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 今一つ、日本で「アカデミズム」が使われた背景があります。

 欧米での「アカデミズム」とは、特に19世紀フランスの、「技術的訓練はされているものの、何の創造性、革新性もない」官製絵画群のこと。マネを筆頭とした印象派の画家たちは、この美術界の「アカデミズム」からは完全に排除され、「独立した アンデパンダン」美術空間を創出します。

 ここから後期印象派、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホに至るまで、近代芸術の「主流」が生まれますが、作家たちの生活は、ルノワールのように中途から大衆趣味に迎合した例外を除けば、かなり悲惨。
 対して当時の画壇を支配していたアカデミズムの作家たちは、今日の美術史には名前も残っていない。

 ここから、大学内の業界で訓練は受けているものの、アクリュアリティには何の関心もない、学問の在り方を藤田省三・鶴見俊輔・久野収などは「アカデミズム」と批判したのです。
 ただし、彼らは知的訓練、思考の型、外国語の習得、それ自体を批判したのではない。ただ、それを自明視して業界の内に閉じこもること態度を脱構築した。

 さて、翻って現在の学問の現状は?
 新古典派経済学はまさに自閉的アカデミズム、メディアに出てくるのは絵に書いたような提灯学者ばかり。
 国際政治学者も右に同じ。
 法学についてはまた。

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