あと孤伏澤つたゐさんの小説も「Aスペクトラムの物語」を求めている人に届いてほしい…三人の女性のゆるやかな連帯を描いた『ゆけ、この広い広い大通りを』では登場人物のセクシュアリティを名指すことなく、しかし明確に読者を裏切らない、曖昧でない描きかたがされていて、稀に出会うことができる、「ここには私を傷つける言葉が一語もない」と感じる小説だった。
『浜辺の村でだれかと暮らせば』も恋愛ではないところで繋がっていく人々と、その営みがていねいに描かれていてとても好きだった。
fedibird.com/@tutai_k/11256378 [参照]

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このスレッドにつらつら書いたことをブログにも書きました。
hempandwillowinpain.blogspot.c

文学フリマでブースにいらしたかたに「『ロータス』のような話にはなかなか出会えない」と言っていただいたことが何度かあって、「主人公が恋愛せず、独り身を貫く」物語の少なさを痛感したこともあった…Aスペクトラムの物語、出てきてはいるのだろうけどまだ多くはないんだよね…
手前味噌ではありますが、「アセクシュアル」も「アロマンティック」もまだまだ一般的でなく、性別二元論や異性愛至上主義から逃れることが今より更に難しかったころに書いた『ロータス』をはじめ、拙作もAスペクトラム表象を求めているかたに届いてほしいな~と思っています。
wordsinpain.base.shop/

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ここはほんとうにめちゃくちゃ人によるので絶対に一般化できない、どこまでも「私の場合」でしかない話だけど、私は登場人物のセクシュアリティを詳らかにするよりはまだ「A-specでフィクトセクシュアル(たぶん)の人間が書いている」ということを押し出していくほうがずっと耐えられる、し、今後はそうしていこうかなとも思っている。
何もかも、黙っていると作者も登場人物もすべて「異性愛者」にされてしまう世界のせい…

「勘違いかも」と怯えたり萎縮したりせず、ちょっと親しげな男と女とみれば気軽に「恋愛関係」とみなしてカップリングする世の多くの人たちのように、それらしい関係を見つけ次第「これってアセク/アロマでは?!?!」と軽率にA-spec読みを開陳していけばいいのかも。
A-spec表象、間違いなく少ないんだけど「ズバリの語は出していなくてもA-spec表象なのに、そのように受け取ってもらえない」というのもあると思ってるので。

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登場人物の「アセクシュアル/アロマンティック」「デミセクシュアル/デミロマンティック」などの属性、ズバリのワードで明示しないと伝わらないっぽいことがほんとうに悔しい。
わかるでしょ?の目配せだけだと「異性愛読み」にのみこまれるから明示してほしいという気持ちも、登場人物のセクシュアリティを明示しない(できない)作者の都合もどっちも理解できると思う。そのうえで私は自作の登場人物のセクシュアリティを常に開示する「義務」(とあえて書くよ)はないと思っているし、明示してくれと迫られたらすごくつらい気持ちになってしまう。

このひとこそは…!と期待していたキャラクターが結局は恋愛/性愛/結婚し、そのことに傷つき、傷ついた自分が「未熟」なんだ…と自分を責める、というのをこれまでずーっと繰り返してきて、今でも繰り返しているので、もう中途半端に期待させないでほしい、初めからはっきり示してほしい、これ以上「裏切られた」と思いたくない、という感情は私も持っているつもりなんだけど、ううむ…

いわゆる「商業作家」さん、出版社、書店などのブースが目立つようになったのは、それだけ文学フリマがメジャーな存在になったというのもあるでしょうが、商業の市場が閉塞しているからアマチュア主体の場にまで食い込んできているのだな、というのが個人的な印象です。
某文芸誌のブースを見て、あっ商業出版社の編集部が来てもコミティアみたいに「出張」的なことをしてくれるんじゃないんだ、新人賞の攻略本を売りつけられちゃうんだ、我々は「まだ見ぬ才能」ではなくて「ネギをしょったカモ」なんだなあ、そりゃ自費出版は版元にとってはおいしいビジネスだもんな、みたいなことも考えてしまった。

規模が拡大したことで一般参加者にとっては面白くなったのではないか、とも感じたし、私は基本的にはどんどん場が開かれていくことを望むほうです。そして「開かれる」と「資本化する」はイコールではない…
note.com/kj_nsk/n/n33c296f6bb1

