実は鈴木道彦さんは加藤周一さん(1919生)の親族にあたり、専門と立場の近さからも二人は晩年に至るまで、よく会っていたようだ。
私は加藤さんとは20-25歳くらいの時、よく合っていたが、鈴木さんとは20歳後半に2回ほど研究会でお会いしただけである。
その時は、まさに好々爺として「孫」に接するという風情だった。実際鈴木さんと私はちょうど40歳差である。
ただ、加藤さんが80歳近い頃(私は30歳)、「この間鈴木道彦と会って食事をしたのだけれど、僕たちの系譜は大江健三郎で途絶えちゃったね。」と二人で同意(?)したとしみじみ話したことがある。
ここで言う、「僕たちの系譜」とは加藤周一、堀田善衛(1918生)、鈴木道彦(1929生)、そして大江健三郎(1935生)である。
これにマラルメの菅野昭正(1930生)、ヴァレリーの清水徹(1931生)、P.ベールの野沢協(1930生)くらいまでが本郷仏文の「黄金時代」だったと言えるのだろう。
現在、戦後直後の輝きも「長い凋落を経て、今最終的に水平線の彼方に沈もうとしている。
仏文学者鈴木道彦さん逝去。ここ数年、この知らせを内心恐れていたのだが、95歳とあっては、ご冥福を祈るしかない。
鈴木さんは1929年にマラルメ研究者鈴木信太郎(岩波文庫訳者)の息として生まれ、プルースト研究者としてフランスに渡る。
鈴木さんが渡仏した際、フランスは植民地帝国の解体過程で内戦にまで突入していた。
道彦さんがFLN(アルジェリア民族解放戦線)の主張に共感し、幾ばくの協力をしたが、仏内務警察は「いつ・どこで・誰に」鈴木さんが会ったかを全て把握していた。仏治安警察は日本警察がモデルにしただけあって、怖いです。
しかし、鈴木さん以外にも、渡辺守章、蓮実重彦など同世代で渡仏した連中は基本「名誉白人」志向。これは当時の仏の状況を考えると、むしろ不自然で驚くべきことである。
鈴木さんは帰国後「金嬉老」をきっかけに、日本の在日問題にも関わっていく。『越境の時 1960年代と在日』にその事情は詳しい。
また仏文学者として、サルトル、ニザン、ファノンなどを紹介、仏文学界で数少ない「ポストコロニアル研究」の先駆けとなった。浩瀚なフローベール論、『家の馬鹿息子』は蓮実以外、鈴木道彦を中心にして翻訳が出ているにも関わらず、東大総長がさぼりつづつけたため、私は日本語では読めなかった。
【いよいよ今週末📢】
いま樹里安さんの話をすることはとてもタイムリーになってしまった気もします。まだまだ彼から教わりたいことがいっぱいあります。
また、今回は私のド下手くそな司会のアシストとして北樹出版の福田千晶さまに加わっていただくことになりました。やったー。
当日の会場では物販ブースやご来場の方へのプレゼントなどもございますので、関西方面の方はぜひお運びください。
遠方の方は是非配信でご参加ください。
どうぞ宜しくお願い致します。
🎟️配信チケットはこちら
https://twitcasting.tv/lateral_osaka/shopcart/335667
🎟️会場チケットはこちら
https://t.livepocket.jp/e/7jeq8
⬇️イベント詳細
https://lateral-osaka.com/schedule/2024-11-23-13793/
⬇️事前アンケート
https://forms.gle/1ghadQhXo8bMTJut5
「既得権益」とされるものへの憎悪、歴史的には「部落解放同盟」とか「在日特権」あたりからはじまって、そのたびごとに恣意的に敵を替えつつ現在にいたる感じか。
アテンションつーか火をつけて回るビジネスが成立してしまったので、それ専門のガベッジ野郎が次から次へと出てくる。
こうした〈叩かれてきたもの〉の歴史的変遷をたどったのが、能川元一さんとの共著『憎悪の広告』なんですよね。ターゲットとされたものへの攻撃の執拗さと定着度合い、その反面にあるターゲットの移ろいやすさも含めて、クソい右派論壇誌の広告から可視化していくという企画でした。
Twitterを使わないことの正義みたいなことはあまり思っていない。「黙ってろ、それがいやならここから出ていけ」にどうやって対抗するかといえば「その場にいつづけて発言し続ける」しかないのではと思ってはいる。ただし監視される場に身を置き続けているということでもある。
