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 そう言えば、明日、対談企画があるのだった。

 またもや何の準備もしていないが、なんとかなればいいのだが・・・

 英米では、日本での三世帯同居は、規範的に「禁忌」に近い。父の遺言の「絶対性」はその裏腹にあるとも言える。

 つまり、英米法では遺言によって、特定の子供を相続者から排除できるし、場合によっては実子以外の「他人」に全額贈与することも可能。米国では、親族を排除して、犬や猫などのペットに相続させることもできる。この場合、勿論「遺産管理人」を別に指名することになるけれども。

 アガサ・クリスティなどの小説で、複雑怪奇に見える殺人事件が大抵の場合、「遺産相続」が原因となっているのはそのため。

 日本の場合、戦後改革によって均等相続となったが、遺言による相続人指定も可能。ただし、3人の兄弟姉妹の内、遺言から排除された者は、申し立てによって6分の1は相続できるという折衷形態。

 逆に兄弟複数の同世帯同居のロシア・中国は、父の権限は強く見えるけれども、遺言の脅しによる統制は機能しない。

 北フランスの慣習法では三世代同居は禁止+均等相続。コード・シヴィル(ナポレオン法典)はこれを成文化したもの。ヘーゲルは三世代同居・長子相続のドイツ語圏にこれを導入することで、改革をもたらそうとした。

ちなみにボルドーからジュネーヴの線から下の南仏はローマ法継受地域でもあり、ドイツ型相続。反革命地域はいずれもこのタイプ。

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米民主党党大会が話題になっています。

 勿論、トランプよりはハリスが「moins mauvais よりまし」であることは間違いありません。

 しかし、仮にハリスが当選しても、米国の軍事覇権戦略、そして中東戦略は継続されることは直視しておくべきです。

 ハリス自身も指名受諾演説で「米国が常に世界一強く、最も殺傷能力がある軍をもつことを確実にする」と明言。

 また「中国ではなく、米国が21世紀の競争で勝利し、世界のリーダーシップを放棄するのではなく強化する」と確約。これは単に選挙向けのリップサービスではなく、米国の支配エリートの総意。

 中東に関しては「イランとイラクが支援するテロリストから米軍と米国の利益を守るために必要な行動をとることを躊躇わない。」
 これは中東民衆側から見れば、帝国主義的政策の継続を改めて宣言しているとしか映らない。

 さらにパレスティナ問題については「私は常にイスラエルの自衛権を支持し、イスラエルの国防能力を常に確保するつもりであることは、はっきりさせておきたい」。

 またパレスティナ系米国人の大会での発言は一切認められませんでした。

 これでは仮にハリスが当選したとしてもパレスティナ人にとっては地獄、そして世界戦争の危機が継続することには変わりない。  

「法哲学」は(正)

 尚、国家と社会を明確に概念的に区分した上で両者の関係を施行するようになったのも、ヘーゲルからです。

 政治・社会に関する見方・センスに関する限り、ハイデガーはヘーゲルと比較すると、ある種「退行」現象という他ない。

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 尚、相続制度に関しては、当時のドイツ、さらにはWWIIまでのドイツでは、慣習的に日本と同じく圧倒的に長子一子相続。

 従って、ヘーゲルはこの慣習を均等相続に変えようとしてことになる。

 しかし、当然これはプロイセン政府の受け入れる所とはならず、ドイツは法的にも慣習的にも3世代同居、長子一子相続が続きます。

 この点では明治民法の際、ボアソナードの仏民法の「均等相続」案が「民法出でて忠孝滅ぶ」によて葬られたことと比較できるでしょう。

 実際、ドイツでも日本でも、この慣習が崩れるのは、1970年代を待たねばなりません。

 どうも右派は社会保障の解体と「3世代同居」による女性負担で置き換えようとの意図があるようだが、これはもはや現実的には到底不可能である。その点では「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」と言えるでしょう。

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 勿論、ヘルダーリンの狂気への道は、いささかも彼のテクストの価値を下げるものではありません。

 フーコーは『狂気の歴史』や『言葉と物』でヘルダーリンをマラルメ、ニーチェの精神の系列として、自己のエクリチュールを上書きしました。

 「理想」の挫折、「抵抗」する仲間達同志の「内ゲバ」によって、狂気へと追い詰められていくヘルダーリンの心は『ヒューぺーリオン』に恐ろしい程の明晰さで記されている。

 後期ハイデガーは、ヘルダーリンを「ドイツ語詩の至宝」などと持ち上げ、ヘルダーリンの詩句の中に「存在の呼び声」を聞き取るグル的なはったりをかましていたが、最後まで反ユダヤ主義者であたハイデガー如きにヘルダーリンの精神の高みが理解できる筈がないのである。