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ぼやぼやしているうちに月が変わってしまったけど、先日の  の振り返り、 の記録、今後のことなどを書きました。

今後のイベント参加予定は、とりあえず2024年12月1日の第39回文学フリマへの参加が確定しています。初の東京ビッグサイト開催!! 私にとっては二次創作のイベントで馴染みがある会場であり、とうとうビッグサイトで文フリか…という感慨が深いです。これは絶対に出たくて早めにエントリーしたので、ブースを確保済です。せっかくなのでいろいろ持っていきたいし、頑張りたい…!
それ以外にも、文学フリマ大阪に出たい……という気持ちが生まれているんですが、ちょっと家族の都合などもあり、ギリギリまで様子を見て行けそうだったら抽選にトライしようかな~などと思っております。イベント参加だけでなく、ここからいろいろお知らせできることもあるので、追いかけていただけるとうれしいです!

痛覚: 文学フリマ東京38 ありがとうございました
hempandwillowinpain.blogspot.c

【お知らせ】
に出店いたします!
【痛覚】E-24
🕙5/19(日) 12:00〜17:00開催
📍東京流通センター 第一展示場・第二展示場
📕イベント詳細→bunfree.net/event/tokyo38/
🎫チケット→bunfree.net/event/tokyo38/toky
📚ウェブカタログ→c.bunfree.net/c/tokyo38/h1/E/2

さまざまなジェンダー/セクシュアリティのありようをあらわす言葉がまだ少なく、ロマンティック・ラブ・イデオロギーや性別二元論から逃れることが今より更に難しかった時代の物語『ロータス』新装2版ができました!

そのほか、笠木拓さんとの交換日記『日記に幕は下りません』、エッセイや掌編小説集などを持ってゆきます。
ブログに参加情報をまとめました。
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ハマスがガザでの休戦案を受け入れたものの、合意には至っておらず、イスラエルはラファを侵攻しているというニュースが流れてくる。
停戦はもちろん即刻行われるべき。でもそれだけでは足りなくて、いまの空爆や攻撃がいったんおさまったあとにも『占領の囚人たち』で描かれているようなこと、パレスチナの人たちが政治犯として拘束されて非人間的な扱いを受けるようなことはあってはならない。イスラエルによる「占領」を完全に終わらせてほしい。




jp.reuters.com/world/security/

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何度もすみません!『占領の囚人たち』配信開始以降の購入ページはこちらだそうです
prisonersofoccupation2405.peat

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オンライン上映のチケット購入ページができていました!こちらです
prisonersoftheoccupation2405.p

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俳優さんたちが現地に飛んでワークショップを行っていたことや、ダーリーンの私的なトラウマにまつわる語りを削るか残すかという話し合いが行われたことなどを、はっきり知らせてくれていたのも誠実だったと思う。

観ていて苦しくなった観劇体験というところで私は『BENT』を思い出したんですが、あれはアウシュビッツの話で…もうほんとうに、ほんとうにやりきれない。
しかも『占領の囚人たち』は現在進行形のドキュメントで、上演された時点より現在ははるかに事態が悪くなっているわけで…

5月6日以降にオンライン上映の予定があるそうなので、気になっているかたには観ていただきたいなと思います(尋問や拷問、性暴力の描写があるのでご注意ください)。
具体的な情報が出てきたら私もシェアしますね。

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『占領の囚人たち』上映会で上演の記録映像を観ることができた。大変つらい芝居だったけど、観てよかったです。

第一部の冒頭から、刑務所での暴力的な尋問を見せられて息が詰まる。劇中で再現される「囚人」たちへの拷問や非人間的な扱いは舞台上の虚構だとわかっていても見ていて苦しく、演じている俳優さんたちの負荷が心配になった。それでも実際に収監された経験のあるパレスチナ人俳優のカーメルさんは「優しすぎる」と言う。

上演されたのは2023年2月で、この舞台で描かれている囚人は主にヨルダン川西岸地区の人たちだという。つまり現在のガザはもっともっとひどい状況にあるということ。

第一部には男性しか登場しないが、第二部の『I, Dareen T. in Tokyo』では逮捕された詩人のダーリーンの過酷な状況とあわせて、イスラエル人劇作家のエイナットとダーリーンの交流が描かれる。この女どうしの連帯がほんとうに良かったし、このひどい現実を終わらせる希望への手がかりだな、と感じた。
jiji.com/jc/article?k=20240331

