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 尚、画像はラファエロによる「教皇レオ10世」。

 レオ10世は、フィレンツェ・ルネサンスのパトロン、ロレンツぉ・ディ・メディチの次男だけあって、芸術家の保護、芸術振興には熱心でした。

 またレオ10世の従弟にあたるクレメンス7世も同様。マキャベリに『フィレンツェ史』やミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の壁画などもクレメンス7世のパトロネージの一環です。

 ただし、政治的には仏のフランソウ1世と同盟、神聖ローマ皇帝カール5世と対立したたため、ローマ劫掠(Sacco di Roma)を招きます。

 この仏との同盟は、シャルル8世の有名なイタリア遠征(仏では知らぬ人はいない)以降、メディチ家のフィレンツェが選択した「安全保障」戦略。
 ローマ陥落の後、クレメンス7世はカール5世と和睦。クレメンスの子、アレッサンドロはフィレンツェ大公として帰還。
 その意味ではローマ教皇というよりメディチ家の利害を優先したと言える。

 その観点からバランスをとるためにメディチ家からフランソワ1世の子アンリに嫁いだのが、「聖バルテルミーの虐殺」で名高いカトリーヌ・ド・メディチ。

 まるで日本の戦国時代ですが、ちょうど時期も重なる。ただ規模が全欧規模だったので、ついに最強国家スペインによる統一はならなかった。

  

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 さて、中世では「ウリガータ」(ヒエロニムス訳ラテン語聖書)が近世以降と同様に重視されていたか、と言えばそれは違います。

 中世のカトリックの大司教、枢機卿、教皇のほとんどは「聖書」など読んだことがなかった。代わりに、彼らが精通していたのは教会法。

 つまり、カトリックとは中世ラテン世界をまとめ上げている教会という名の組織であり、その組織の運用のルールである教会法、それにその言語であるラテン語によって、広範囲の官僚組織として機能していた。また一応、法的には「独身」とはなってはいますが、事実上の「妻」が複数おり、子供も複数いた。

 有名な例ではルネサンス期のアレクサンデル6世(ロドリーゴ・ボルジア)と息子チェーザレ・ボルジアです。チェーザレは最初枢機卿、次に教皇軍司令官となってイタリア統一を目指します。マキャベリが「君主論」を捧げたのは、このチェーザレに対して。

 聖書を「読む」ことが、宗教上重要な意味を与えられるのは、ルターの「宗教改革」、教皇レオ10世(ロレンツェ・ディ・メディチの次男ジョバンニ)の時から。

 これに対してカトリックは大衆が聖書を「読む」ことを禁止、分かりやすいバロック芸術で啓蒙する道を選択。

 あれやこれやでグーテンベルクの印刷技術と結びついた独語圏の識字率急上昇となる。

 『政治と美学 ベンヤミンの唯物論的批評』、著者の内村博信さんからご恵投いただきました。

 この『政治と美学』、大部になったので、刊行は分冊になるのこと。

 内村さんは、すでに『ベンヤミン 危機の思考』を上梓しているので、W.ベンヤミン三部作となり、今や日本のベンヤミン研究の第一人者、と言ってもよいだろう。

 ベンヤミンはアドルノより10歳若く、E.ブロッホとともにフランクフルト学派周辺にいた。

 本書ではS.ゲオルゲやE.ユンガーの「保守的ロマン主義」・「革命的ロマン主義」をベンヤミンが批判し、それに対しK.クラウスやカンディンスキー、クレーなどの表現し主義を対置したことに注目し、それをベンヤミンの「唯物論的批評」と呼ぶ。

 また1933年にパリに亡命したベンヤミンは、そこで展開されている「人民戦線 front populaire」の運動に強い関心を抱く。

 本書ではパリでの人民戦線の展開とベンヤミンのボードレール論や第二帝政論を照応させながら議論が展開されていく。

 ここではペギーやマルローなどの議論・立場も検討されるが、現在の仏文科で、「人民戦線とマルロー」の研究はあるのだろうか?
 
