TLで教えてもらったこちらインタビュー、この「問い」じしんにあらかじめ欺瞞が埋め込まれているのだが
"例えば、『国葬に賛成か反対か』ではなく『人を弔うってどういうことなのか』。『保守かリベラルか』ではなく『国を愛するってどういうことなんだろう』という問いから始めてみる。立場が違っても、同じ問いを考えることはできる。問いでつながれる、というギリギリの可能性にかけています"
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15714527.html
去年の故人PM「国葬儀」の問題を、そこにまつわる政治性こそが問題なのに、「人を弔う」ことに抽象化するのは、きわめてイデオロギッシュですよね。そうした操作を「立場が違っても、同じ問いを考えることはできる」と正当化するのって欺瞞じゃないですか。
「保守かリベラルか」という問いの擬似問題性へと深めるのではなく「国を愛するってどういうことなんだろう」って持っていくのとか、どちて坊や発動したくなるよくわからなさ。
@hayakawa2600 J哲学者ェ…