「学びて思わざれば 則ち罔し。思いて学ばざれば則ち 殆し。」
中学の時以来座右の銘としている論語の一節。
これ、今の人文社会系の学問にまさに必要な態度だと思う。
日本の人文学、ドイツからの輸入が中心だったこともあり、文献学的には、仏より緻密な傾向が元来ある。ハイデガー研究などはその典型。
しかし、逆に「自分自身で思考しない」ため、「ハイデガー教」信者になりがち。早稲田の川原栄峰(1921生)などはその典型。この人、ヒトラーユーゲント賞を貰ったのが生涯の自慢だった。
現在の東浩紀を顕彰する「脱構築研究会」に代表されるデリダ教徒も似た傾向にある。
しかし、「歴史」的文脈やこれまでの蓄積に「無知」なまま「自分で考える」と称する流れー東などはその典型ーは、これまた「危う」過ぎる。ついに笹川・維新・ドワンゴへのコラボまで直進。
実はこの傾向、法哲学にもある。ノージックの紹介者、嶋津格、井上達夫、そしてその弟子たちは典型的。
憲法学と異なり、「実定法」の縛りがないので、悪い方向にだけ「想像力の翼」を広げて右へ右へ。
嶋津格氏などは遂に「歴史修正主義」、「反イスラム」、「反共」、「BLM、LBPTQ批判」の四冠王となる。
ちなみにラムザイヤーも法哲学=「法と経済学」である。