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(3)
文筆活動。
上記(1)(2)の活動については、学術会議などへの参加で報告したり、論文にまとめたりしてきました。
これは、ICRPが学術的な専門家団体だったため、声をかけられて応じていたら、だんだん数が増えてきたという経緯です。
発表履歴や論文については、リサーチマップにまとめています。
researchmap.jp/Ryoko_ANDO

また、著書の出版など作家活動も行っています。

2019年原発事故の経験をまとめたエッセイ『海を撃つ』(みすず書房)出版
msz.co.jp/book/detail/08782/
2022年 ゲンシリョク・ロードムービー・エッセイ『スティーブ&ボニー』(晶文社)
shobunsha.co.jp/?p=7365

著書は、文学色の強いエッセイになっています。

その他、福島に関連した論考も書いたりすることもあります。

それから、もうひとつありました
(4)
放送大学大学院修士課程清潔健康科学プログラム在籍中

自分の行ってきたリスクコミュニケーション活動について、学問的知見を参照して整理しているところです。

なにをしているのか、わかりにくいと思いますので、長々とまとめさせてもらいました。

よろしくお願いします。

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福島県いわき市在住。

社会活動の履歴は、2011年福島原発事故からはじまります。

それ以前は、趣味で文章を書きながら、自営業(造園業)を手伝ってきました。

原発事故のあとに、行ってきた活動は主に3つです。

(1)
地域活動としては「福島のエートス」という任意団体を運営し、いわき市末続地区での地域の放射線対処活動を協働で行ってきました。2020年活動終了。
詳しくは『末続アトラス』という記録誌にまとめました。PDFは無料でご覧いただけます。
ethos-fukushima.blogspot.com/2

(2)
もうひとつの活動として、国際放射線防護委員会(ICRP)が原発事故後福島で開始したICRPダイアログへ参加(運営手伝い)、2016年からの福島ダイアログから運営、2019年からはNPO法人福島ダイアログ設立、運営主催をしています。現在も継続中。
2011-2015
ethos-fukushima.blogspot.com/p
2016-2019
ethos-fukushima.blogspot.com/p
2019年以降
NPO福島ダイアログ
fukushima-dialogue.jp/

こわいくらいに誰もまちづくりの難しさを認識せず、ただ巨大な箱物をつくりさえすれば、それで人が戻ってくる、と信じ込んでいるように見えます。

というよりも、もはやそう信じるしかないのだろうとも思いますが。

ただ、それはかつて経験した正しくない認識です。
のちのちの負債となるだけなのは目に見えていると思います。

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現在進められている、人口120万人の広島駅前南口再開発計画の当初予算が155億(のはずが、倍増の360億になったらしい)。

浪江町の震災前の人口で考えても2.1万人。

120万人と2万人で同規模の(見込み)予算で再開発です。

いくら福島復興は「経済合理性ではない」といっても、限度や常識の範囲というものがあるのではないでしょうか。

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浪江町のいまの駅舎は添付のとおりなのですが、これを150億円かけて再開発って、どう考えても常軌を逸していると思います。

そして、さらにおそろしいのは、為政者サイドや復興政策に携わる側が誰ひとりとして、それを常軌を逸している、とわずかに思いもしていないところなんですよね。

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@Midori_Aoyagi パソナとかですね。日本全体、うっすらとそうなっていることは感じるのですが、浜通りの場合、歪さが濃縮されていて、今後も、歪さは強まりこそすれ、解消はしないと思うので、こわいなぁ、と思うところです。

浜通りの避難区域だった自治体は、住民の人口減少ばかり言われますが、役場業務の方も半数以上が応援や震災後採用で、役場機能の維持もきわめて難しい状態だと思います。

避難区域だった自治体で、浪江町の駅前再開発計画のような、信じがたい計画が実現してしまうのは、計画設計段階で既に東京のコンサル会社や東京電力からの派遣などが大きな影響力を持ち、なかば裸の王様化している首長の喜びそうなプランを提示する、ということが現実になっているからだとも思います。

以前から、避難区域の行政機能は、まちづくり公社という第二役場に発注していて、まちづくり公社は、東電と東京からのコンサル会社の人間がトップをつとめることが常態化しています。

いわゆる「つぐない」の意識は、時間の経過とともに薄れていきますから、今後、国見町のワンテーブルに近い展開になることはかなりの確率で想定し得ますし、避難区域自治体は、廃棄物と引き換えに数百億の交付金を基金としてもっていたりしますから、私が悪徳業者なら、用意周到に狙うと思います。

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人口減少と過疎化にともない、町役場の能力が人材的に枯渇し、地方議会もまともな監視能力を持ち得ない、けれど、予算はあるし、業務はこなさなくてはならない。