 これはハイデガーとニーチェの関係についても、ほぼ同じことが言える。ニーチェはハイデガーと異なり徹底した「反ナショナリスト」だった。

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 一般に英独仏語圏全てでヘーゲルはドイツ観念論の旗手として最も「ドイツ的」と見做されます。

 しかし、私見によれば、ある意味カントよりもフランス的、少なくともフランス革命賛成の立場を貫き、その態度を言説にも慎重に潜り込ませている。

 そもそもプロイセン軍が大敗したイエナ・アウエルシュタットの戦いの際、イエナ大学は閉鎖。ヘーゲルは大学のポストを失います。それでも尚、フィヒテ、サヴュニー、ドイツロマン派とは一線を画してフランス革命を擁護し続けた。

 例えば『法哲学』では仏民法典(ナポレオン法典)に定められた均等相続を支持。同時に遺言によって相続者を自由に指名できる英国法を「家長の恣意を可能にする」と批判。

 またローマ法では家長が成員に対して生殺与奪の権をもち、法的には家長にとっての「物権」に過ぎない。これをヘーゲルは批判し、いわば(性別役割分業を含めた)近代家族モデルを提出。この点は「ヌーヴェル・エロイーズ」のルソーとも通じる。

 さらに決定的な点は社会の構成員の複数性を哲学の領域に持ち込んだこと。これは「精神現象学」から「法哲学」まで一貫しており、ドイツ哲学には希。

 複数性と秩序のアポリア、これも19世紀仏で一気に前景化する。いわば「法哲学」をその事態を先取りしていたのである。

 

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「蓮實重彦が昔、ソウル大学学長を東大の式典に招いて講演をさせたことがあった。・・・式典で耳慣れない韓国語を響かせ、その齟齬に身を晒すことこそ自分の目指したことだったと、どこかで言っていたと思う。ああいうところ、蓮實さんは実に尊敬に値する大学人だった。
」byスパルタカス教授

 やれやれ、最後は蓮実「お父さん」の所に「駆け込み」のようである。

しかし、この文章、まさに宗主国エリートの地金が爆発、といったところか。

「東大に式典に招いて講演をさせた」
 この表現、格下の旧植民地の、かつて日本帝国京城大学を、かつての東京大学帝国大学で「講演させて招いてやった」という意味にしかとれない。

 このあたり、さすが細部に拘る文学者、という所だろう。

 ここ数日「I have a Korean friend」アピールを繰り返しているが、事態を悪化させているだけなのでもうやめた方がいいよ。

 蓮実に関しては、四方田が韓国に留学希望を伝えた時、憤然と「君には仏に留学してほしかった。韓国に映画なんてあるのですか?」となじったという伝説がある。ま、私は別の理由で四方田に批判的だが、今日は書かないことにする。

しかし、コメントも含めて日本の仏文学が如何に「継続する植民地主義」の只中にあるかを如実に示すものではある。

 またヘーゲルは、仏軍に解放されるまで「ゲットー」に隔離されていたユダヤ人に対しても、公民権の付与を主張。フィヒテなど当時のナショナリズムの反ユダヤ主義的言説と明確に一線を画します。
 当時の学生運動ブルシェンシャフトがナショナリズムと「反ユダヤ主義」を結合させ、過激化したことを激しく批判している。

 また政教分離を徹底した世俗国家を主張するヘーゲルは、兵役拒否を含む宗派を含む、「信教の自由」を支持する。

 また司法制度に関しても、「領主裁判権」の廃止と裁判の公開を主張。

 このようなヘーゲルの立場は、ナポレオン戦争後の法典編纂問題では亡命ユグノーの子孫であるティボーと平仄を合わせるものであり、歴史学派の巨頭サヴィニーとその一派との激しい権力闘争を展開(「法哲学」)。

 であるから、一言に啓蒙主義VS ドイツ歴史主義といっても、サヴィニー、シュライエルマッハー、シュレーゲル兄弟などのドイツロマン派とヘーゲルは明確に対立していた。

 とは言え、現実的妥協を知るヘーゲルはプロイセンの元での漸進的改革の道を選ぶ。

 しかし、この妥協を拒否したかつての友ヘルダーリンは1807年には狂気に陥り、1843年に没するまで精神病棟に隔離。ヘルダーリンの再評価が始まるのは20世紀に入ってからです。

 カント、フィヒテ、ヘーゲル、シェリングのドイツ観念論の哲学者、そしてクレメンス・ブレンターノ、ベッティーナ・ブレンターノ=アルニム夫人、グリム兄弟らを中心とした、イエナのドイツロマン派の文学者はほぼ全員1789年のフランス革命を支持しました。

