とても勉強になる記事でした。24時間無料で読めるようにしました。
「選挙に関する報道そのものを妨げるような規定は、公職選挙法にも放送法にもありません。」
「テレビは政治的に公平であることが放送法で要請されていますが、新聞にはそうした規制がありません。」
「ただ、最近の一連の選挙をみていると、問題は選挙期間中の報道だけではないと感じます。テレビや新聞はそもそも日ごろから有権者に必要な情報が提供できていたのかという疑問があります。」
「選挙だから控える」は新聞TVの言い訳 人選びに加担する報道の罪
https://digital.asahi.com/articles/ASSDV1FX6SDVUPQJ008M.html?ptoken=01JG7XFRBJVCWN1MJP3HZG1RQG
24時間無料で読めるようにしました。
柏崎市長選に反原発派の候補者についての記事、こういうトーンの記事が出るのは非常に珍しい気がするのですが、反原発運動の「内輪目線」と、なぜ支持が広がらないのかについて、鋭いところをついていると思います。
福島県内で、反原発運動への支持が広がらなかったのは、イデオロギーの問題ではありません。
反原発運動の内輪目線から発した、福島在住の人に対しての配慮を欠いた言動に対する強い不信感からです。
まずそれを言われる人への想像力を欠いている、言われた相手がどう思うかを考えない、だから原発に賛成か反対か以前に、人間として信用されない、そういう話だと思います。
市政課題への対策「わかりません」と第一声 原発の街で異例の市長選https://digital.asahi.com/articles/ASSDV729GSDVUOHB005M.html?ptoken=01JG6NG083S9F9272CAJDM8T5Q
東京の人が思っているほど、福島在住の人は、差別で嫌な思いをしていないです。
これは2017年頃のいじめ差別問題がふきあがったときにも思っていました。
ただ、その後、福島が差別されているという報道一色になってしまって、報道を通じた差別体験で記憶がすり替わってしまった人が非常に多いと思います。
差別されるのでは、というじわじわとした不安感と小さなエピソードはは多く存在したのですが、それが報道によって確証づけられて、不安だった時期もずっと差別を受け続けていたかのように記憶が変わった人が多い、という印象を持っています。
そういう意味で、マスコミの報道は、非常に罪作りであったと思います。
私ももちろん、自分が直面すれば腹を立てたとは思いますが、一過性のものであるならば、人間は「知らぬが花」ということは多々あります。
私の知らないところで、私の悪口を言っている人はたくさんいると思いますが、それを知る必要はないんです。自分が傷つくだけですから。
対応が必要なのは、実際の不利益が出る場面でだけで、その時は戦うなり、現実対応が必要です。
けれども、時間とともに消えるのなら、なかったことにしておいてもよかった、と私は思っています。
もうひとつ、西田さんが東京の居酒屋トークで、「しばらく福島の娘さんは嫁にはもらえねぇな」という話を聞いて、ひどく腹が立った、というエピソードも流れていましたが、これを聞いて、やっぱり東京在住の福島ゆかりの人の、福島復興への過剰なまでの思い入れはこれなんだな、と改めて思いました。
福島在住だった人は、被災直後は自分たちのことで手一杯で、外の人がどう言っているかというのは、県外に避難でもしなければ、聞くことはありませんでした。
ですから、私自身も、twitterを除けば、差別的な言動に直面した経験はありません。
一方、県外に住んでいる福島にゆかりのある人は、そういう場面に頻繁に遭遇して、大きなトラウマになっていたのだと思います。
それはそれで対応が必要なことだったのではと思いますが、問題は、そうした方達の眼差しが復興全体の方向性に大きな影響を与えてしまった、ということです。
東京にいる方の方が社会的影響力が遥かに強い、ということです。
そのため、課題は、地元での生活回復ではなく、周囲からどう見られるか、風評なのだ、という方向性に流れてしまったのは、これも原因だと改めて実感しました。
福島ローカルテレビで西田敏行さん追悼のコーナーを少し流していて、原発事故直後のピリピリした表情で「がんばろー!」と言っている姿などが流れていたのですが、この映像をただの「いい人」ストーリーで流すのは、ちょっと時期的にさすがに早すぎないか、と思いました。
私は、原発事故の頃はテレビを見ていなかったので(事故から5年後にようやくテレビを見る環境になった)、当時、西田さんがどんなことをしていたのか、実はほとんどまったく知りませんでしたので、今回、当時の雰囲気をテレビで初めて見ました。
当時の佐藤県知事を筆頭に男性ばかりがハッピを着て腕を突き上げて「福島県産品がんばろー!」と2011年5月頃にやっているのは、当時の混乱状況を考えれば、原発事故に動転し、ショック状態のパニックの一種としか思えません。
なぜなら、当時は、食品の汚染状況や移行もどの程度のものになるのか見えておらず、そこで「安全だ」と断定する方が、科学的には正しくない態度だからです。
安全性に確信が持てるようになってきたのは、早くても2013年、2014年頃と考えるのが妥当です。
