【更新】笠木拓さんとの交換日記本『日記に幕は下りません』につけていたおまけペーパーをオンラインで公開しました。笠木さんによる柳川の会社員百合小説をイメージした短歌連作、柳川による笠木さんの短歌から連想した掌編を載せています。
痛覚: 『日記に幕は下りません』おまけペーパーを公開します
『日記に幕は下りません』おまけペーパーを公開します
【お知らせ】 12/1 #文学フリマ東京39 【し-35 痛覚】にて頒布予定の恋愛”以外”の別れ話アンソロジー『わかれについてのエトセトラ』目次はこのようになっております📚 タイトルだけでも、バラエティ豊かかつ豪華ラインナップなのが伝わるのではないでしょうか…!お楽しみに! [参照]
【お知らせ】 「別れ話」という語からは「恋愛」が連想されがちだけど、「別れ」はどんな関係にも訪れる。その話をしたい。聞きたい。 12月1日(日) #文学フリマ東京39 にて「恋愛以外の別れ話」14篇をあつめたアンソロジー『わかれについてのエトセトラ』を発行します。 小説、詩、エッセイ、手紙、ブックガイドetc etc… よろしくお願いいたします✨
ヘテロ(かもしれない)設定のキャラクターをゲイだと想定して二次創作することがあるんだから、Aro/Aceという設定のキャラクターをアロセク/アロロマにしたってよくない?みたいな話題を見かけて、エエエ〜!!になってしまった…そのめちゃくちゃちょっとしかない椅子を奪いに来るんですか??
Aro/Aceという設定のキャラクターだって、べつの特定のキャラクターとのshipをえがくことはできると思うし、性愛だっていくらでもえがけると思う、Aro/Aceだからって性愛が一切ないともたぶん限らないので…
いや〜まじでAro/Aceのship(相手のセクシュアリティは問わない)ぜんぜんやれます、やってやるぜ!!という気持ちになったけど、まずはファンフィクやろうと思えるほどAro/Aceのキャラにハマる必要があり、Aro/Aceのキャラがめちゃくちゃ増える必要があるな…
…というようなことをBlueskyで書いたら、やっぱりRP先で「それにしても旧ツイッターでの雑なけなし方はひどい」とか「思い入れはないけどあれだけの作家なのだから敬意は持つべきでは」とかぐちゃぐちゃ言われていた。
SNSのつぶやきなんて大多数はせいぜい「個人の感想」でしかないし、まして広く世に公開されて(かつ一定の支持を得ている)作品に対して「私はキモいと思いました」ぐらい言わせてくれよ…と思っちゃうんだけど、旧ツイッターでは「何かを批評するのに『キモい』などという語を使うのは云々」みたいなことまで言い出されてるし、有名作家のアカウントがやたらと「小説家なんてみんなキモいよ」とかそれこそ雑なこと言ってるし…
いやもうこの状況がキモい。なんなんだ、「春樹キモい」っていう感想はそんなにタブーなんですか?ごめんけど村上春樹の女性の描写はふつうにほんとうにキモいです。
そしてこんなこと言ってるけど、私も『東京奇譚集』とかはかなり好きですよ。村上春樹、圧倒的に短編のほうがいいと思うんだが、長編のほうが売れてるっぽい不思議…
ノーベル文学賞のたびに村上春樹を引っ張り出したあげく下げる必要性はないと思うけど、「あのときは言えなかったけど、村上春樹の小説の女性の描き方や性描写がほんとうに辛かった、苦痛だった、傷ついた」とことあるごとに言いたくなってしまう気持ちは正直とてもよくわかる。
旧ツイッターで「今ならキモいって言える」という声が一瞬あがった反動みたいなんだけど、村上春樹の擁護がすごくて、いやいや今でもぜんぜん「キモい」とか言えないじゃん…という感じだし、『ノルウェイの森』から入るからダメなのであって『風の歌を聴け』から始まる鼠三部作を読めという声も大きいので、タイトルに惹かれて手にとった『羊をめぐる冒険』の冒頭でなんっっっだよこの本は!!!!てめちゃくちゃ激怒した10代の私が暴れてしまう。
村上春樹を批判するなら村上龍は?とか、ほかにも女性の書き方に問題がある男性がいくらでもいるのでは?とかはそうなんだけど、国内のみならず海外からも高く評価されてノーベル文学賞に手が届きそうだと言われているのは村上春樹だけなので…というところかなと思う。あの女性の描写で国際的にも絶賛されてるというのがしんどいのだ…
"「男は常にセックスをしたいものだ、という固定観念があります。でも実際はそうではないのです」"
私は性嫌悪ありのA-specなので、「みんなほんとうにそんなにセックスが好きなの?」と常々疑問に思っているわけですが、みんなほんとうはそこまでセックスが好きじゃないんじゃない?そのように思い込まされているだけでは?フィクションも往々にして「セックス大好き!」だし、刷り込まれているのでは…?
