なんだか懐かしい内容の記事でした。東日本大震災と原発事故のあとも、直後はこういう手作りの、住民が中心になった活動がたくさんあちこちにありました。
その活動の中心には、かなりの事例で女性が中心になって、活発に活動していたのでした。
その動きが2014年を境にどんどん行政のコントロール下に置かれはじめて、今では、まるで最初から全部男性が全部リーダーシップをとったかのように語られていますが、そんなことはありません。
能登はそうならないことを願っています。
たぶん、外部からの支援が切れる3年が節目になると思います。それまでに、しっかり女性の発言権を確保しておかないと、男性だけの復興物語に差し替えられてしまいます。
「本町ステーションは、地域の人が安心できる居場所をつくることと、外の人が関与する「関わりしろ」をつくることの、二本立てで運営されている。」
住民が地域の主役の座に座り直す―。奥能登の自由な交流拠点「本町ステーション」が示す復興の形
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6524214
ほんと、なんで福島こうなった、と県庁や県政を見ていると、つくづくと思います。
結論は、もともとが古い体質だったところに、復興予算と国策バックアップがついたのが悪かった、ということにしかならないのですが、石川も福島と変わらないくらいに古い体質でしょうから、似たような展開にならないことを祈ります。
ただ、先日の北国新聞社の復興事業狙いのシンクタンク会社立ち上げなどを見ていると、同じ轍を踏むんだろうなぁ、という気がしてなりません。
日露戦争で、うっかり勝利してしまって、慢心増長の極みに向かった大日本帝国そっくりだな、と思います。
冷静に分析すれば、たんに棚ぼたラッキーで勝てただけなのはすぐにわかるのに、「自惚れ屋でお調子者の日本人」は、勝手に自分の力だと思い込んでしまう。