それ以前の時期の食べて応援運動を、2015年以降の風評払拭活動と同列に理解して並べるのは、事実認識に大きな間違いがあるといえます。
この記事などが、大本営広報の典型記事ですが、大熊の地元の人たちに話を聞いたら、大熊復興の象徴には、あっさりと取り壊されてしまった旧図書館をしてほしかった、という人が多いと思います。
この建物に113億円もかけるのだったら、旧図書館の補修・改善に投じる予算がなかった、というのはただの言い訳であった、ということがわかるかと思います。
地域の精神的なシンボルを失った影響は計り知れず、今後もそれを回復するのは極めて難しいと思います。
「大熊復興の象徴」完成 福島県大熊町のJR大野駅西口に整備の産業交流施設と商業施設
https://www.minpo.jp/news/moredetail/20241226121557
福島県が記念公園内に家屋保存を決めたとのことです。福島県のこれまでの方針は、ブルドーザー式にすべてを作り替えて、生まれ変わった被災地を作り上げることなので、非常に珍しいケースだと思います。
復興記念公園内の墓地を移転させて、更地にしてイベント会場にしたことについて、毎日新聞が記事を載せたことで、批判を気にしたのではないでしょうか。
同性婚のパートナーシップ制度もそうだと思いますが、批判すれば県庁だって多少は気にして、態度を変えることはあるのだと思います。
そういう意味で、揉み手に擦り手の大本営記事ばかり出している福島民報をはじめとするローカルメディアの責任は非常に重いと思います。
あとは、双葉町は比較的住民と町の距離が遠くないので、それも影響しているかもしれません。
「東日本大震災の犠牲者を追悼するために県と国が双葉、浪江両町に整備する「福島県復興祈念公園」の整備予定地内にある双葉町の集落跡地の家屋2棟について、県が保存することを決めた。」
双葉、浪江に整備「福島県復興祈念公園」 敷地内の2家屋、保存へ 「津波、原発被害 理解する場所に」 /福島
https://mainichi.jp/articles/20241228/ddl/k07/040/031000c
ほんと、なんで福島こうなった、と県庁や県政を見ていると、つくづくと思います。
結論は、もともとが古い体質だったところに、復興予算と国策バックアップがついたのが悪かった、ということにしかならないのですが、石川も福島と変わらないくらいに古い体質でしょうから、似たような展開にならないことを祈ります。
ただ、先日の北国新聞社の復興事業狙いのシンクタンク会社立ち上げなどを見ていると、同じ轍を踏むんだろうなぁ、という気がしてなりません。
日露戦争で、うっかり勝利してしまって、慢心増長の極みに向かった大日本帝国そっくりだな、と思います。
冷静に分析すれば、たんに棚ぼたラッキーで勝てただけなのはすぐにわかるのに、「自惚れ屋でお調子者の日本人」は、勝手に自分の力だと思い込んでしまう。
なんだか懐かしい内容の記事でした。東日本大震災と原発事故のあとも、直後はこういう手作りの、住民が中心になった活動がたくさんあちこちにありました。
その活動の中心には、かなりの事例で女性が中心になって、活発に活動していたのでした。
その動きが2014年を境にどんどん行政のコントロール下に置かれはじめて、今では、まるで最初から全部男性が全部リーダーシップをとったかのように語られていますが、そんなことはありません。
能登はそうならないことを願っています。
たぶん、外部からの支援が切れる3年が節目になると思います。それまでに、しっかり女性の発言権を確保しておかないと、男性だけの復興物語に差し替えられてしまいます。
「本町ステーションは、地域の人が安心できる居場所をつくることと、外の人が関与する「関わりしろ」をつくることの、二本立てで運営されている。」
住民が地域の主役の座に座り直す―。奥能登の自由な交流拠点「本町ステーション」が示す復興の形
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6524214
最終的に、財源が乏しくなり、復興事業も中途半端なままになった時に、自分たちが現実の課題に主体的に対応するつもりも能力もない県にできるのは、中間貯蔵施設や避難区域といった被災地を「材料」にして、国に予算を要求することだけです。
しかし、財源がないのは国も同じですし、世代が入れ替わって淡白になった国が、これまでのように福島に厚遇を行うことはなく、そこで起きるのは、原発事故後の政策課題を挟んだ、国と県の予算の引っ張り合いです。
これがおそらく今後の福島をめぐっておきる、「福島復興の沖縄基地問題化」だと思います。
ただ、この道を選んだのは福島県庁と県政なので、ご自身の選択です、としかコメントのしようがないです。
郡山市が今後30年間の公共施設の維持費を計算し、面積で半減する必要があるとの見通しを示したとのこと。
先だって、いわき市でも、今後公共施設を半減する必要があるとの見通しが示されたところです。
これは、老朽化した施設の改修・修繕などを計算したものですが、双葉郡内の自治体では、すでに通常の維持費でも負担が困難になってきているところがあるのではありませんでしたか。
