他にアングラ・小劇場を代表する劇団としては、佐藤信の「黒テント」、寺山修司の「天井桟敷」、鈴木忠の「早稲田小劇場」などがある。
アングラ・小劇場の特徴としては「身体」のパフォーマンスと「近代」批判としての「土俗性」の再評価が際立っている。「民俗学」のエピソード、それに「巫女性」(白石佳代子など)もそれに関連して重視されます。
こうした文脈に、アルトーの「引き裂かれる身体」やバタイユの「禁止と侵犯」、「蕩尽」、「非ー知」、あるいはフーコーの「華々しき身体刑」などの語彙が・・いささか乱暴なかたちではあれ・・投げ込まれていた。逆に「他者」との関係を切り捨てていくブランショはまず引用されない。
ただし、私が会った演劇関係者でフーコーの『監獄の誕生』を日本語訳ででも最後まで通読している人はいませんでしたが・・・ですから「華々しき身体刑」から話が進まない。
もちろん、研究者ではないのですから、それでいいと言えばいいのですが・・・
とは言え、70年代前半までは、このようなアングラ・小劇場的なものが一定程度「リアリティ」をもって受容される基盤があった。
しかし、先日の投稿、「フォークロア」から「サブ・カルチャーへ」で書いたように70年代前半には、日本の「フォークロア」的な世界はほぼ消失。