アマプラで見られるラブコメ映画、最近のだとこれが好き。性格の悪いレズビアンの高校生がチアリーダーに接近するためにファイト・クラブを結成するお話。
Amazon.co.jp: ボトムス ~最底で最強?な私たち~を観る | Prime Video
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「雨の畦道にいろいろ思う」
https://toriyamaehagaki.jpn.org/fnb_html/note.html#7f
休耕地が急速に増えています。稲作が行われているときには田んぼにいろいろな生き物がいました。農業従事者の高齢化もあって、年々そんな場所が増えていきます。政治は農業を守ってはこなかったしこうなることは自明でした。今頃になって米の自給も危なくなったとか騒いでいて、なんと近視眼的な認識だったのかと思ってしまいます。
画像は若いモズ。
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ラージャマウリとヒンドゥー至上主義とRのラーマ
ラージャマウリ監督のドキュメンタリーで監督の宗教感について話す部分。
交通事故に遭ったとき神に祈る自分はいなかった、ただ必死で現実に対処しているだけだった(から自分はやはり無神論者だ)というのを聞いて、毒蛇に噛まれて死にそうになっても祈ることをしなかったラーマは無神論者として設定されているんだと改めて思った。
だからクライマックスのアクションで見せるラーマの姿はあくまでもモデルとなったアッルーリ・シータラーマ・ラージュの姿であって、ラーマ神万歳!というヒンドゥー至上主義的なものとは違うことを確信できた。そもそもあの場面ではビームも実際のコムラム・ビームの姿になっているしね。
それをヒンドゥー至上主義者が利用している面はあるし、また監督がその危険を排除しようとしなかったとは言えるかもしれないけど、少なくとも作品の意図としてそういう意味で作ってる訳じゃないことは明白だと改めて思った。
1976年生まれの私は半世紀前に生まれ1945年の時点で既に子供がいた祖母や祖父達がどのような軌跡を辿ったのかよくわからない。
本人たちに聞いた話も多かったが、子供だったが故に興味もなく、体系的に聞き取りをすることもできず他界させてしまった。
母や父、叔母叔父から伝え聞いたものもあるが、あやふやなところも多い。
語られたものより語られなかった部分のほうが圧倒的に多いだろう。
その語られなかった部分に、子供にも孫にも語ることのできなかった記憶の澱は如何ほどだったのだろうか。
故郷にも帰れず、差別主義者に囲まれ自分達の素直な感情を発露させることもできず過ごした日々は、果たして如何ほどのものだったのだろうか。
「やらされた」「しかたがなかった」という語りの危うさ――毒ガス製造の島が問う広島の加害の歴史 | D4Pブログ | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P): https://d4p.world/28567/
#d4p
このニュースにXだと子どもを責めるコメントが多いんだけど(さすがの地獄というか)、私が子どもの時にお使いでパン屋に行ってパンを買おうとしたらお金が足りなかったことがあって、そうしたらパン屋の店主が、いいよ、持って行きなって言ってくれたんだよね。もちろん家に帰ってから親からお金をもらって払いに行ったけど、今は社会からそういう余裕が失われているのかなと思った。子どもにまで「自己責任」を求めるなんて。
“仮設住宅は4畳半の広さの部屋しか残っておらず”
まず4畳半の仮設住宅なんか作るなよというのは置くとしても、復興の進捗、避難所の質、仮設住宅の申し込みが世代単位で1回しかできない制度による家族の分断、それらの問題に対する行政の態度etc.何をとっても腹立たしい無能と怠慢の極み。それを直裁に報じるのもこういう雑誌だけでリーチのある“報道”はダンマリってのも腹が立つ。
「絶望です」避難所でついに死亡者も 弁当は1日1食のみ、住民の直訴を市長が遮り…能登半島震災から約7カ月、現地が明かす行政の怠慢 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌] https://smart-flash.jp/sociopolitics/299425/1/1/
映画と読書と漫ろ歩きを愛する氷河期世代