 ヘーゲル、ヘルダーリン、シェリングは「自由の樹」の周りを革命を祝って踊り狂ったともされている。

 上のメンバーはサヴィニー以外は皆平民、中の下の階層の出身者。フィヒテなどは職人の子。ですから、旧態依然たる身分制を残しているドイツに「自由と平等」が持ち込まれること自体には賛成だった。

 しかし皇位についたナポレオンがアウステルリッツにロシア・オーストリア連合軍を大破、さらに北上してプロイセン陸軍をイエナ・アウエルシュタットで粉砕、ベルリンにのりこむと「反フランス」感情がせり上がってきます。

 フィヒテはベルリン大学で「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行い、愛国心を煽ります。ドイツロマン派も右に倣え。

 しかし、ヘーゲルはナポレオンの没落を嘆き悲しみ、ナポレオン法典をベースにした統一民法典編纂を支持、サヴィニーと対立していく。
 
 『法哲学』では家を単位とした長子相続を批判、仏型の均等相続を主張。またライン連邦時代に導入された仏法の継続を支持する。

 

 ドイツではおそらく「知らぬ者はいない」サヴィニー、日本では対照的に極度に無名。

 しかし、カール・マルクスの名を知らぬ人はいないでしょう。

 実は、マルクスは1838-39年ベルリン大学でサヴィニーの講義に出ていました。この時のマルクスは父の後をついて弁護士になるか、ないしは義父の後援にて大学教授を目指していた。

 ヘーゲルは1831年には死去。残ったヘーゲル派のガンスは周縁化され、マルクスにとってはサヴィニーがモデルとなった。

 しかし、プロイセン開明官僚としての漸進的な「改革」派のサヴィニーに次第にマルクスは距離を置くようになる。所謂青年ヘーゲル派=ヘーゲル左派に接近するのはこの時である。

 初期マルクスと言えばヘーゲル批判が着目されるが、実はマルクスが精力的に批判していたのはサヴィニーだった。ルーゲと共同編集の「ライン新聞」でもマルクスは「官僚法学」=歴史法学を批判する。

 有名な入会地問題で国家法(ローマ法)に対してマルクスが貧民の慣習的権利を擁護する根拠としたのが「ゲルマン法」の伝統だったる。

 事程左様にヘーゲル、グリム兄弟、ブレンターノなどのドイツロマン派、サヴィニーと次世代のマルクス、B.バウアー、M.シュティルナーなどのヘーゲル左派の関係は錯綜しているのです。 

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 スパルタカス君が関東大震災の際の朝鮮人虐殺を「朝鮮人と呼ぶべきではない、何故なら当時彼らは日本帝国臣民だったからだ」などと譫言を口走るのは、如何に植民地支配に無自覚であるかを如実に示している。

 東浩紀などは「高橋哲哉は従軍慰安婦問題をデリダに結び付けて、フランス思想をつまらなくしている」と叫んでいた。

 浅田に至っては、いつも「批評空間」の巻頭座談の司会をして「格付け」をしてふんぞり返っていたが、ポストコロニアル特集には出演しなかった。理由は「つまらなそうだったから」。

 こんな調子であるから、浅田彰の周囲にいた京大ガラパゴスの連中が「ろくな人間にならなかった」のは理の当然。中国脅威論を振りかざして、国防軍の充実を唱えている石原俊などはその典型。また石原と組んで「毎日」で中国脅威論を煽っている鈴木某という記者もガラパゴス仲間である。

 そこまでいかなくても50過ぎてまだ浅田の呪縛から逃れられない人達も大量にいる。これでは日本の左派インテリが枯渇するのは当たり前である。

 スパルタカス君はこの連中と比べると「まし」だが、「倫理」から逃げ回る「幼年回帰」の反復から先に進めない。超学歴エリートの、一種の逃避反射である。とは言え肩書に伴う最低限の責任は当然発生するだろう。2日に活を入れるいくかなー

「90年代後半から00年代まで、日本の西洋思想史・文化史研究では、「ホロコースト」や「ユダヤ人迫害」が極めて盛んに議論された。往々に「倫理主義」的なその議論に対して、個人的には、それがイスラエル支持と暗黙のうちに結びついていること(あるいは日本では論者がそのことに往々無自覚であること)に強い疑念を抱いてきた。」byスパルタカス教授

 またまた東大の先生が「歴史の捏造」をしている。ここでのホロコーストの「倫理主義的」な議論とは「ショアー」の日本への導入に尽力された高橋哲哉さんや鵜飼哲さんのことを指す。