いやいや毎日R-18のファンフィクション読んでるだろおまえは何を言ってるんだ…と即座に自分からツッコミが入ったけど、なんていうか…「その表現、みんなほんとうに自分の身体感覚に照らしてエロいと思ってる?ほんとうにそれで興奮するの?」という感想を持つことも多くて…ファンフィクションを読んだ刺激でまたファンフィクションを書く、というサイクルの中で表現のある種の型みたいなのができていくのはあるよね、とも思いつつ…。
これはずっと思ってることだけど、いわゆる男性向けのエロの表現を踏襲しなくてもいいのに〜という気持ちがあります…
https://courrier.jp/news/archives/376391/
9月22日(日)開催の #文学フリマ札幌 お-05【ゆとり世代フェミニズム】にて頒布されるフェミニズムZINE『呪詛 Vol.6』に、エッセイ「髪を切りたいだけなのに」で参加しています!
ポリアモリー、アジア人差別、ヘルパー事業所の実態、不妊治療など、今回も大変アツいトピックばかりです。よろしくお願いいたします✨
『呪詛』にはVol.2から参加していますが、どの号もとってもかっこよくておすすめです。
ぜひお手にとってみてください!
9月15日だというのに最高気温が35度近く、暑い。風も強くてへんなお天気だ。
1週間ほど頭と体が絶不調で、いちばんひどい状態からは抜けたはずだが、今ひとつ元気が出ない。家にも職場にもBlueskyのTLにも体調がよくないひとが多かった印象だ。まあこう暑くては何もかも無理だよ。
8月中はもっと暑かったと思うんだけど、一瞬涼しくなってからぶり返したせいか、今のほうがしんどく感じる。
8月中まともに寝ないではしゃぎ倒していたツケがいま来ていることもひしひしと感じつつ、三連休も旧ツイッターとBlueskyとPixivを反復横跳びするだけで無為に過ごしている。
明日は部屋を片付けて、きれいに整頓された机に向かって、ていねいに淹れたお茶を飲みながら本やノートをひらき、読んだり書いたり勉強したりするんだ、と子どもの頃から40年以上毎日毎日思いつづけて、でもその「明日」が「今日」になることはなかった。
だからこれからも私は、ベッドに横になってスナック菓子を片手にだらだらファンアートを眺めながらこうやってポチポチ投稿しつづける、散らかった生活のなかでなんとか書いたり読んだりしてやっていくのだろう、そうするしかないんだろう。
DP&Wにはまだまだお熱です。デップーちゃんを練習したりしている(なぜ…)
#日記
とはいえ「ヒューと付き合いたくないの?」と訊かれたら「いやまあ付き合いたくないなんて言い切れないですけどお…」とかってしどろもどろになりそう…私のこういうところがほんとな〜!自業自得なのか…?いやでもヒューとは全人類が付き合いたいでしょ?!(突然の巨大主語)ウルヴァリンさんとはあんまお付き合いしたくないですが…
そしてこういう話は旧ツイッターではほぼまったくできなくなってしまった。DP&Wの話をしたいんだけど、ていうか深夜のテンションでワーワー言いかけてはいるんだけど、書きこんで1時間もしないうちに「やっぱりやめよう…」と思って消してしまうのを繰り返している。怖いんだと思う。好きなものの話をするときって無防備になるし、そうできるほど安全な場だとはもう思えなくなっている。
フィクトセクシュアルのキャラクターが登場する小説を書きたい、が、その前に私自身のフィクトセクシュアル性や二次創作のことをエッセイ的にまとめたいな。年内にやれるかどうかはわからないし、現状のテンションが落ちなければめちゃめちゃDP&Wの話をしてしまいそうだけど…
で、急に思い出したことがあって、私は中学生のころDQ4のクリフトが好きで、何しろ中学生(まさに中2)だったので今の比じゃないくらい大騒ぎしていたのだが、そのころの友だちに「クリフトの恋人になりたいんでしょ」と言われたことがずっと嫌だったんだよね。いま文字を打っててもけっこう胸が痛い。私がいわゆる「夢」系の二次創作を苦手にしているのは、こういう傷つきの蓄積の影響もあると思う。
とにかくワーワーしているキャラクター(バンドマンだったときもあるが…)と「付き合いたいんでしょ?」とか「どうせ付き合えないんだよ?」とか言われがちだったんだよな…それこそオタクの友人にも言われてた。そういう気持ちもまったくのゼロではなかったけど、そういうのとは違う、と当時ははっきり言えなかった。そのへんのことを言語化したい…
7月29日に軽い気持ちで『デッドプール&ウルヴァリン』を観て以来、毎日SNSでヒュー・ジャックマンの話をせずにはいられなくなり、映画X-MENシリーズ新旧三部作と『ダーク・フェニックス』とウルヴァリン三部作をマラソンしているうちに8月も半ばを過ぎていました。
