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7月26日、ポツダム宣言発表。

二度に渡る原爆投下の後(8月9日ソ連参戦)、8月14日の受諾決定までに、各地がなお空襲にあっています。

【未来に残す戦争の記憶 年表で見る空襲】
wararchive.yahoo.co.jp/history/

「日本の「ポツダム宣言」の受諾が遅れたことが背景にある」

【終戦当日まで空襲はなぜ続いた? 米軍側「大きなフィナーレを」】2023/8/14 朝日新聞

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【終戦当日まで空襲はなぜ続いた? 米軍側「大きなフィナーレを」】2023/8/14:朝日新聞デジタル

asahi.com/articles/ASR8D6JZ5R8

まりーべる さんがブースト

 さて、今日の「日経チャート」はまた高齢者年金をターゲットにしている。

 65歳以上の金融資産のほとんどが現預貯金と指摘(当たり前だろ!)
  
 しかしインフレで現預貯金は目減りすると脅迫。

 続いて、官製相場による株高をちらちかせ、「貯蓄から投資へ」と誘導している。

 これが「需要不足にならず日本がデフレに後戻りしないためのポイント」だそうだ。

 やれやれ、それなら非正規労働者やそれを生む人材派遣業を廃止し、相応の賃金を現役世代に支払えばそれでいいのでは?

 そもそも今の物価高の中で「デフレ脱却」を目標に掲げるとは、どういう感覚なのか?

 高齢者にとっても、電気料金は上がり続ける、保険証は廃止される、医療負担は増えるで将来不安しかないのは当然だろう。

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「役員報酬1億円以上717人、最多、更新」

 報道によれば、2023年3月期の役員報酬トップは48.67億円のZホールディングス(ソフトバンク)代表取締役。他に上位2人ソフトバンク。
 トヨタはJ.カフナー13.3億、豊田章夫10億。
 武田薬品は17億、9,73億の二人。

 企業別では日立20人、伊藤忠14人、三菱重工10人が役員報酬1億以上。

 全体に外国人取締役の突出ぶりが目立ちます。上位10人の内、5人が外国人。

 これでは海外と比較すれば、「低い」として営業益がマイナスでも役員報酬を「上げる」トヨタの例もある。

 他方、非正規労働者の内、「ワーキングプア」が多数占めるわけだから、これは「倫理的に」正当化できる範囲を超えている。

 「格差と貧困」の問題を超えて、もはや「搾取と平等」というフレームワークが必要な段階に突入しつつあると言えましょう。

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日本の知識人ら、羅州に東学農民虐殺「慰霊碑」ではなく「謝罪碑」を建てる : 政治•社会 : hankyoreh japan japan.hani.co.kr/arti/politics

まりーべる さんがブースト
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船戸与一『蝦夷地別件』。
アイヌの話だそうなので
いつか読みたいと思っていたけど、いつのまにかKindle Unlimitedに入っている!

アンリミ、キャンペーンのときしか入っていないのですが、入るたびに読めるものが入れ替わっているので、読むものが結構たくさんあるなぁと思います。
以前は光文社の新訳シリーズばっかり読んでいましたが、最近は『砂糖の世界史』 (川北稔) のような岩波ラインナップも並ぶようになりましたし。

あと関係ないですが、トーチコミックスが大量にアンリミ入りしています。
(これはたぶんセールのキャンペーンに付随するものなので数日で終わるのではないかと思います)。



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台湾文化センターのオンライン上映会のお知らせを貼り付けます。

オンライン上映会は、その日の決まった時間(14:00 - 20:00)内にアクセスすれば見られる形式のやつです。
(リアルタイムのストーリーミングではないので、開始時間に見始められなくても大丈夫)。