「面積に換算して施設の全体のおよそ半分を削減する必要があり、市は来年度中に計画をとりまとめ、施設の統廃合や複合化を進める方針です。」
郡山市 公共施設の維持・管理費用 4000億円不足の試算
https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20241226/6050028309.html
数年前に出したふくしま医療機器産業推進機構が出した巨額の赤字も、県の予算で穴埋めしましたし、上下分離の只見線の維持費の超過分も国交省への補助金で補う予定だそうですし、こんな感じで、県の行った事業で次々巨額の不採算が発生し、そのたびに穴埋めに補助金なりで補填するということになるのだと思います。
当座は、県は原発事故後に国から得た基金等で残額があると思いますが、これだけ大盤振る舞いしていたら、さすがに愛想を尽かされると思いますよ。
福島に思い入れにある中央省庁の人たちも、徐々に退職していって、次の世代は、他の災害地域とのバランスで考えますから。
能登はあれなのに、なぜ福島だけこんなに厚遇されるのか、と考える世代が主体になるのは、そんなに遠い先のことではないと思います。
「JR只見線の県管理区間(会津川口ー只見)の2025年度から10年間の維持費が当初想定の年間3億円を上回り、年平均で6億7000万円に上る見通しとなったことが17日、県の試算で分かった。」
福島・只見線維持費、年6.7億円 想定の2倍超、国交付金で負担圧縮へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/aeda68e2caaab4ac90fe1c653681ace365022bf5
地元が病院を求めるのはわからなくはないのですが、大野病院の再開に(ばかり)、県庁がなぜこんなに強くこだわっているのか、少し不思議に思っていたのですが、これも県庁の権限と天下り先をなにがなんでも失うものか、ということだったのでしょうね。
県庁が力を入れるところが、アンバランスなことは以前からずっと引っ掛かっていたのですが、あれもこれも、県庁の権限と天下り先確保のため、ということで、すべて合点がいきました。
これも、「被災地復興」を盾にすれば、まわりから何も言われませんし、国もせっせせっせと用意してくれますものね。
人口減少と高齢化が進み、廃炉関係をのぞいて民間事業は低調で、全体の復興は半端なのに、県庁の機関だけが燦然と輝く福島復興の未来図が見えるようです。
大野病院後継 付属化を了承 県立医大 /福島
https://mainichi.jp/articles/20241227/ddl/k07/040/087000c
朝日のデジタル面の記事見出し「災害対応」が「害対応」になっています。
下記、私も同様に思います。
現在のところ、「災害対応」しか視野に入っていないようですが、災害の被害は、事後の復興業務次第で「事後減災」できます。
能登を見ても、どのように復興を進めるかにあたって、復興事業は高度な専門性や経験も必要とされますし、そこを念頭に置かなければ、作ったとしても、災害→復興の観点からすると、現状より大きな改善にはならないのでは、と思います。
「しかし二つの大震災は、被災自治体が災害対応とともに復興業務を開始することの重要性を示している。」
「そうしたシームレスな支援と展開が重要で、そのためのプロパー職員の確保も必要となる。」
(私の視点)害対応と並行の復興支援を 「防災庁」より「防災復興庁」 中林一樹
https://www.asahi.com/articles/DA3S16115302.html
自民党福島一区で落選した前衆院議員が公職選挙法違反で書類送検された件、朝日は関係者への聞き込みをした記事になっています。
金額が5,000円と微妙ですが、5期議員を務めたのですから、法律違反になる可能性が高いという認識がなかったとは思えないです。
今回だけでなく以前から行ってきたようなので、今回はまわる件数を他より増やしたり、選挙区変更で新しくなったところで同じようにやってみようとしたら、摘発にいたった、ということなのかもしれません。
確信犯的に配っているのではなく、この締まりのないゆるさ、だらしない感じが、いかにも今の福島県の政治関係者の空気感をあらわしていると思います。
「各町内会ではみこしを迎える場に祭壇を設けており、その片付けをしている時に「亀岡事務所」を名乗る人物や秘書が毎年訪れ、封筒を渡そうとしてきたという。」
世間話もそこそこに現金手渡し…選挙直前の祭りで 前衆院議員立件
https://www.asahi.com/articles/ASSDV2Q3WSDVUGTB001M.html
作家/NPO福島ダイアログ理事長/博士課程後期在学中
原子力災害後の復興政策と地域住民のギャップを埋めるためのローカルプロジェクトの意義と重要性について研究する予定。
・著書『海を撃つ』(みすず書房)
『スティーブ&ボニー』(晶文社)
『末続アトラス2011-2020』(福島のエートス)
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