しばらく前から体調あんまり良くないのかな…とうっすら心配していた家族がやはりあんまり良くなさそうなことが大学病院で判明し、5月になったというのに急に寒くなってぐったりしだした猫様は結膜炎と診断され、ともかく連休に入る前にいったん病院にかかれたことはよかったね…という感じで迎えたGW後半の初日、今度は私が右手をやけどしてしまった。
カップ麺を持ち運ぼうとして手が滑り、熱湯がバシャッとなったというしょうもないうっかりミスだったのだが、水ぶくれができたので祝日も診療している皮膚科に駆け込み、手にがっつり包帯を巻かれ抗生物質まで処方されて、すべてのやる気がゼロに…うう…。私は今のところ元気で、仕事も問題なくてよかった…と思っていたのはなんだったのか…

結局はそんなに重くなくて今は元気にしているけれど、別の家族も体を痛めてしばらく動けない時期があったし、なんていうか、自分も両親も健康に無頓着でいられる年齢ではなくなってきたことを痛感する。そんな感じでやや落ち着かない5月のはじまりです。
猫様は処方された目薬がよく効いてすっかり元気になりました。

旧ツイッターでトランス排除アカウントが「僕」という一人称を「キッッッッツ」などと侮蔑していてめちゃくちゃムカついた。最低すぎるし、ジェンダー規範にガチガチに縛られてるからできる発言だよね。トランスヘイターが言う「ジェンダー解体」なんて欺瞞なんだなということがよくわかる。

性別違和、ジェンダー/セクシュアルアイデンティティの揺らぎ、しっくりくる一人称や服装が規範から逸脱していること、などを「中二病」「"周囲と違う自分"への憧れ」「一時の思い込み」みたいに決めつけることはほんとうに有害で当事者を傷つけるので、適当にそういうことを言わないでほしいんですよ。
ソースはこういう苦しさを「非モテの勘違い」という自虐に押し込めて苦しんでいた十代の私。

『宝石の国』の公開部分をいっき読みしてしまった。なんかものすごいスケールの話だったんだな…でも最後にフォスがああいう形になれるとは思ってなくて、それはほんとうに美しい終わりだと思った。
「実はすべて物語の始めから特定のキャラクターが仕掛けていたこと」という展開が私はどうにも好きじゃなくて、それが判明した時点でけっこう冷めてしまっていたんだけど、そのキャラクターが退場してからはすごかったね…

100話ぐらいまでは読んでいたはずなんだけど、ただでさえ絵から何が起きているのかを読み解くのが苦手なのに『宝石の国』の絵の読解はほんとうに難しくて、ストーリーがよくわかっていなかった。またあたまから読み直して、ようやくなんとなくわかった…ような気がする…けっこう笑うとこがある漫画なんだなと思ったりした…
75話のエクメアとカンゴームは何度読んでも苦しいですね。初読のとき「フィクションでここまで地獄と思った結婚式を見た記憶があまりない…」と思ったんだけど、その感想は変わらないな…

カンゴームについてはキャラクターや物語そのものより「カンゴームが『姫』になったことにショックを受けている人たち残念でしたね」みたいな目線の感想が苦しい。性別がなく、性愛と遠い存在に心を寄せることを嘲笑されているように感じてしまって。

旧ツイッターのほうで、私の投稿をスクリーンショットで引用し、「検閲だ」と晒した投稿が1000以上RPされていたことに昨日気づきました。警戒しすぎかなとも思いつついったんメインアカウントを停止していますが、30日以内には戻します。グループDM使わないといけないし。お騒がせしてすみません…。

「しれっと返本することもできただろうし、私なら多分そうする」という部分が激しい反応を引き起こしたっぽく…「返本」とは限りある棚に並べる商品の選別であり、店舗運営のための書店の日常業務なのだ、ということが書店・出版業界の外ではあまり知られていない可能性に思い至らなかった私もよくなかったけど、それにしても「検閲」を誤解しすぎじゃないか…

