安丸良夫さんは1934生、富山で軍国少年として敗戦を迎える。
戦後民主主義教育を受けた第一世代として、京都大学文学部史学科に入学。
安丸さんが大学時代の京都の歴史学は、共産党の武装闘争時代、内部でも「国際」派と「所感」派に分かれて、暴力を伴う凄まじい「権力闘争」の真っ只中。
この頃の京都は「所感」派が強く、日本中世史家の黒田俊雄(1924生)なども当時はその立場から政治に参加。
安丸さんと一つ違いである廣松渉も国際派の活動家として京都で活躍(?)していました。
東京では網野善彦さん(1928生)、色川大吉さん(1925生)も武装闘争時代の党員です。
京都は今でもある意味「狭い世界」。左派インテリはどこかしらで顔を合わせます。
それが50年代前半の「武装闘争」の時代ですから、人間関係の圧力は物凄かった筈です。
しかし、安丸さんはあくまで「独立左派」としての人生を歩みました。ここも安丸さんがサルトルに共感した所かもしれません。
1970年に三島由紀夫が「スペクタル」的に自決をしてみせた際、安丸さんは「三島なんかに騙されるな」という文章を書く。
歴史家としては、近世・近代・現在を縦断する思想史家にして社会史家。
思想史学、現代の歴史学の世界ではほぼ絶学となった。