私ってフィクトセクシュアルなんだな、ということを自覚してはじめての「恋」っぽいものが降りかかっているわけですが、自覚や名前の有無ですべての解像度が変わることを実感している。
何より私がこれまでの人生で抱えてきたフィクション及びキャラクターへの激重感情ってやっぱり「恋愛感情」だったんだ、という確信を持てそうで、私にとってはすごいことです。
ぜんぜん恋愛ができなくて恋愛したことない、という自認でずっといたんだけど、20代の後半ごろ「いやでもむしろ私はめちゃくちゃ恋愛体質なのでは…?」と急に思って宇野千代のエッセイを読んだこととかもあるんですよ…(笑うところ)(宇野千代はすごすぎて「すごい…」という感想しかなかった)
あとなんか私にとって「二次創作」がすごく重要なこととか、だけど名前変換小説は極端に苦手なこととかも、なんかこう、自分のなかで納得できそうな感じがあります。
6月の終わりに原爆の図 丸木美術館で松下真理子個展「人間動物」を観た。パレスチナでいま起きている虐殺をテーマにした作品の前で、言葉がなかった。ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》を観たときのことを思い出したし、常設の《原爆の図》とも響きあっている展示だと感じた。
14部(全体では15部)からなる《原爆の図》で、作家の視線は日本に連行されて被爆した朝鮮の人々や米軍の捕虜、ビキニ環礁の水爆での被爆者にも及び、その問題意識は水俣、南京大虐殺、アウシュヴィッツへも広がっていく。ひとつの暴力に真摯に向き合うことが、あらゆる虐殺にNoを突きつけることにつながっていく。
https://marukigallery.jp/hiroshimapanels/
https://marukigallery.jp/hiroshimapanels/collaboration/
「過ちを繰り返さない」ためにも、平和記念式典へのイスラエルの招待は取り消されるべきだったと思う。病院や学校を標的にし、子どもまで見境なく虐殺している政府の首相が「平和」のためになすべきことは、よその国の式典に出席することではなくて、すべての軍事行動を直ちにやめさせることのはずだ。
日曜日に三人展「凧、ハウリング、百葉箱、」にお邪魔してきました。俳句(句が生まれるまでの過程を重層的に見せてくれている)、版画やオブジェ、写真、音楽、どれもとても良かったです。とても居心地のよい空間でした。
会場のritmos coffeeさんのヘーゼルナッツラテが酷暑で疲弊した体に染み渡るおいしさでした…。手描きのカップホルダーがめちゃかわいい。八王子駅からすぐなので、機会があったらまた伺いたいお店…
ZINEやポストカードやキラキラシールなどおみやげを買い込んで帰ってきて、さっそく『綿菓子日記』を読みました。
個人的な生活や仕事、恋愛のエピソードが差別や虐殺への抵抗でもある今回の展示に繋がっていく、地続きなんだということが全体から伝わってくる本でした。挿画も好きです。
25日は休廊ですが、展示最終日でもある26日には18時からMKRDTSBさんのライヴの予定もあるそうです。
#凧ハウリング百葉箱
#PrayForSagamihara
#726追悼
https://note.com/k_h_i_0726/n/n8da80ad8c170?sub_rt=share_pb [添付: 6 枚の画像]
旧ツイッターではノンバイナリーへのヘイトも凄まじくてつらい。攻撃的な発言から「私だって女であることがこんなに辛かった」みたいな語りに接続しているのもよく見かけるけど、その「辛さ」はノンバイナリーのせいじゃないし、「出生時に女を割り当てられた以上はずっと『女』でいろ」と言っているようにしか聞こえず、あまりにも呪いなんだよな…
「性役割の押し付けを拒否するとノンバイナリーになるのか」的な投稿も減らない。きちんと「そうではない」と言ってくれている人がたくさんいるのに…
あと中高年になってから自分のジェンダーアイデンティティやセクシュアリティがわかることは余裕であると思う、私はいま40代半ばだけど、自分これかも!というカテゴリに出会ったのは40過ぎてから。
「アセクシュアル」という語には20歳ぐらいのときに出会っていたものの、ヘテロよりはそっちに近いけどそうとも言い切れず、名乗るのはちょっと…という感覚がずっとあった。
A-specもそうだけど、ずっと「いない」ことにされてきて、ようやく「ノンバイナリー」という名前/概念を知って、やっぱり「いる」んだ!私は、そして私以外にもちゃんと「いる」んだ!と思えた人たちに「気の迷いでは」「そんなものはない」みたいな言葉を投げつけること、ひどい暴力だよね。
メディアは一刻も早く「体の性/心の性」という言い方をやめてほしい。「出生時に割り当てられた性別」という言い方を覚えてくれ。