先住民タイヤル族を扱った映画なので、ぜひ見たいと思っています。


taiwan-movie16.peatix.com/

以下、貼り付けです。

★開催概要
日時:8月26日(土)14時00分開始

作品解説:一貫してタイヤル族の家族と生活を描き続ける陳潔瑤(ラハ・メボウ)監督の最新作で、2022年の金馬奨で監督賞、2023年の台北電影奨で長編劇映画賞、編集賞、新人賞に輝きました。
本作の原題のサブタイトルとして付いている「GAGA」という言葉、これはタイヤル族の精神や文化などの総称。
この伝統観念を、ある家族をめぐる様々な出来事から丁寧に描いています。

トーク:本編解説、映画界で活躍する原住民たち
主催:台北駐日経済文化代表処台湾文化センター/アジアンパラダイス

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「日本人になりきった」アジア・太平洋戦争で“日本人”として戦った台湾出身の青年たち 日本と台湾の狭間で生きた元日本兵の願いは…【報道特集】|TBS NEWS DIG
youtube.com/watch?v=sw63gA92N3
#youtube_tbsnewsdig #ニュース #NEWS #TBS #NEWSDIG #TBSNEWSDIG #最新ニュース

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「学びて思わざれば 則ち罔し。思いて学ばざれば則ち 殆し。」

 中学の時以来座右の銘としている論語の一節。

 これ、今の人文社会系の学問にまさに必要な態度だと思う。

 日本の人文学、ドイツからの輸入が中心だったこともあり、文献学的には、仏より緻密な傾向が元来ある。ハイデガー研究などはその典型。

 しかし、逆に「自分自身で思考しない」ため、「ハイデガー教」信者になりがち。早稲田の川原栄峰(1921生)などはその典型。この人、ヒトラーユーゲント賞を貰ったのが生涯の自慢だった。

 現在の東浩紀を顕彰する「脱構築研究会」に代表されるデリダ教徒も似た傾向にある。

 しかし、「歴史」的文脈やこれまでの蓄積に「無知」なまま「自分で考える」と称する流れー東などはその典型ーは、これまた「危う」過ぎる。ついに笹川・維新・ドワンゴへのコラボまで直進。

 実はこの傾向、法哲学にもある。ノージックの紹介者、嶋津格、井上達夫、そしてその弟子たちは典型的。

 憲法学と異なり、「実定法」の縛りがないので、悪い方向にだけ「想像力の翼」を広げて右へ右へ。

 嶋津格氏などは遂に「歴史修正主義」、「反イスラム」、「反共」、「BLM、LBPTQ批判」の四冠王となる。

 ちなみにラムザイヤーも法哲学=「法と経済学」である。 

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「靖国参拝」や「国葬」は「悼む」こと一般には解消できないこと

 さて、靖国参拝や所謂「国葬」が「人の死を悼む」こと一般には解消できないことは明白です。

 靖国は明治以来の国家神道の中心であり、「日本政府」の一員が「靖国参拝」することは、いわばWWIIにおける日本帝国主義の侵略性を「公的に」否定すること、つまり現在の国際秩序の根幹を公的に認めないこと、を意味する。

 であるから、歴代自民党政府関係者の多くは、「私人として」という「言い抜け」で参拝してきた。

 しかし、日本に侵略された東アジア、東南アジア諸国からすれば実質的には、「同じ」こと。
 であるから、「靖国」派=日本政府になればなるほど日本はアジアで孤立することになる。

 日本政府・外務省は米国にさえ従っていれば、日本は安全と思い込んでいるようだが、それはあまりにも「ナイーヴ」過ぎる。

 もはや米国の世界戦略にとっての優先順位は日本よりも対中国。日本は中国を「牽制する駒」位にしか扱われていない。

 それにしても「朝日」の言説戦略、加藤典洋の『敗戦後論』の時から全く「ブレていない」。

 ちなみに加藤典洋は東大全共闘、また東浩紀が海原猛と共に「師」と仰いでみせる男である。

 その際東は「天皇制は日本文化に不可欠」と言ってのけた。

 

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「靖国神社」について書くと、「この人たちは慰霊する/悼むということを知らないのか」的なレベルでのクソリプを頂戴しますが、

「靖国神社行って英霊が救われると思うのか貴様ッ」(奥崎謙三)