 ちなみに「人民戦線」はパリでまず展開され、コミンテルンはそれを後追いしたに過ぎない。

 前「世界」編集長の熊谷さんが4月1日に設立する、新出版社「地平社」から、4月22日に発売予定の拙著、『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』の表紙カバーが出来上がりました。

 これから、3週間程度でゲラ作業を終えないといけないのだが、大丈夫なのだろうか?実は、まだ初稿ゲラも届いていないのである。

 いずれにせよ、今年の春休みはこれでなくなったなー😭  

 ネオ・プラトニズムと言うと、プロティノスが代表的な思想家とされるが、古代キリスト教最大の教父アウグスティヌズも元来ネオ・プラトニストだった。

 中世のスコラ哲学では、アラビア語から重訳されたアリストテレスの論理学が中心になる。

 ネオ・プラトニズム復興は、ルネサンスのイタリア、特にフィンレツェにおいて盛んになる。ボッティテェリなどフィレンツェ派の絵画は、ネオプラトニズムの寓意としても解読できる。私は高校時代、林達夫と高階秀爾の本でこのことを知った。

 同時にルネサンス期には古典ギリシア語から直接プラトンやアリストテレスを「読もう」とする試みが始まる。これが近代文献学第一期。つまりルネサンスは論理学ではなく、文献学の時代。

 元来カトリック公認のラテン語の「ウルガータ」(聖ヒエロニムス訳)ではなく、古典ギリシア語から「新約聖書」をドイツ語、フランス語、英語、チェコ語などに翻訳しようとする試みが始まる。当時は聖書の翻訳は「死刑」によって禁止されていた。

 各国語への聖書の翻訳と文法書の出現が、「国家語」へと繋がっていく。

 ところで、「無限」に関してもプラトンとアリステレスは立場を異にする。通常、プラトンに近いと見られるカントは「無限」に関してはむしろ、アリストテレスに近いのである。

 「歴史学研究」に掲載されている、歴研創立90周年を迎えての「リレー討論」、いろいろな立場・分野の人が「ざっくばらん」に書いているので、毎号興味深く拝読している。

 今回は歴研編集長、委員長などを10年務めた小沢弘明さんの「歴史学研究会の『世界史的な立場』」である。

 「世界史的立場」というと、まるで京都学派のようだが、そうではない。1946年9月の歴研綱領に出てくる文言である。

 この綱領の文言ではすでに「祖国」の言葉があり、これは1949年7月の歴教協設立趣旨書では、「歴史教育は・・・祖国のない世界主義とも相容れない」となる。

 小沢さんは、この変化を一繋がりに記述しているが、私見ではこれはSCAP/GHQの「逆コース」に対応して、共産党が「民族・民主」を前景化させたことに対応する。

 また小沢さんはこれを「民族・民主革命」論として「戦後歴史学の初心」と呼ぶ。これは現在の歴研メンバーからすれば、思想的には違和感がある筈。しかし「歴史」としてみればどうであろうか?

 また、日本の歴史学は日本史・東洋史・西洋史の三分類と日本史のヘゲモニーを自明視しており、現在に至るまでそれは継続しているとされる。小沢さんはそれを批判しているのだが、少し日本史専門の人の反論を聞いてみたいものである。

 シドハース・カーラ『性的人身売買』

 冷戦崩壊後、グローバル資本主義の全地球化によって、劇的に「性的人身売買」が増え続けていることを調査・批判した本です。

 旧ソ連・東欧圏の崩壊により、ルーマニア、モルドバァ、ウクライナ、それにチェコなどから「性奴隷」として、毎年数十万以上の女性がイタリア、米国などに「輸出」されている。ウクライナは、社会主義崩壊後、経済的にはドイツの経済的植民地になり、主要な外貨獲得源は「代理母出産」とななった。

 南アジアでは、パキスタン、インド、バングラデシュからタイへ数百万規模で「輸送」される。タイでは、農村地域の「児童」が都市へやはり「性奴隷」として売られ、そこには北側の男性達(及び南側の富裕層)が、群れをなして「買春」に訪れる。