あと「性同一性障害」も「性別不合」に変更されたはずなのに(ICD-11で)、ここにきてこの語がめちゃくちゃ使われてるの違和感しかないんだが、そもそも「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」という法令なので、「性同一性障害」という語が前に出てきてしまうんだろうな。そしてこの特例法のインパクトは確かにすごかった、この特例法ができた2003年ごろの認識でとどまっている人も多いのかな…と思う。
トランス差別言説、とにかく「出生時に割り当てられた性別に絶対に依拠する」というところから頑なに動いてくれず、「トランス女性は(心が女性の/女性的な装いを好む/女性になりたい)男性」という認識なので、どれだけ言葉を尽くしても平行線なんだよな。いや前提が違うんだ、といくら言っても届かない。女であることがめちゃくちゃしんどく、女をやめたいけどどうしようもなく女、というトランス女性もきっといると思うんだけど、こういうことはまったくわかってもらえないだろうという絶望がある。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240710/k10014507081000.html
…という感じに落ち込みまくっていたんだけど、おそるおそる帰宅したら家族が本気出して駆除してくれていたので元気になりました。めちゃくちゃ大量にいて阿鼻叫喚だったらしい。話を聞いているだけで恐怖だった…
ひと月ほど入院していた父が退院して、よかったんだけどやっぱり身構えてしまって気疲れしていたタイミングでの毛虫で、実家で親と暮らすのつらい、気楽なひとり暮らしに戻りたい、フラッと旅に出たい…ともう全部ヤダ!!!!のモードに入ってしまっていたんだけど、ひとりだったら駆除することもできなかったわけでね…毛虫が怖くない家族がいてよかったです…すみません…
そんな感じでいちにち毛虫の話をしてしまった。
村上春樹のエッセイに船橋市の毛虫駆除がヤバいという話があって、確かに読んでるだけでゾワゾワしてくるようなヤバさだったのをずっと思い出していた。挿絵が安西水丸なんだけど、絵がなくて「描けません」みたいなコメントが書かれているという…。『村上朝日堂』だったと思う。
#日記
昨日、家のブロック塀に小さな毛虫が2匹いるのを見てしまい、うわあ…となった(私はゴキブリはあまり怖くなくてけっこう戦えるのだが、毛虫とか青虫とか芋虫とかそのてのものがめちゃくちゃ苦手です)。明日の出勤時刻までにいなくなっていてくれ…という必死の願いもむなしく、翌朝の今朝、玄関先に出た家族から「なんかいっぱいいる」と報告された。うわあ(泣)
家族にサポートされつつ家を出たものの、今日はもう何もかもがダメだった。天気が悪くても雨があがった隙をついて移動できる方なんだけど、今日は雨が強くなるタイミングを狙って外を歩いていたような気がする。しかも「雨に降られる」という事態を予測できておらず防水力ゼロのスニーカーと折り畳みの日傘しかない状態で…
日中おつかいに出たときにハンドタオルを落としたっぽいし(捨ててもいいような古いやつなので惜しくはないが、落とした記憶がないのでこわい)先週末の自分のやらかしも詳細を思い出せず解決できなかった。
バカみたいだけど、玄関先に毛虫がわいていることが辛すぎて一日中気が晴れなかった。うちのカイドウにわいてしまったぽいので家族が本気出して駆除してくれてないかぎりはいるだろうし、いまうちはバタバタしていておそらくそれどころではない…帰りたくない…毛虫がいなくなるまで旅に出たい…
「対象が誰でも、いかなる場合でも暴力は許されない」のだから、救急車や病院や学校を破壊し、子どもを殺戮することなんて論外、当然今すぐやめさせなければならないはずなのに、パレスチナの話になると「でもハマスが」とかぐちゃぐちゃ言い出すやつがいるの意味がわかんないよな。
そもそも私は「戦闘員」と「民間人」を明確に線引きできるのかどうかも疑わしく思ってるし、「法に則った、国際法違反でない戦争」なんてあるのかよとも思ってるけど、それはそれとして国連の関連機関とかまで攻撃して死者を出してるのはもう何をどうやっても擁護できないはずなのに、誰もイスラエル政府を止められないのどうかしすぎてるよ。
それでトランプ前大統領が襲撃されたら途端に「いかなる場合でも暴力は許されない」とか急に言われてもね…としらけた気持ちにはなりますよ。流れ弾で死傷者が出たとも報道されていて、あってはならないことだとは強く思うが。
書きたいことを書きます。ここでは主に日々あったこと、日々思ったり考えたりしたことをつらつら書くつもりです。美術館と劇場が好き。クエスチョニング(たぶんA-spec/フィクトセクシュアル)。