というのは前提としても、あの創建神社が成立することそのものの政治性を不問に付して、ハダカの「慰霊」「追悼」のフレームにすることじしんが欺瞞なんすよ

まりーべる さんがブースト

TLで教えてもらったこちらインタビュー、この「問い」じしんにあらかじめ欺瞞が埋め込まれているのだが

"例えば、『国葬に賛成か反対か』ではなく『人を弔うってどういうことなのか』。『保守かリベラルか』ではなく『国を愛するってどういうことなんだろう』という問いから始めてみる。立場が違っても、同じ問いを考えることはできる。問いでつながれる、というギリギリの可能性にかけています"

digital.asahi.com/articles/DA3

去年の故人PM「国葬儀」の問題を、そこにまつわる政治性こそが問題なのに、「人を弔う」ことに抽象化するのは、きわめてイデオロギッシュですよね。そうした操作を「立場が違っても、同じ問いを考えることはできる」と正当化するのって欺瞞じゃないですか。
「保守かリベラルか」という問いの擬似問題性へと深めるのではなく「国を愛するってどういうことなんだろう」って持っていくのとか、どちて坊や発動したくなるよくわからなさ。

まりーべる さんがブースト

「横断的戦後文化史に向けて」

 脚本的に言うと、山田太一ということもあり、少なくとも「ミソジニー」ではなく、ある程度「フェミニズム」的な要素も入れてあります。まあ、それでも現在からみればいろいろ批判する余地はあるでしょうけれども。

 演出的には、宇崎竜童の「Our history again」が最初のころは頻繁に挿入されていましたが、これもやはり「時代劇」に合わない、ということだったのでしょう、途中からほとんど入らなくなりました。

 この『獅子の時代』が1980年であることは象徴的だと言えましょう。「文化産業」はこれから一挙にバブルと消費社会、広告産業的な感性へと転落していきます。

 80年代の「パルコ文化」などはその一例です。またかつてアングラの演出家として名を馳せた蜷川幸雄はまさに資本主義社会の「商業興行師」でしかなくなります。(先ほども申し上げた通り私は元来蜷川をまったく評価していませんが)

 そしてNHKの大河ドラマも、以後マンネリ化していき、イデオロギー的にも登場人物が「天皇制」を批判する場面、脚本は不可能になりました。

 このように、戦後日本の演劇史、運動史、社会史、映画史、批評史、思想史を横断しながら時代を辿っていく作業はなかなかに面白いものになるかもしれません。

まりーべる さんがブースト

 やはり、マイクを使わない劇場でのライブの発声、演技、そして身体のパフォーマンスと映像で必要とされる演技はまた別、ということなのでしょう。

 さて三つ目は1980年の『獅子の時代』、山田太一(『二十四の瞳』などで知られるゲイの映画監督木下恵介の弟子)脚本です。
 ここでは実在しない薩摩と会津の下級武士を、それぞれ加藤剛と菅原文太が演じます。
 福島原発事故後につくられた『八重の桜』の主要登場人物が、会津藩の家老など最上層部であることと対照的です。

 そして、伊藤博文(根津甚八)の秘書として民間の憲法草案を収集していた加藤剛は、伊藤から「大日本国憲法草案」を聞かされて、「天皇?」と絶句し、激怒します。

 父や兄を戊辰戦争と西南戦争で失った加藤によれば「それでは何のための維新だったのか?」、「支配者が上にいることを認める社会では幕藩体制と同じではないか」と啖呵を切り、伊藤と決別しますが、結局「主権在民」的な憲法私案を持ったまま、暗殺されることになります。

 菅原文太の方は秩父困民党の蜂起に参加した後、全国にいる「同志」を結集すると言って信州に落ち延びて行くところでドラマは終わります。

 

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 演出的には初回の筑波山の麓での民衆の「歌垣」の祭りを「ミュージカル」的に表現したのですが、これはやはり「大河ドラマ」を見慣れている「多数派」の受けが悪かったらしく、2回目以降は、できるだけ通常の「大河」に近い演出に戻りました。