 当時私はお二人としばしばお会いしていたが、「パレスティナ問題に無自覚であった」などとはあり得ないと断言・証言できる。このスパルタカス君の口吻は「高橋さんはユダヤ野郎ですよ!」と叫んでいた東浩紀と全く同じ。そしてこの二人を裏で操っていたのが浅田彰である。

 さらに言うと高橋さんが編集委員として関わった『前夜』では日本の植民地責任とともにパレスティナ問題が大きな柱として扱われていた。日本ではあまり見る機会はない「ルート181」がー監督二人の来日とともにー上演されたのはその象徴。

 なりより問題なのは、スパルタカス君、東、浅田のこの3人、朝鮮・台湾・沖縄への植民地責任に全く無自覚なこと。

 大岡昇平原作、溝口健二監督の『武蔵野夫人』を数十年ぶりに観る。

 文学と映画は全く別ジャンルの芸術なので、文芸映画というのは難しい。大河ドラマ的な構成にやすいトルストイの『戦争と平和』でさえ、何度も映画化されているが、成功作はない。

 ところで、この溝口の『武蔵野夫人』全くの駄作である。溝口は1930年代と50年代の時代物で海外映画祭狙いの作品は、相当水準が高い。小津と並んで、映画史的には1950年代を「日本映画の時代」と言わしめる位である。

 しかし、戦後の混乱期を描く「現代」を舞台にしたものはからっきし。

 成瀬と比較して、溝口には花柳界の女性しか描けない、という決定的な弱さがある。成瀬は多様な職業の女性を描くことができた。

 ところで、この映画を「失敗作」にした要因は「潤色」の福田恒存にある。福田は小説「武蔵野夫人」を「失敗作」と断じたらしいが、いくらなんでもこの映画のシナリオはひどい。

 福田は小林秀雄ともに『正論』を73年にサンケイから創刊。70年代後半はフジテレビで「世相を斬る」などと小癪なことする。朴正煕との密接な関係。

早稲田英文教授の弟子にシェクスピアの翻訳をやらせ(名義は自分)、その弟子は自衛隊と密に交流していた「ど右翼」。最後は小林よしのりの神輿となった。
 

 

ヘーゲルは(正)

 ご興味のある方はヘーゲル『法哲学』をお読みください。

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所謂「アベノミクス」は、先日の東証株価史上最大の暴落で、ステップを踏みながら崩壊に向かうことがほぼ明らかになりました。

 一時的に反発があるのは当たり前で、まだ日本の家計貯蓄は膨大なまま、年金機構(GPIF)の資金もほぼ無傷です。ただし、乱高下を繰り返すということは、まず家計貯蓄分(NISA)から削り取られていく、ということ。

 「アベノミクス」の受益者である大企業、大富裕層はと言えば、前者は純利益3倍、内部留保は178兆増の511兆。日本の上位40人の資産は、7,7兆から29,5兆と3・8倍に膨れ上がりました。

 他方実質賃金はこの30年で年74万円低下、消費税増税(2回)で、人口一人当たり13万円の負担増(17,3兆円)。

 公的年金は、2013年以降の改悪で実質8%近く減、社会保険料負担増と合わせると、年金生活者の可処分所得(年)は23万円減少。

 この結果、現在全世帯の3割は金融資産ゼロ、非正規は4割越え。この傾向は単身高齢女性に絞ればさらに跳ね上がる。これを現代の「姥捨て山」と呼ばずして何と呼ぶ?

 現在「勝ち組」気取りの大企業サラリーマンもNISAに手を出し続ければ、いずれ「無産階級」に転落するだろう。

 問題はその際の政治システムはどうなるか、ということである。

 さて、日本では童話で有名なグリム。これも「民衆」の習俗を知るための「民俗学」の一環です。

 近代文献学・言語学の祖としてのグリムは、ある意味日本の本居宣長にあたると言えましょう。

グリムは言語学・民俗学を通じて、ドイツの「大和心」、「もののあわれ」を探索・構築せんとした点でも宣長・柳田国男に通じるものがある。

と同時に概念法学を掲げるサヴィニーが、ドイツ国民の実情に対応する立法作業を行うプログラム。

 つまり、日本の比喩を用いれば宣長、柳田だけでは権力機構としての「国家」は立ち上がらない。
 日本の場合、水戸学を掲げた下級武士達が国家建設を担当し、豪農出身の国学は排除された。

 しかし国民国家である以上、国民=常民の習俗・感情は無視できない。柳田国男が農政官僚であったことは偶然ではない。
 またサヴィニー、グリムが属したドイツ・ロマン派によって「感情」が啓蒙的理性に対するドイツ人の紐帯となる。

