、この問題もそうだった。

「ハマスとは何か」とよく問われるが、むしろ「イスラエルとは何か」を問うべき、という話で、イスラエルに対してパレスチナが被害者であることがほんとうに腑に落ちた。
「何者なのか」を問われるのは常に抑圧される側だから。
youtu.be/-baPSQIgcGc?si=Onf3Oy

この旅行の目的は星組の博多座公演『ME AND MY GIRL』の観劇だった。

宝塚歌劇団については、2月に大劇場公演を観に行った時点で週刊誌報道を受けてウジウジしたことを書き連ねており夏の星組『1789』でもさんざんモヤモヤし、そして所属の団員の死亡という決定的な事件を経てさすがにかなりテンションが下がっていた…と言いつつ飛行機に乗って観に行ってしまったわけですが。

博多座はたいへん良い劇場で、観劇中はやはり楽しかった。『ME AND MY GIRL』はわりとお気楽なハッピーミュージカルだし、演者さんたちはみんな達者だった。
けれど楽しみながらも、前日に知った訃報が頭から完全に離れる瞬間はなかった。訃報という言葉で一括りにはできない、けれど、同じ劇団に所属する団員の訃報を受けてまだ日も浅いのに、舞台に立っている人たちを心配せずにはいられなかった。

舞空さんのチャーミングな「顎で受けなさい」を聴きながらも、「アゴで受けとめてニガい顔してスマイル」じゃ済まされないことが起きたんだろうが…などと思ってしまい、なんか…よい舞台だったけど、状況的に楽しむのが難しかったです。

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そして今週は一泊二日で博多に行ってきた。子どものころの長崎への家族旅行で通過したことはあったけど、しっかり滞在するのは実ははじめての福岡。
直前にいろいろありすぎて下調べもろくにできず、いつも以上に行き当たりばったりで出かけたのですが、それがすべて良い方に転がってくれたというか。

初日の夜、せっかくだから中洲と呼ばれるあたりに寄って帰ろう…とふらふら歩いていて水上バス乗り場を見つけ、思いがけずナイトクルーズに参加できたりとか。
屋台村や博多ポートタワーを見ながら博多湾まで行く30分のクルーズで、がっつり観光したぞ!という気分になりました。

2日目はこれも現地でたまたま存在を知った福岡アジア美術館に行き、予想以上にすごくて圧倒されてしまった…李禹煥、蔡國強をはじめたしかにアジアの現代芸術のスター作家が揃っていて、10人24点とは思えないボリューム感だった。別の企画だけどパンクロック・スゥラップもいたし。
作家の写真とあわせて展示されていた方力鈞の自画像がとくに印象的だった。

ごま鯖、明太子、のっけ、ごぼう天うどんと当地のおいしいものもたくさん食べられたし、大きなアクシデントもなく、ほんとうに楽しい旅行だった。

少し前にNTL『善き人』を観た。
たくさんのひとに観てもらいたい、素晴らしい舞台だったけれど、ほんとうにしんどかった…。
教養があり、家庭にも尽くし、ユダヤ人の友人がいて、差別には反対する人道主義者でありながら、世間の情勢に抗えずナチに入党する主人公はまさに自分も含めた「ふつうの日本人」で、そういう「善き人」がどんな言い訳をして、どれほど酷いことをするかを突きつけられる。
私は観ながらずっとガザのことを思い出していた。

シンプルなセットだが、音の使い方はかなり迫力があり、とくに二幕の「砕けたガラスの夜」の場面は怖かった。
焚書の演出もすごく怖かったな…あの炎は本物だったのかな?燃やしていた本はきっと中身が白紙の小道具だよね、と思わず自分に言い聞かせてしまう怖さだった。

長身で腰が高く、ものすごくスタイルが良いデヴィッド・テナントがSSの制服を身につけるシーンがショッキングで、不思議なくらい格好よく見えなかった。やはり劇中でSSの制服が格好よく見えるときって「格好よく見せたい」という意図があるんだろうなあ。
舞台上にはほぼずっと3人の俳優だけで、テナント以外の2人は複数の役を演じ分けるんだけど、びっくりするほどみんな演技がうまかったです。
ntlive.jp/good

また、木版・銅版・ドライポイントなど版画の技法についての説明もあり、銅版画に使う銅板に実際に線を引く体験もさせてもらった。
鑑賞していた作品の作者のかたが偶然会場を訪れていて、いろいろお話を聞かせてくださったほか、目の前で銅板に線を引いてみせてくれた。思いのほか強い力で引っ掻かないと、しっかりした線にならないのだとわかった。

すごく貴重な経験をさせてもらえて、勉強にもなりました。

会場にたくさん展示されていた版画も、いろいろな題材や質感のものがあって、見ていて飽きなかった。
入ってすぐのところに展示されていたレジンを使った作品がとくに好きだった。