 二つ目は当時の市川染五郎主演の『黄金の日々』(1978)です。
 これも、「海の世界」を背景にして、権力者秀吉に服従を拒み、ルソンに去る主人公のお話です。
 ただ、市川染五郎(現在は松本幸四郎を経て、松本白鷗)は・・映画に出てもそうなのですが・・あまりにも「大根」すぎます。

 これは歌舞伎の世界で大物(特に「荒事」)だからといって、むやみに・・話題作りのために・・現代劇に出演させることを反省するいい機会だったと思うのですが、そうはなりませんでした。むしろ逆ですね。

 この大河の配役で興味深いのは、宇野重吉(「民芸」)・栗原小巻(「俳優座」)と唐十郎・李麗仙、それに根津甚八と、「新劇」と「アングラ」の双方からキャストに登用されていることです。舞台裏ではどういう会話がなされていたのでしょう?

 意外だったのは、唐十郎が映像的には市川染五郎並みに「大根」だったこと。また栗原小巻の演技は「下手」ではないが、「テレビ」向きではない、ということです。

 

まりーべる さんがブースト

 また、蜷川演出の芝居やある時期からの日本映画などで私が感じた、強烈な「ミソジニー」は、「批評」の世界でも・・形を変えながら・・柄谷、浅田、東、千葉へと世代を超えて「受け継がれている」。

 現在でも、文芸誌の「ミソジニー」はちょっとなんというか、「シーラカンス」が徒歩圏内の水族館で展示されている、という感じでしょうか。

 実際のところは、東浩紀などがの「ポリコレ」棒などといったネット・スラング的な卑しい表現は、現実の社会の中で権力が縮小していく「男」たちの最後の砦なのかもしれません。

 とは言え、先日書いたように、ライト・ノベル、SF、歌謡曲、アニメ、漫画などの「サブ・カルチャー」にはまだまだ底が見えない強烈な「ミソジニー」と「左翼」フォビアが渦巻いていることは間違いありません。

 さて、それはそれとしてNHKなどのテレビ・ドラマに演劇が進出し、ある程度「反体制」的なドラマを創れた時代として、1980年が下限になる、興味深い例を三つご紹介します。

 一つ目は福田善之が脚本を担当した1976年の「風と雲と虹と」。

 これは平将門を「体制」への反逆者として位置づけると同時に、海の民、漂白の民(吉行和子、草刈正雄)を登場させるなど、あえて言えば石母田正と網野善彦の世界が入り混じった作品です。

 

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 またこの戯曲を「ミソジニー」の典型例として分析・批判したものを寡聞にして私は知りません。
 
 映画で言えば大島渚がこの世代の「ミソジニー」を体現しています。(もちろん、だから大島の作品がすべてダメ、ということではないですが)

 この頃の「若者文化」は昼デモに行って、夜映画館で「ポルノ」を見る、というのが普通だったらしいので、いわばジャンル横断的にそうした感性があったのでしょう。

 「フェミニズム」が同世代の男たちの「文化」から離脱することから始まった、というのもわかる気がします。

  映画評論家・映画史家の佐藤忠男は、東京・大阪をはじめとした大都市の単身男性(首都圏)の出現によって、松竹・日活なども家族向けの「ホーム・ドラマ」ではない刺激性が強い「性的ドラマ」(例えば大島渚)あるいは、「時代劇」より派手なアクションなどを「低予算」で製作できるようになり、作品の幅が広がったと評価している。

 もちろん、そういう面はあったでしょう。またテレビの普及によって、日本の映画業界が崩壊していく中、日活ロマン・ポルノによって映画製作の技術が次世代に伝達されていったと四方田犬彦などは評価している。

 とは云え、その結果が例の「全裸監督 村西とおる伝」だとすると、これはただ評価するだけでよいでしょうか?