むしろ正しい意味での公権力による「検閲」ではなく、現場の書店員という一個人による判断であることに抵抗感を覚えた人が多かったのでは、と思ったりした。「出版社の許可もないのに」みたいな言葉で憤慨している投稿もあったし。
公権力や組織の命令ではなく、何の権力もない一個人が、個人としての責任と判断に基づいて行動や抵抗をすることが気に入らない、という人が多い、ように少なくとも旧ツイッターにいると感じられる。怖いことだ。

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書店には、版元が苦しまぎれにやっつけで作った紙の無駄でしかないような新刊が、注文してもいないのに毎日大量に搬入されてくるんですよ。返本するしかないだろ。
とりあえず新刊を取次に送り込めばいったん売上が立つので(売れなければいずれ大量返本されて詰むので、完全にその場しのぎではある)とくに苦しくなってきた出版社は粗製濫造に走りがち。私が去年の春まで在籍していた版元も年々その傾向が強まってきていたうえに、営業への異動で書店に直にそういうしょうもない新刊を売り込まなきゃいけなくなったのが決定的に無理で、10年以上勤めた会社を辞めたんだよ…

書店員が気に入らない本を勝手に返本するなんて営業妨害だ、キャンセルカルチャーだ、という意図を含んだ引用もついてほんとうにげんなりした。
宝塚歌劇団でも某短歌結社でも、加害側の人間は告発されてもなお組織に残り、被害側・被害を告発した側は去っている。危険を感じるほど「キャンセルカルチャー」が機能してる場所なんかないよ。

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おそらくは書店員が独自に注意喚起オビをつけた『トランスジェンダーになりたい少女たち』、投稿されていたオビの写真を見て、私はこの現場の書店員さんはすごい、えらいな、と思った。科学的根拠が疑われている等、コンパクトだけどきちんと調べてある内容だったし、文言も冷静だった。職務を果たしつつ、自分ができる範囲内でやるべきことをしているかただと感じた。

1冊棚差しだったとのことで、黙ってしれっと返品してしまうこともできただろうに(私なら多分そうする)わざわざ手間をかけて注意書きをつけて店頭に並べるの、むしろ「検閲」や「焚書」と真逆の行為だと思う(差別的な内容の本の出版停止を要求するのは「検閲」や「焚書」ではもちろんない)。

…という投稿を旧ツイッターにしたら急に不穏な感じの引用がつきはじめ、ブロックでは対応しきれない危険を感じてアカウントに鍵をかけた。14年運営しているメインアカウントを非公開にするのは初めてです。
旧ツイッター、もう終わりだな…と100回ぐらい感じたし投稿もしたと思うけど、いま過去最高に「終わり」を感じている。

性的なシーンにおいて能動(加害)側の俳優さんが自らインティマシーコーディネーターの参加を希望するケースがある、ということにびっくりしてしまった(びっくりしなくて済むようになってほしい)。
高嶋政伸さん、誠実かつめちゃめちゃプロだな…

高嶋さんが「僕に娘がいたら、とても演じられない」と感じてしまったと吐露していて、そうだよな、暴力を振るわれる役の俳優だけではなく、暴力を振るう役の俳優にも暴力的な場面を演じることへの苦痛はあるし、配慮されるべきだな、と今さらながらに思った。
shinchosha.co.jp/nami/tachiyom

『成功したオタク』を観ました。「推し」がやらかした(犯罪をした)ときにファンはどうしたら…という、現在の日本でも直面している人が多いであろうテーマなんだけど、「加害した推しのファンを続けることはありえない」というラインはかなりきっぱりしていて、日本との差を感じた。
もちろん思い出もあるし、そう簡単に割り切れない、という辛さは語られていたものの、とにかく「犯罪者は推せない」というのが大前提。「ファンでいることは二次加害」というような言葉も出てきた。

オ・セヨン監督がかつての自分の日記を読み返し、推しを告発した記事の記者を名指しで責める記述を見つけて記者本人に謝罪メールを送り、会ってからの展開がすごい。記者は「罪を犯したアイドルを擁護しつづけるファン」を「パク・クネの支持者のようなもの」と言い、監督はパク・クネの支持者たちの集会に足を運ぶんだけど、ここはほんとうにすごかった。
宝塚歌劇団や松本人志を擁護したいあまりに週刊文春を非難し、「サヨクと活動家の陰謀」と言い出し、「ネット右翼」と合流していく旧ツイッターのアカウント群を思い出さずにはいられなかった。
neol.jp/movie-2/127371/

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