 この「性奴隷ビジネス」が急成長した直接の原因は、麻薬ビジネス以上の収益率の高さ、とされる。しかし、著者は、背景にあるのは、社会主義崩壊後の新自由主義の全面化にあるとし、特に東欧に関してはIMFに直接の責任があるとする。

 ところで、この本を「朝日」で書評した人、「性的人身売買」を「非合法化すべき」と「眠たい」ことを言っていたけれども、当然すでに人身売買は「非合法」なのである。要するに、書評者、この本を読んでないのである。

 

昨日、大学に行くと、学長選の結果が貼りだされていた。

私は学内の統治行政には全く無縁の人間だが、最近不在者投票もできるよりになり、一応投票はしている。

今回の1位は文学部の山田賢先生である。

 山田さんは、清代中国史の専門家であり、この世代のエースと言える人。

 また、昨今の歴史学者としては珍しく、四六駢儷体もかくや、と思わせる美文家でもある。

 「ほう、人文社会系が学長に選ばれることもあるのかー」と思い、左を見ると、何故か「2位」の横手幸太郎という人が「学長となるべきもの」と公示してある。

 これは不思議なこともあるものだ。今回の投票率は90%以上、教員の他に職員も投票している。

 横手さんは2位、山田さんより100票少ない。自民党議員でもー現在ではー定数1で2位なら落選である。

 形式上、学長選考会議が「最終決定する」ということにはなっているが、今まで選挙の結果が覆されたことはない。

 近年流行のガバナンス論の観点からも、3分の2の構成員に支持されていない人が、学長になることは「望ましくない」筈である。

 ま、規定では、「選考過程及び学長と選んだ理由」について「公示」=「公に説明責任を果たすこと」あるから、これから、その「説明責任」が果される段階に移行するのだろう。

 先週、参院会館で行った、「スラップ訴訟、言論の自由、民主主義」が週刊金曜日の今週号で取り上げられています。ご関心のある方は是非お読みください。

 大学の新設計画という公的問題を動画にて突如公開するする以上、当然それは(多少の誤解を含む)論評が出るのは当然です。

 それを自分の都合の悪い投稿をした人間に「日本財団・ドワンゴ学園」準備委員会が「法的措置を取る可能性がある」と内容証明で送って来れば、普通人は「心理的威圧」を感じます。
 その企画の中心に安倍首相周辺の政治権力の中心や大富豪がいるとなれば尚更です。

 法的訴訟となれば、時間はかかりますし、常識的に「スラップ」であって棄却と予想しても、この手のことに「絶対」はありません。

 しかし、だからといって、誰もが「スラップ」を恐れ、また「忖度」して言論を自主規制すれば、民主主義は成り立ちません。民主主義は、構成員がある程度重要情報を共有してこそ成り立つシステム。であるから、「言論の自由」、「表現の自由」は民主主義にとっての死活問題。

 私としては法的手続きはそれとして粛々と進める予定ですが、法的プロセスは別に「民主主義」と「言論の自由」について、(マスコミ政治家のみなさんも含めて)問題意識を共有していただきたく、記者会見を開きました。

 今日、参議院会館で、「スラップ訴訟と言論の自由、そして民主主義」と題する記者会見を開きました。

 研究者、ジャーナリスト、それに望外なことに参議院議員である宮本岳志さんが参加してくれ、活発な討論の場になったと思います。

 宮本議員はかつて金融ローン会社武富士が週刊金曜日に対して行った1億数千万以上の賠償請求事件に関して、国会質問にたった経験があり、そのことから今日の会見に興味をお持ちになった、ということでした。ちなみにこの際の武富士側の弁護士が、現在の大阪維新の吉村市長です(勿論、武富士の要求は棄却)。

 いやはや、20年たっても構図はあまり変わっていないのか・・・

 というよりもジャーナリストの方たちのお話を聞くと、この手法は現在さらに多用されており、組織ジャーナリズムは「訴訟」になりそうな記事を自主規制、フリーの人は訴訟のリスク・負担を恐れてこれまた「自粛」という流れもあるように感じました。