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 「アングラ・小劇場のミソジニー」

 そして、もはや「土俗性」に立脚できなくなったアングラ・小劇場の空間も急速に解体し、あとには「引き裂かれる身体」やら「蕩尽」・「非―知」やら、あるいは「器官なき身体」や「人間の終焉」といった消費社会に包摂された「ポスト・モダニズム」的な用語のざわめきだけが残った、という感じでしょうか。

 振り返ってみれば、鈴木忠や市川浩(ベルクソンの「身体論」を強調していた)の季刊「思潮」から「批評空間」への移行は、こうした「土俗性」をベースにした演劇の凋落とポスト・モダニズム(資本主義の速度)への移行、と平行線を描いていたのかもしれません。

 もう一つ、アングラ・小劇場に関して、私が感じた重要な印象は強烈な「ミソジニー(女性嫌悪・憎悪)」です。

 これはアングラでは伝説的とされる清水邦夫作・蜷川幸雄演出の1969年初演の「真情あふるる軽薄さ」の再演を1990年代に観た衝撃に集約されます。

 ここでは「正しいこと」を語るる「学校教師」の女性=「戦後民主主義教育」が、終始一貫侮蔑の対象となっています。これは、思想以前に世代的なものもあるのでしょう、私としては「生理的に」受けつけないものでした。
 

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 他にアングラ・小劇場を代表する劇団としては、佐藤信の「黒テント」、寺山修司の「天井桟敷」、鈴木忠の「早稲田小劇場」などがある。

 アングラ・小劇場の特徴としては「身体」のパフォーマンスと「近代」批判としての「土俗性」の再評価が際立っている。「民俗学」のエピソード、それに「巫女性」(白石佳代子など)もそれに関連して重視されます。

 こうした文脈に、アルトーの「引き裂かれる身体」やバタイユの「禁止と侵犯」、「蕩尽」、「非ー知」、あるいはフーコーの「華々しき身体刑」などの語彙が・・いささか乱暴なかたちではあれ・・投げ込まれていた。逆に「他者」との関係を切り捨てていくブランショはまず引用されない。

 ただし、私が会った演劇関係者でフーコーの『監獄の誕生』を日本語訳ででも最後まで通読している人はいませんでしたが・・・ですから「華々しき身体刑」から話が進まない。

 もちろん、研究者ではないのですから、それでいいと言えばいいのですが・・・

 とは言え、70年代前半までは、このようなアングラ・小劇場的なものが一定程度「リアリティ」をもって受容される基盤があった。

 しかし、先日の投稿、「フォークロア」から「サブ・カルチャーへ」で書いたように70年代前半には、日本の「フォークロア」的な世界はほぼ消失。

 

まりーべる さんがブースト

 戦後演劇史
 
 1960年代半ば大ヒットしたが、「在日」の問題をとりあげたために、急遽打ち切られた「若者たち」などは、ほとんど「俳優座」のドラマといってもいいくらい。若き日の原田芳雄も出ていてなかなかに興味深い。

 しかし、60年安保後、安保の顛末を「ボス交」の取引き、と見る視点から福田善之が1963年に『真田風雲録』を発表したあたりから、「新劇」から「アングラ・小劇場」へのヘゲモニーの移行がはじまる。

 先に挙げた原田、西村、中村、市原は「俳優座」から1971年に退団。この原田を「師」と仰いだのが松田優作であり、原田、林隆三(俳優座)、藤竜也などが登場する「友よ、静かに眠れ」を撮ったのが崔洋一です。そして崔洋一の師、大島渚が「御法度」で優作の息子、龍平を抜擢しているわけですから、いろいろと繋がっていますね―

 また1963年には唐十郎が唐組・状況劇場を設立して記念公演にサルトルの「恭しき娼婦」を上演します。そして、1969年には「新宿西口」付近にてゲリラ的に公演を敢行、機動隊に追いかけ回されながらも、とりあえず公演を終了。このパフォーマンスで「紅テント」は一躍「カウンター・カルチャー」の旗手となります。俳優としては根津甚八、小林薫、佐野史郎、それに唐十郎の妻(現在は離婚)李鳳仙などがいます。

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