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『勉強の哲学 来るべきバカのために』(千葉雅也)

頭の体操的な読書。『センスの哲学』で千葉雅也にハマったので。文庫書き下ろしの補章で提示された「制作の哲学」は『センスの~』へと繋がる思想を感じた。
内容自体に新しい発見はあまりなかったというか、お勉強できた頭でっかちクンであるところの私は割とこういうこと無意識でやってたな~と感じた。しかし、本書の意義はその無意識を丁寧に腑分けしたところだろう。自分がなにをしていたのかを言葉にしてくれると気持ちいい。ノリが合った。
amzn.to/3KYA191

『青春ブタ野郎はロジカルウィッチの夢を見ない』(鴨志田一)

読みました。中盤から終盤に向かうに従ってしっかりスパートを掛けて登場人物らの心理を盛り上げていく。記念写真のくだりは流石。うまくいった!→かと思いきや~の流れが絶妙。個人的にはもっと書き込みたくなったのだが、これくらいの密度でええんかなあ。ただ、土地を毎回紹介してるのは温度感を出すのに上手いな。やろうと思った。
amzn.to/3RA0ZYb

『青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない』(鴨志田一)

再読。似たジャンルの小説を書いてる最中に読むと「こういう書き方すればいいのね~」的な読み方になるが、それでも十分に楽しい読書。私は登場人物の外見をさりげなく書き込むのが苦手(二次創作では必要がなくて育っていないスキルだから)なのだが、さりげなくてもいいというか、ジャンルの約束に則るならむしろ堂々と書いた方がいいっぽい。というのが今回の学び。
amazon.co.jp/青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を

『音楽は踊りの原動力! バレエ音楽がわかる本』(音楽の友・編)

動きと音楽との関係の語彙を蒐集するために読んだ。
以下、適当にまとめる。
・指揮とは手で踊ること。踊りとは身体で指揮すること。
・踊りを続けている人は音感、音楽性を有する。自分で無伴奏で歌って自分でテンポを作る。カウント自体には、メロディも物語も色もない。
・台詞=物語を語るように音楽を踊る。
・躍動する音楽から「鼓動」を感じる。

『ダンスの言語 動きを読む・書く・表現する』(アン・ハッチソン・ゲスト、ティナ・カラン)

ダンスを記号で表現するというコンセプトのための教科書……なのだが、動きの語彙を蒐集するために読んだ。
以下、適当にまとめる。
静止:休止(静止)は緊張感を生み出すためのものである。静止は、急な動きに対して「枠」を与えることで印象深い者にする。
ダイナミクス:動きはアクセントを付けることによって、より興味深いものとなる。アクセントは急なものであり、エネルギーの炸裂である。エネルギーの急激な高まりとスピードの僅かな上昇は、瞬く間に消え去るが、簡単に生み出すことができる。
連続的な動きのフレージング:始点から終点に向かう連続的な移動にダイナミックな要素が加わった場合には、そのダイナミックな動きにキネティックな論理を生じさせることができる。
空中でのステップ:ダンス全体を非日常的なものへと表現する。ドラマチックさを表現する。重力に逆らい、地上の存在である肉体を上昇させることでエネルギーを燃焼できる。
方向性のある動作における解釈と表現:「上」は重力や運命に逆らう方向であり、自身や自己主張を表現する→大きなよろこび、希望、願いを表す。「下」は逆に、重力に身を任せる→服従、あきらめ、落胆、絶望。

『ザ・オーディション』(マイケル・ショトレフ)

俳優がオーディションに受かるための12のガイドを紹介する。興味深く読んだのは、俳優がいわゆる「演技の深み」を得るために必要な要素(ガイド)は、良い小説を書くために必要な要素と非常に似通っている。それが身体によって演出されるか言語によって演出されるかの違いだ。
特筆すべきは「ユーモア」「コミュニケーションと戦争」の2項目。
ユーモア:ユーモアとは人間同士のコミュニケーションを増やそうとする試みであって、単に相手を笑わせようとする冗談とは異なる。積極的なコミュニケーションによって、相手が背負っている重い荷物を軽くする、耐え忍ぶためである。
コミュニケーションと戦争:コミュニケーションとは相手との循環である。「送る側と受ける側」とがある。送る側は、①メッセージが明確だったか、②受ける側が受け取ったか、の2つを確認する義務がある。また、受ける側の義務は、①送る側のメッセージを受け取ったかどうか確認すること、②受け取ったことを送る側に伝えること、の2つである。
〈自分の小説〉に直接的に役立つ感じはしなかったが、創作論の別の切り口を読むのは興味深かった。
amazon.co.jp/マイケル-ショトレフ/dp/484

『ストラクチャーから書く小説再入門』(K.M. ワイランド)

再読に次ぐ再読。先日、エンタメに振ったキャラクター小説のシーンは大別して2×2=4とその境界領域しかない(アクション/リアクションによる変化×内的/外的な変化)ことが自ずと理解されたのだが、本書はその「シーン」を細かく分析してくれる。忘れていた部分も多くあり、背筋が伸びる思い。

『舞台上の青春 高校演劇の世界』(相田冬二)

全国大会に出場した強豪校や同好会(!)の生徒と顧問からのインタビュー集。コロナ禍での高校演劇に関するインタビューでもあるため、やがて時代を克明に描いた貴重な資料ともなるだろう。
「舞台上ではバカになれる」という言葉が率直で、極めて印象的。

『バレエの世界史 美を追求する舞踊の600年』(海野敏)