 「言論の自由」、少なくともこれがなければ民主主義はなりたちません。治安維持法でなくても、大富豪と権力者の企画を批判すること「スラップ訴訟」の圧力で「自主規制」されるようでは、日本の民主主義体制は風前の灯と云えましょう。

 尚、今日の動画は近々、公開できると思います。

 『四つの未来』ピーター・フレイズ、「ポスト資本主義を展望するための四類型」、訳者の酒井隆史さんからご恵贈いただきました。ありがとうございます!

 しかし、酒井さん、つい先日あの『万物の黎明』を、明快かつ流麗な文体の個人訳で上梓したところである。ある意味、超人的な仕事振りと言えるだろう。

 著者のフレイズは2011年の創刊以来英語圏で際立った存在感を示している雑誌、『ジャコバン』の中心メンバーの一人。

 英語圏で「ジャコバン」というのがまた興味深い。英語圏の伝統的な政治学・政治思想では「ジャコバン」は基本的に「ネガティヴ」なコノテーションをもつからだ。

 フレイズは、いわゆる「ジェネレーション・レフト」を代表する世代の人であり、、アメリカ民主社会主義者同盟のハドソンバレー支部副委員長でもある。

 このグループは日本では「民主党急進派」と呼ばれ、オコシオ・コルテスやパレスティナ系初の連邦議員ラシダ・タリーブが知られている。ラシダ・タリーブが、現在進行中のガザの大虐殺に絡んで、つい先日、いわれなき=恥ずべき「問責決議」を米下院で受けたことは記憶にあたらしいだろう。

 日本でも『ジャコバン』やオカシオ・コルテス、ラシラ・タリーヴに対応する言説や運動が切に求められている、と言えましょう。

 1960年、ベルギー領コンゴがついに独立した年、初代首相ルムンバがベルギーとCIAの連携プレイで抹殺され、殺害の後、硫酸で体は溶かされ、歯の一部がベルギーに「戦利品」として持ち帰られていましたが、数年前、「植民地主義」への反省の意の表明ということで遺族に返還されたことは以前書きました。

 この際、国連事務総長ダグハマーショルドは、独立したコンゴへの宗主国ベルギーの権益保持を批判しながらも、ルムンバの「保護」のために国連軍を動かすことは拒否しました。

 その結果、ルムンバは(不可能な)ソ連への援助を求め、それをキャッチしたCIAとベルギーによって抹殺された。その意味では国連はルムンバを「見捨てた」とも言える。

 しかし、それでもアフリカの「真の独立」を主張するダグ・ハマーショルドは米・英・南アフリカアパルトヘイト政権に危険視され、1961年搭乗機が墜落、死亡しました。
 現在の国連の調査ではCIA、MI5、そして南アフリカ情報部の「スイマー」と呼ばれる秘密組織による暗殺説がほぼ確実視されている。
 墜落後のダグの死体の襟のスペートのエースを置いて撮った記念写真がある。「スペードのエース」はCIAが任務終了の際に置くカード。

 今回、米国は国連そのものに「スペードのエース」を置いたのは?
 

 安丸良夫さんは1934生、富山で軍国少年として敗戦を迎える。
 戦後民主主義教育を受けた第一世代として、京都大学文学部史学科に入学。

 安丸さんが大学時代の京都の歴史学は、共産党の武装闘争時代、内部でも「国際」派と「所感」派に分かれて、暴力を伴う凄まじい「権力闘争」の真っ只中。

 この頃の京都は「所感」派が強く、日本中世史家の黒田俊雄(1924生)なども当時はその立場から政治に参加。
 安丸さんと一つ違いである廣松渉も国際派の活動家として京都で活躍(?)していました。

 東京では網野善彦さん(1928生)、色川大吉さん(1925生)も武装闘争時代の党員です。
 京都は今でもある意味「狭い世界」。左派インテリはどこかしらで顔を合わせます。
 それが50年代前半の「武装闘争」の時代ですから、人間関係の圧力は物凄かった筈です。