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先週の土曜日、代官山ヒルサイドフォーラムで「第66回CWAJ現代版画展」の、「ハンズ・オン・アート」というワークショップに行ってきた。
視覚障害のある人が版画を楽しむためのプログラムとのことで、参加じたいは誰でもできる。

版画の線や色を立体的に浮き出させた「触図」をさわりながら、ここに描かれているものは何だろう?など、話し合いながら鑑賞するという内容。
とくに最近は、ひとりで美術展を観ることが多いので、単純に作品について人とあれこれ言い合うのが面白かった。グループには全盲のひともいるので、見える参加者が色を説明したり、視覚と触覚で得た情報を総合して作品を読み取っていくのはとても面白かった。
「触図」そのものも興味深かった。専用のプリンターがあるそうだが、単に描線を浮き出させているだけではなく、色の濃淡なども手触りで感じとれるよう、「編集」がされている。触るから気づけるけれど、目視だけでは見落とすのではないか、というような薄く、細い線もあった。
会場にはオリジナルの作品も展示されていて、触図と見比べることもできる。
cwaj-gallery.jp/hands-on-art/

しかしびっくりするほど涙が出ないな。さすがに今井さんのインスタやレイモンド・ワッツのツイートを見たときにはワッとなったけど…
森賢さんのときはめちゃくちゃ泣いたのに、あれはやっぱりライヴに行った直後で、その後また行く予定もあったからかなあ。実はBUCK-TICKの音源も長いこと聴いていなくて。いま聴きかえすと危なそうなので、とりあえず旅行から帰ってきてからにします。
まだ買ってなかった『異空』を今さら買うのも後にしよう…

こんなことになって、でも去年と一昨年ライヴに行っておけばよかった、とはあまり思わないんだ、負け惜しみかもしれないけどそれは後悔してない、と言ったら家族が「だっていつかまた(BUCK-TICKのライヴに)戻りたいと思ったからこそ、距離を置いたんでしょ?」と言ってきて、さすがTHE ALFEEをかれこれ25年追っている人は言うことが違う。
あとこういうときに「推しは推せるときに推せ」みたいに言うのはあんまり好きじゃないです。

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最初に知ったとき、ただただびっくりしちゃって、涙も出なかった。

BUCK-TICKのライヴは2020年12月29日以来行っていなくて、今年の年末の武道館は行こうかなあ、と思っていた矢先でした。

hideちゃんとか、森賢さんとか、好きで聴いていたミュージシャンの訃報にはさんざん接してきたけど、BUCK-TICKとLUNA SEAとGLAYは10代で出会ってものすごくのめりこんだせいか、特別なバンドなんだよね…
「人生を支えてもらった」感覚があります。

BUCK-TICKはなんだかんだでいちばん長くライヴに通ったし…いつかは彼らのことも見送らなきゃいけないのはわかってたけど、こんなに早いとは思ってなかった。

あっちゃん、安らかにお眠りください。

心配してくださったかた、ありがとうございます。寝込んだりはしていないので逆に申し訳なく思ってしまったりするのですが、それだけ私が「あっちゃんが!あっちゃんで!あっちゃんなんだよ!!」と言いまくっていたということだよね。

自室で猫といるときに訃報を見てよかったです。こういうときに動物がそばにいてくれるとほんとうに慰められる。猫はただ寝ているだけなんだけど。
sp.buck-tick.com/news/detail/1

いつもは美術展だけを観てさっと帰ってしまうんだけど、せっかく上野にいるのだし、たまには、と思い、この日はお昼を食べてから公園内をうろうろした。

上野東照宮ぼたん園(こういうエリアが存在することを初めて知った…)でダリアの特別展をやっていたので、ふらっと入ってみたり。
ダリア、きれいな名前の品種が多い。そしてほんとうに華やか。

十数年…いや数十年かも?ぶりで上野動物園にも行った。
ゾウとかキリンとか、ホッキョクグマとか、ふだんなかなか見ることのない動物を見るの、めちゃくちゃ楽しいなあ…と童心に帰ってしまいました。
ジャイアントパンダも見たよ!ふたごのレイレイ&シャオシャオは大行列だったけど、リーリー&シンシンは並ばずにゆっくり見学できた。
午後の遅めの時間で、レッサーパンダやミナミコアリクイの給餌に立ち会えたりしてラッキーだったけど、おうち(飼育舎)に帰ってしまって見られなかった動物もけっこういた…ゴリラとか…
哺乳類だけでなく鳥もいっぱいいて、あらためてすごい動物園だ…と感心しました。入園料も思ったより値上がりしてなくて、600円でこれだけ楽しめるのはコストパフォーマンス良すぎだな〜としみじみ。また行きたい。