ネタ出しのために。舞踊の具体的な語彙に富んでおり、とても参考になった。

「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」(町田康)

『群像短篇名作選 2000~2014』より。町田康の語りを少しだけでも覚えたい。冷静な語りに突如として感情を差し込む技法、普段着の言葉をズラしてズラして意味不明にまで昇華する技法、逸脱。ドライブ感が気持ちいい。

『palmstories』(津村記久子・他)

読みました。二人称小説が畳み掛ける。特殊な人称の掌編であるため、着想がそのまま評価に直結する。津村記久子がダントツ。

『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈)

ギブ。
ファニーなガールがファニーなことをする構図の三連発で飽きた。詳細は別途ブログ記事の通り。
yobitz.hatenablog.com/entry/20

『想像のレッスン』(鷲田清一)

2000年代前半の芸術作品を始め、著者が関心を抱いた表現に関するエッセイ集。真髄を読み込むまでは至っていないのだが、表層をなぞるだけでも、表現にひたることの愉しみを感じられる。年に1回くらい読んで「世界にはこんなに自在に比喩を用いて「日常」を言葉にできる人がいるのであるなあ」と感動する。内容は読んだそばから忘れていく。
amazon.co.jp/想像のレッスン-ちくま文庫-鷲田-

『小説の惑星 オーシャンラズベリー篇』(伊坂幸太郎・編)

「恋愛雑用論」(絲山秋子)と「KISS」(島村洋子)が好き。
「恋愛雑用論」は、恋愛を雑用に喩える女性が周囲の男性に惹かれない話。恋愛を雑用に喩える着想は、仮に私が万年生きたとしてもひねり出せないだろう。
「KISS」は、グラビアクイーンになった元・同級生でいじめられっ子だった女性のサイン会に無理矢理連れて行かれる男子大学生の短編。後味の複雑さに驚嘆する。甘い記憶が共有されることで現在が苦くなる。見事の一言。
amazon.co.jp/小説の惑星-オーシャンラズベリー篇

『小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇』(伊坂幸太郎・編)

どれも本当に読み応え十分。その中でも「休憩時間」(井伏鱒二)、「サボテンの花」(宮部みゆき)が屈指。
「休憩時間」は、何か特別なイベントが起きるわけでもない、帝国大学の休憩時間の一幕。客観的には小さなイベントしかない、けれど登場人物たちの主観としては大きな変化が起きているであろう、そういうのが濃密に描かれていた。これまでの人生で読んだ大学生モノでトップに躍り出た。それくらい良かった。
「サボテンの花」は切れ味鮮やかなミステリ。徹底して「いい話」なのよね。編者の伊坂も解説で述べていた通り、いい話をやり切るのは難しい。いいものを読ませて頂きました。
amazon.co.jp/小説の惑星-ノーザンブルーベリー篇

『舞台監督読本 舞台はこうしてつくられる』(舞台監督研究室)

読みました、といった感。物足りなさを覚えた。舞台監督の仕事を膨らませたいなら『ザ・スタッフ』を読めるならそれで事足りるか。

『ダンスのメンタルトレーニング』(ジム・タイラー、セチ・タイラー)

メンタルコントロールの手法を、特にダンスにフォーカスして適用したところが読みどころ。メンタルコントロールの類書は数あれど、ここまで絞った本はない。
ダンサーに「ポジティブ・チェンジ」を促すための手法を説く。
ポジティブ・チェンジ=アウェアネス(気づき)+コントロール(統制)+レペティション(繰り返し)。
これらの基礎には、ダンスへの執着が求められる。その執着をいかに生み、維持し、更新し続けるかがポイントとなる。
以下、箇条書きで。
・レッスンではそのときのメンタルもノートテイクする。
・緊張感は逆U字(横軸を緊張レベル、縦軸をパフォーマンスレベルとして)が望ましい。
・緊張を生じさせる原因(自己評価)は①場からの期待、②期待に応える能力の有無、③期待に対処した結果、④結果によってもたらされた出来事、⑤自分の身体についての原因、に分類される。
・筋肉が緊張したときには、むしろいったん高負荷な緊張まで上げてから下げるとリラックスされる。
・イメージングコントロールを使う。具体的なイメージで、イメージの時間の流れを変えながら。
・イメージングコントロールを日々の日課に採り入れる。

『センスの哲学』(千葉雅也)

2024年ブックオブザイヤー(暫定)!
さまざまな読みが可能なように開かれた、エッセイ風の一冊。読むときに切実な問題に引きつけて読むのがいいのではないだろうか。
本書は、生き方論、鑑賞論、創作論、その他「センス」がまつわるものであればどんな読み方でも許される本だと感じた。その上で、私にとっていま一番切実な創作論に引き寄せて感想を書く。
センスとは、対象物から意味を取っ払ってその物をあるがままに捉えるところから始まる。その対象物のあるがままが、存在したり、欠如したりする。その存在/欠如の「リズム」をどう捉えるかがセンスに繋がる。リズムについてより立体的に書けば、意味がある/意味がないという「ビート」、あるがままがどのようにあるかという(=構造)「うねり」に分解できる。
対象からリズムを感じるとき「次にどんなビートが叩かれるだろう?」「どんな風にうねるだろう?」と予測をしている。対象が予測通りなら気持ちいいし、逆に、予測から外れていてもサプライズが気持ちいい。その外れ具合(リズムの遊び)を感じるのが気持ちいい。本書ではそういうのを「いないいないばあ」と呼んでいるが、正鵠を射ている。

amazon.co.jp/センスの哲学-千葉-雅也/dp/4

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