 しかし、安丸さんはあくまで「独立左派」としての人生を歩みました。ここも安丸さんがサルトルに共感した所かもしれません。

 1970年に三島由紀夫が「スペクタル」的に自決をしてみせた際、安丸さんは「三島なんかに騙されるな」という文章を書く。

 歴史家としては、近世・近代・現在を縦断する思想史家にして社会史家。
 思想史学、現代の歴史学の世界ではほぼ絶学となった。

 「ディアスポラ」研究、個人としては論文にはしなかったけれども、共同研究として2012年の『移動と革命』(論創社)として上梓しました。

 冒頭で中欧・東欧研究者の小沢弘明さんと中東研究者の栗田禎子さんとの長い討議。

 論考として、今や日本における仏語圏移民研究第一人者の森千香子さん、米国の黒人、生殖の政治のこれまた第一人者の兼子歩さん、森崎和江研究の第一人者・日本近現代思想史の水溜真由美さん、近代日本社会主義思想史の大田英昭さん、プルードン研究者の金山準さん(『プルードン:「反絶対」の探求』を近年上梓)、ベ平連など近現代日本思想史の神子島健さん、政治思想史の柏崎正憲さん、などなど多彩なメンバーが参加しています。

 金山準さんと神子島さんは、『ロシア・シオニズムの想像力』(東大出版会)の著者、鶴見太郎さんと東大駒場相関社会科学専攻の大学院のほぼ同期にあたります。

 しかし、この本、ほんとは遅くとも2011年には出版予定だったのになー。

 ともあれ、ご関心の或る方はご一瞥いただければ幸です。
 

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「ゴダール、アルジェリア戦争、サルトル」

 WWII後の映画史、1940年代後半がイタリア映画(ネオ・ネアリズモ)、1950年代前半が日本映画の時代だとすると、50年代後半から60年代初頭はヌーヴェルバーグの時代と言える。

 以前にも書いたように、アルジェリア独立問題はWWII直後からフランス社会を混乱に陥れますが、1954年ー62年まではついに「戦争」状態に入ります。

 仏は1945年からインドシナの独立運動を弾圧してきたが、54年ついにジュネーヴ協定によって独立を認めます。

 マンデス・フランスはさらにモロッコ、チュニジアの独立を承認するが、アルジェリア独立承認には失敗、58年には事実上クーデターによって第四共和政は倒壊。

 独立阻止のために仏本国でも徴兵が始まり、「大義なき戦争」に動員される若者たちの間には一種の「虚無感」が広がる。

 ゴダールの『勝手にしやがれ』は、この若者の焦燥感と虚無感をベースにしており、単に「洒落た」スタイルの映画ではない。

 ゴダールとトリフォーはサルトルの支持者であり、前者は生涯サルトルを「守護天使 ange gardien」とし、後者はサルトルの伝記映画を撮った。

 68年の「革命」に参加したサルトルの傍に、ゴダールとトリフォーの姿もあった。

 D.グレーバー・D.ウェングロウ『万物の黎明』、訳者の酒井隆史さんからご恵贈いただきました。ありがとうございます!

 しかし、これだけの内容と分量の本、お一人で翻訳というのは本当にすごい。

 内容的には、どうも私が先月書き上げた「自由主義・民主主義・社会主義」と問題関心が重なっているようである。

 4月刊行予定の拙論は、近現代を扱っているが、「自由にして平等」の実存様式、という点で、人類学が対象とする社会を重要な参照枠としている。

 またS.ピンガーなどの進化生物学・進化心理学をベースにした人類史を批判するという問題意識も私も長年、抱いている。

 日本語圏では、それほどでもないが、英語圏ではピンガー的言説は中道リベラルに広く共有されており、「21世紀の啓蒙」と自称さえしている。

 私としては、「21世紀の啓蒙」はピンガー的なものを批判することで可能になると考えている。
 

 昨日アパルトヘイト時代の日本人=名誉白人について書きましたが、ちょうど少し前に三井物産の当時の社内報がSNSで出回っていたらしい。

 「インド人は煮ても焼いても食えない狡猾さがあり、中国人はひっそり固まって住み、カラードは無知粗暴、黒人に至っては箸にも棒にもかからない蒙昧の徒」とし、それに対して日本人は「緑の芝生のある広々とした郊外の家」で「白人と親しみ」、名誉白人から実質白人へと地位向上しているのは「まことに喜ばしい」とある。

 うーん、これ驚天動地の表現とも言えるが、実は現在もあまり感性は変わっていないのではないか?