この場合「ドイツ」の範囲は神聖ローマ帝国。しかも中世から「ドイツ人の神聖ローマ帝国」と呼ばれ、仏よりもローマ法継受が大規模でなされていたため、サヴィニーにとって、こんな好都合な状況はない。

問題は、統一法典の作成と発布の次期だけ。ここがティボーとの論争の賭金。ヘーゲルのこの際ティボーの側に立った。

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  トルコに行って「日本人」とわかるとたいてい関心をもち、親切にしてもらえる。

 これは欧州では普通、日本・韓国・ベトナム、そして中国が「同じ黄色いアジア人」として括られ、対して関心も寄せられないのと対照的。

 何故と云うに、トルコの人々にとって長年悩みの種である強国ロシアと対峙、その上1904-05年の戦争に勝利したという「日本」イメージが一般に流布しているからだ。

 19世紀以来ロシアの南下政策に苦渋を舐めさせれて来たトルコ人にとっては、アジアで「はじめて西洋列強」を破った「アジア系」国家、になる訳だ。東郷平八郎などはそれなりに知られた有名人である。

 もちろん、トルコはほとんど地球の裏側であるから、日本帝国主義の侵略を受けたことはない。であるから、その点でのマイナス。・イメージもない。

 しかし、日本のインテリがその「ぬるま湯」にどっぷり使って、近代日本の植民地支配・侵略戦争を反省もせず、「西欧啓蒙」を糾弾している姿ほど滑稽なものはない。

 ちなみに研究者の間ではオスマン・トルコとは言わない。オスマン帝国はトルコ人のものでなく、多民族・多宗教を包摂する「普遍イスラム帝国」だった。オスマン語も現代トルコ語とは別である。

 ただ、当時の西欧はオスマン帝国のことを「トルコ」と呼んでいた。

A.ドロン死去(88歳)。

 フランスの俳優にしては珍しい「イケメン」だった。

 同世代のもう一人のスター、J=P.ベルモンドが「勝手にしやがれ」などの役柄とは異なり、ブルジョア出身の「インテリ」だったのに対し、アラン・ドロンは、家庭環境が安定せず、海軍兵士としてインドシナ戦争に従軍もした。

 実際、アランは「インテリ」とは言えず、マフィアとの関係も「公然の秘密」だったとされるが、若い頃は「繊細で知的な青年」を演じることが多かった。

 例えば、ゲイであったL.ビスコンティに愛され、『若者のすべて』や『山猫』などに出演できたことは、ドロンにとって幸運なキャリアだった。またJ=P.メルヴィルの映画にも複数出演、これらはすべて歴史に残るだろう。

 他方ヌーヴェル・ヴァーグからは目の敵にされたルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』では「現代のジュリアン・ソレル」を演じ、大衆的にも一挙に大スターになる。

 実際これは、今見てもアラン・ドロンの俳優としての潜在力を引き出したよくできた映画だと思う。

 この美的センスは日本の「太陽族」を演じた代表とも言える石原裕次郎とは全くレベルが違う。

 その上、ゴダールの「ヌーヴェル・バーグ」にも出演しているのだから、まさに時代に恵まれたと言えるだろう。

 急いで補足しておくと、私はトルコだけを一方的に批判する立場ではありません。

 EU加盟を餌にしてトルコにあれやこれやと要求を出した挙句(ただし死刑廃止はよかった)、土壇場でジスカールデスタン元フランス大統領が、「文明の違い」などと言い出して、加盟を拒否した過程などは明らかに不当ですし、トルコ国民が怒るのは当然です。

 またシリア戦争の結果、数百万単位の難民が国を追われましたが、そのほとんどはトルコに留めおかれている。ドイツでは、このシリア難民をターゲットにした排外主義が前景化していますが、白人ドイツ人は急激に人口減少しているので、底辺労働力に必要な移民人口だけ受け入れている。

 またトルコに対する映画を含めた欧米メディアがかなりの「偏向」を示しているのもまた事実です。

 とは言え、トルコは今や人口8500万の大国。軍事力はエジプトをはるかに凌ぎ、リビア内戦にも軍を派遣、ワーグナーの支援を受けた対立勢力を打倒。またアゼルバイジャンを支援して、ロシアの保護下にあったアルメニアを粉砕。

 現在は1453年のコンスタンティノープル陥落の日は国家的行事となり、イェニチェリの扮装をした集団が首都を練り歩く。元来トルコ共和国はオスマン帝国の否定が国是だった筈だが、これも典型的な「伝統の創造」である。
 

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