またヘーゲルは、仏軍に解放されるまで「ゲットー」に隔離されていたユダヤ人に対しても、公民権の付与を主張。フィヒテなど当時のナショナリズムの反ユダヤ主義的言説と明確に一線を画します。
当時の学生運動ブルシェンシャフトがナショナリズムと「反ユダヤ主義」を結合させ、過激化したことを激しく批判している。
また政教分離を徹底した世俗国家を主張するヘーゲルは、兵役拒否を含む宗派を含む、「信教の自由」を支持する。
また司法制度に関しても、「領主裁判権」の廃止と裁判の公開を主張。
このようなヘーゲルの立場は、ナポレオン戦争後の法典編纂問題では亡命ユグノーの子孫であるティボーと平仄を合わせるものであり、歴史学派の巨頭サヴィニーとその一派との激しい権力闘争を展開(「法哲学」)。
であるから、一言に啓蒙主義VS ドイツ歴史主義といっても、サヴィニー、シュライエルマッハー、シュレーゲル兄弟などのドイツロマン派とヘーゲルは明確に対立していた。
とは言え、現実的妥協を知るヘーゲルはプロイセンの元での漸進的改革の道を選ぶ。
しかし、この妥協を拒否したかつての友ヘルダーリンは1807年には狂気に陥り、1843年に没するまで精神病棟に隔離。ヘルダーリンの再評価が始まるのは20世紀に入ってからです。
尚、相続制度に関しては、当時のドイツ、さらにはWWIIまでのドイツでは、慣習的に日本と同じく圧倒的に長子一子相続。
従って、ヘーゲルはこの慣習を均等相続に変えようとしてことになる。
しかし、当然これはプロイセン政府の受け入れる所とはならず、ドイツは法的にも慣習的にも3世代同居、長子一子相続が続きます。
この点では明治民法の際、ボアソナードの仏民法の「均等相続」案が「民法出でて忠孝滅ぶ」によて葬られたことと比較できるでしょう。
実際、ドイツでも日本でも、この慣習が崩れるのは、1970年代を待たねばなりません。
どうも右派は社会保障の解体と「3世代同居」による女性負担で置き換えようとの意図があるようだが、これはもはや現実的には到底不可能である。その点では「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」と言えるでしょう。
英米では、日本での三世帯同居は、規範的に「禁忌」に近い。父の遺言の「絶対性」はその裏腹にあるとも言える。
つまり、英米法では遺言によって、特定の子供を相続者から排除できるし、場合によっては実子以外の「他人」に全額贈与することも可能。米国では、親族を排除して、犬や猫などのペットに相続させることもできる。この場合、勿論「遺産管理人」を別に指名することになるけれども。
アガサ・クリスティなどの小説で、複雑怪奇に見える殺人事件が大抵の場合、「遺産相続」が原因となっているのはそのため。
日本の場合、戦後改革によって均等相続となったが、遺言による相続人指定も可能。ただし、3人の兄弟姉妹の内、遺言から排除された者は、申し立てによって6分の1は相続できるという折衷形態。
逆に兄弟複数の同世帯同居のロシア・中国は、父の権限は強く見えるけれども、遺言の脅しによる統制は機能しない。
北フランスの慣習法では三世代同居は禁止+均等相続。コード・シヴィル(ナポレオン法典)はこれを成文化したもの。ヘーゲルは三世代同居・長子相続のドイツ語圏にこれを導入することで、改革をもたらそうとした。
ちなみにボルドーからジュネーヴの線から下の南仏はローマ法継受地域でもあり、ドイツ型相続。反革命地域はいずれもこのタイプ。
勿論、ヘルダーリンの狂気への道は、いささかも彼のテクストの価値を下げるものではありません。
フーコーは『狂気の歴史』や『言葉と物』でヘルダーリンをマラルメ、ニーチェの精神の系列として、自己のエクリチュールを上書きしました。
「理想」の挫折、「抵抗」する仲間達同志の「内ゲバ」によって、狂気へと追い詰められていくヘルダーリンの心は『ヒューぺーリオン』に恐ろしい程の明晰さで記されている。
後期ハイデガーは、ヘルダーリンを「ドイツ語詩の至宝」などと持ち上げ、ヘルダーリンの詩句の中に「存在の呼び声」を聞き取るグル的なはったりをかましていたが、最後まで反ユダヤ主義者であたハイデガー如きにヘルダーリンの精神の高みが理解できる筈がないのである。
これはハイデガーとニーチェの関係についても、ほぼ同じことが言える。ニーチェはハイデガーと異なり徹底した「反ナショナリスト」だった。
一般に英独仏語圏全てでヘーゲルはドイツ観念論の旗手として最も「ドイツ的」と見做されます。
しかし、私見によれば、ある意味カントよりもフランス的、少なくともフランス革命賛成の立場を貫き、その態度を言説にも慎重に潜り込ませている。
そもそもプロイセン軍が大敗したイエナ・アウエルシュタットの戦いの際、イエナ大学は閉鎖。ヘーゲルは大学のポストを失います。それでも尚、フィヒテ、サヴュニー、ドイツロマン派とは一線を画してフランス革命を擁護し続けた。
例えば『法哲学』では仏民法典(ナポレオン法典)に定められた均等相続を支持。同時に遺言によって相続者を自由に指名できる英国法を「家長の恣意を可能にする」と批判。
またローマ法では家長が成員に対して生殺与奪の権をもち、法的には家長にとっての「物権」に過ぎない。これをヘーゲルは批判し、いわば(性別役割分業を含めた)近代家族モデルを提出。この点は「ヌーヴェル・エロイーズ」のルソーとも通じる。
さらに決定的な点は社会の構成員の複数性を哲学の領域に持ち込んだこと。これは「精神現象学」から「法哲学」まで一貫しており、ドイツ哲学には希。
複数性と秩序のアポリア、これも19世紀仏で一気に前景化する。いわば「法哲学」をその事態を先取りしていたのである。