「中国人は固まって住み」とあるが、私の海外経験では日本の商社・マスコミ・外務省関係者はそれこそ日本人コミュニティに「籠城」し、現地との交流をひたすら回避していた(とくに仏)。

 ところで、例の神宮外苑の再開発は三井不動産、次世代戦闘機開発は三菱重工・電気、IHI(旧三井系)、消費税19%から「逃げるな」の経団連会長は住友化学、保険証廃止「納期守れ」は三菱商事。どうも三大企業集団、実質日本を支配しつつあるのでは?

 経団連2代会長の石坂泰三、第四代会長の土光敏夫は共にIHI。前者は原発を日本導入、後者は中曽根第二臨調で日本に新自由主義を導入した。

 

 連続BTした、昨日のNHKスペシャル、「”冤罪”の深層”ー警視庁公安部で何がー」、なかなかの評判です。

 この番組のディレクター、石原大史さんは、「原発事故 最悪のシナリオ」の制作者でもあります。

 今のNHKの中では最も、良心的かつ有能なディレクターの一人、と言えると思います。

 仄聞によれば、一世代上のNHKの人からは、「彼、よく生き残ってきたと思うよ」とのコメント。

 この石原さん、実は私の大学院の後輩で、修士論文は『鶴見俊輔と思想の科学』。しかし、この頃駒場ではポストモダニズム@JAPANの全盛期でもあり、石原さんはさまざまな「ハラスメント」に会い、博士進学を断念。NHKへの道を選択しました(同様の理由で同様の選択をした後輩も多い)。

 しかし、石原さん、NHK入社後、公害関係、原発関係、そして米軍の沖縄駐屯問題、さらに今回の作品と、この世代では、一人気を吐いている。

 一時、組織内でやや「干され気味」の時もあったようだが、そこは大学院での「ハラスメント」で鍛えられた石原さん、飄々と乗り越え、再び活躍。

 「原発事故 最悪のシナリオ」はNHK出版から書籍化もされています。ご関心の或る方はぜひご一読下さい。

 また昨日の番組も28日(木)に再放送があります。是非ご覧ください。

 今一つ、日本で「アカデミズム」が使われた背景があります。

 欧米での「アカデミズム」とは、特に19世紀フランスの、「技術的訓練はされているものの、何の創造性、革新性もない」官製絵画群のこと。マネを筆頭とした印象派の画家たちは、この美術界の「アカデミズム」からは完全に排除され、「独立した アンデパンダン」美術空間を創出します。

 ここから後期印象派、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホに至るまで、近代芸術の「主流」が生まれますが、作家たちの生活は、ルノワールのように中途から大衆趣味に迎合した例外を除けば、かなり悲惨。
 対して当時の画壇を支配していたアカデミズムの作家たちは、今日の美術史には名前も残っていない。

 ここから、大学内の業界で訓練は受けているものの、アクリュアリティには何の関心もない、学問の在り方を藤田省三・鶴見俊輔・久野収などは「アカデミズム」と批判したのです。
 ただし、彼らは知的訓練、思考の型、外国語の習得、それ自体を批判したのではない。ただ、それを自明視して業界の内に閉じこもること態度を脱構築した。

 さて、翻って現在の学問の現状は?
 新古典派経済学はまさに自閉的アカデミズム、メディアに出てくるのは絵に書いたような提灯学者ばかり。
 国際政治学者も右に同じ。
 法学についてはまた。

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