Twitterをというよりソーシャルメディア全般を以前より使ってないのだが、Twitterはパレスチナからの情報を得たければ必要で、それを見てないとなかったことにされそうだし。
ちなみにウィキペディアの「ガザ虐殺」のページは何度も消されそうになっている。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AC%E3%82%B6%E8%99%90%E6%AE%BA&action=history
当アカウントのTwitterの使い方(鍵運用中ですが):
フォローして投稿があるたび通知が来るようにオンにしておき、アプリそのものの通知は切る。フィルターは電話番号の登録のみオフにしていちばん厳しくする。通知欄の新規ツイート通知には通知設定してあるフォロー先の投稿のみが時系列で並ぶのでそれだけを見る。
それ以前に自分のアカウントの使用上不要なものは全部ブロックしている。差別煽動アカウントもだけど、差別煽動アカウントをフォローしている鍵アカウントは目的がなんだろうとブロックしている。対抗しているのは個別ユーザというよりアルゴリズムなので、ブロックは人的に繋がりを調整する目的で使っている。
本を焼く陶酔を想像しながら西田全集(旧版)無慈悲自炊
栗原淑江「被団協の歩み、被爆者の願い、そして私たち」『世界』2024年12月号, p.12-18.
https://www.iwanami.co.jp/book/b655032.html
新聞記事などを見ても、今一つ被団協の活動の独自性みたいなものが見えてこなかったのだけど、これを読んで少し分かった気がする。
ものすごくざっくりまとめると、被団協は、原爆被害の全体像と「実相」の解明を政府に要求しつつ自ら全国レベルでの調査を実施し、「自らの権限と責任において戦争を遂行し原爆被害を招いた国家の責任」を明確化する立法を求め、戦争の被害について「国をあげての戦争による「一般の犠牲」として」受忍すべきとするいわゆる受忍論を批判し続け、その上で、国際法違反として核兵器廃絶を求める活動を続けている、といったことになろうかと。
実際、被団協のウェブサイトを見てみると、例えば1995年の調査結果がウェブサイトで公開されていて、こうしたデータに基づいた活動が行われてきた、ということがうかがえる。
「1995年日本被団協被爆調査」から
https://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/about/about4-03.html
もう四半世紀前から村上隆作品はいいと思ったことが全く無いので、「ファンだったのに残念です」構文を使うことはできない。
https://x.com/yoox960093/status/1856734649911005396
「当選するなよ……」と念じた人物がなぜか当選してしまう俺の特殊能力は、北杜夫の阪神タイガース戦観戦におけるさまざなジンクスに似ている
https://www.tokyu.co.jp/information/list/Pid=post_54861.html
『東急100年史』が優秀会社史賞を受賞しました。日本経営史研究所が授与する賞です。私はこの社史の戦前部分だけですが、書かせてもらったので、とても嬉しく思います。もちろん、大部分を書かれた建野友保さんはじめ、関わった東急などの皆さんの尽力あっての評価ですね。
『東急100年史』はかなり自由に書くことができたと思いますが、紙幅の都合上省かざるを得ないこともありました。そんなトピックをブログに供養しておきましたので、東急の昔ばなしに興味のある方はぜひどうぞ。
編集業。하야카와 타다노리 。『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版→ちくま文庫)『原発ユートピア日本』(合同出版)『「愛国」の技法』(青弓社)『憎悪の広告』(共著、合同出版)『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社→朝日新聞出版)あり。 真理が我らを自由にする&労働が我らを自由にする。