国立西洋美術館「キュビスム展」に行ってきた。
14章から構成された展示で、ピカソとブラックが互いのアトリエを行き来してキュビスムを探究したという4章「ブラックとピカソ―ザイルで結ばれた二人(1909-1914)」がすごかった。色彩もなく、ほとんど抽象画のようにも見えるんだけど、抽象画じゃないんだなあ…と思った。

後半はドローネーの《パリ市》をはじめあざやかな作品が並んで、楽しく観られる。キュビスムとイタリアの未来派が合体したロシアの「立体未来主義」とか、興味深かった。
個人的にはシャガールがたくさん来日していてうれしかった。とくに《ロシアとロバとその他のものに》は、高校生のときに東京都現代美術館「ポンピドー・コレクション展」で強い印象を受けた作品で、26年ぶりに再会して涙ぐんでしまった。

タイトルだけずっと知ってたフェルナン・レジェの実験映画《バレエ・メカニック》を観られたのもよかったです。
cubisme.exhn.jp

昨日もまた、おいしいきのこ鍋を囲みながら「小説が書けないんだよねえ…」とみんな返答に困る愚痴を言う最悪のムーブに及んでしまったわけですが(ほんとうにごめんなさい)ちょっと前までは「書けない」という焦りすらあんまりなかったので、「書けない、でも書きたい」という焦燥が出てきたのは前進かもしれないな。

(そもそも、ちょっと前までは亀の歩みながらも作文仕事を一応こなしていて「書いてる」状態だったのに、かれこれ10年書けていません…ぐらいの深刻なテンションにすぐなっちゃうのが、私の「書けない」を薄っぺらくしているよな…わかってはいる…)

小説を書きはじめるときというか、お話ができるときの最初のとっかかりも、音楽だったり単語だったり色々あるんだけど、今は「書きたい、何かないのか」と原料を漁ろうとしてなんとなく見つかるそれっぽいものは「場面」で、同じ場面を繰り返し想起しているので、きっとこれが何かの種なんだろう、と思うようにもなった。ただ、まだ場面しかないのでどうにもならないという感じ。気長に追いかけてみたらいいのかな。

「あったこと」で書きたいことが溜まってきてるけど、こういうボヤッと思うことがいちばん書きやすいのでつい…展覧会や読んだ本のこともおいおい書きます。

小説を書きたい。長らく「これが新作です」というものを出せていない気がするので、出して読んでもらいたい。何より、小説を書いているときにしか感じることができない快楽みたいなものが(苦痛:快楽が9:1ぐらいの割合とはいえ)やはりあって、それを味わいたい。

…という気持ちだけが高まっているのだが、いっこうに書けない。書ける気がしない。
私は基本的にいつも「書けない」と呻いているうえに、「書けない」と言いながら作文仕事を完了させたりもしている。なので私の「書けない」はなんていうか、とても薄っぺらく、「また言ってるよ」「そんなこと言いつつ書くんでしょ?」といなされても文句は言えないのだが、それにしても、書けない。
そもそも書くことがない。何を書いていいのかわからない。小説って何を書けばいいの?何だっていいよ、何を書いても小説にはなるよ、ささいなこと、朝起きて夜寝るまでのなんの変哲もない日常だって、小説にできるよ。こういう自問自答を毎日繰り返して、でもやっぱり、書くことがない。

いっそ「小説が書けない」ことを小説に書けばいいのでは?!とかも考えるんだけど、なかなか難しい。小説ってどうやって書くんだっけ…。
そんなわけで、文学フリマに新作を持っていきたいという気持ちはとてもあるんですが、予定は未定です…

『ロスト・キング』を観てきた。2012年に、ひとりの無名の女性が主導してレスターの駐車場からリチャード三世の遺骨が発掘された、という実話の映画化だ。
このとき発掘されて再埋葬されるまで、リチャード三世には墓がなく、簒奪者として王族の名誉も剥奪されていたことをこの映画を観て初めて知った。

女で、中年で、研究者としての地位もキャリアもないアマチュアで、純粋な情熱によって行動するフィリッパが、権威を持つ男性に常に軽く見られることが強調されていた。フィリッパを助けるのは女性や子どもなど、相対的に力を持たない人たちだ。発掘を指揮するバックリーも、フィリッパに協力すると決めたときはレスター大学から解雇されて後ろ盾がなかったし、資金難に陥ったときクラウド・ファウンディングに応じたのはリチャード三世の「ファンクラブ」と嘲笑されるリカーディアンたちや、フィリッパの家族だった。
馬鹿にされ、低く見られがちな立場の人たちの「感情」「直観」などがプロジェクト成功の大きな要因になるところが清々しかった。

劇中劇のリチャード三世がすごく良かった。そのリチャード三世が幻覚としてフィリッパの前に現れる、というのにも最初は戸惑ったけど、途中からは楽しんだ。
culture-pub.jp/lostking/

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