過疎化高齢化で住民の監視能力もさらに弱まっている。

そこに頭のいいコンサル的な業者が入って、うまくまわしましょう、とデータ満載で理路整然と素敵なプランを提示したら、のらない自治体の方が少ないのでは、とさえ思います。

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kahoku.news/articles/20230320k

河北新報が連日独自取材(特ダネ)で報じている国見町の官民共創コンソーシアムを舞台とした「自治体乗っ取り」計画、地方自治のあり方を知っていると、かなり深刻な話であると感じるのですが、日本全体の人口の7割が大都市圏に集中しているいま、関心さえもたれなくなっている気配なのがさらに危機感を強めます。

はやい話が、自治体予算をコンサル的な業者が食い物にする、ということなのですが、これが深刻なのは、日本全国どこでも今すぐに起こりうるし、これに近い状態になっているところは、浜通りの被災地にも存在する、ということです。

首の皮一枚でつながっているかいないか、というところだと思います。

兵站をだらだらと伸ばした戦線は必ず崩壊する、という太平洋戦争最大の教訓も学べない本邦統治機構。堀川惠子『暁の宇品』を読めばいいのに。bookclub.kodansha.co.jp/produc

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私が文句を言っている国際教育拠点は転んだところで、税金を無駄遣いした上の廃墟が広がるくらいで済みますが、避難指示解除問題は、人の人生がまるごとかかってしまうので、次元が違う問題なのです。

廃墟の後始末は、それはそれで苦労しますが、人生そのものが壊れるのに比べれば、まだだいぶマシです。

ひとりひとりの人間が悪人であるとは思っていませんが、組織として動いたときに、おそろしく残酷なことを、悪気なく平気でしてしまう。

そういうメカニズムが本邦統治機構には備わっているのだろう、と思わずにはいられません。

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居住人口の数を増やすのであれば、個々の人間が幸福だろうが不幸だろうが、しったこっちゃない、と言っているようにしかみえないんですよね。

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避難指示解除の帰還政策、先行きを一切考えないで、「希望者は帰還を」と念仏のように繰り返す、政治家や官僚を見ていると、太平洋戦争の南方戦線をしみじみと思い出します。

うちの祖父は、南方戦線の生き残りなのです。
ああ、こんな感じで中央政府はダラダラと無謀な拡大政策を続け、祖父を、南方の敵もいやしない環礁に送ったんだなぁ、と思います。

戦友の7割方は、病死餓死でした。戦死でさえない。
そういうことを、本邦統治機構の方たちは平気でなさるんだなぁ、今も。と思いながら眺めてます。

思考回路のなにかが決定的に欠落させるメカニズムが働くのではないかと思います。

エリート男性陣を見ていると、よほど大切にされて生きていらしたのだな、と思わずにはいられないです。

取り返しのつかない、償いようのない失敗をして、のたうち回った経験なんてお持ちでないんでしょう。

それでも、人生は続く、ですよ。

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これ、ほんとに、国の関係のみなさんの「自己満足」のつぐないでしかないです。

みなさん、償っていると思っているうちは、罪悪感が少し軽くなるでしょう?
現実に広がっている福島の避難区域の荒地や、悲嘆にくれて絶望している避難者の深い憤りから目を逸らしていられるでしょう?
首長さんや、復興予算で恩恵を受ける被災者からは、仲間扱いしてもらえて、気分が楽になるでしょう?

そういうの、全部、ただの気休めです。
この出来事は、取り返しがつかない、償いが効かない破壊的な出来事です。
ただ、歴史というのは、そういう破局的な出来事をしばしば経験しながら、それでも続いていくものなので、その現実のうえで、なんとかしていくしかないんです。
いいかげん、偽りの万能感から、目を覚ましてくれませんか。

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kahoku.news/articles/20230321k

この記事の「償い」の文字を見て、テレサテンの「つぐない」がリフレインして止まらないです。

youtube.com/watch?v=ohJw5XPZ4H

演歌じゃないんだから、やめようよ、「償い」とか…。
その「償い」のせいで、さらに大変なことになっているんだから、自己満足ですよ、万能感に溢れる役所の方の。

世の中には、取り返しのつかないことがある。
償いなんて不可能なこともある。それを奥歯を噛み締めて、死ぬまで受け止め続けるしかないこともある。
そういう無力感を先に知ってほしいですね。

衰えゆく国ならでは、とも思いますが。組織が組織防衛・組織維持にしか目が入らなくなり、社会への還元なんてまるで考えていない。そういう組織や機関ばかりが福島復興には残ってしまった、という感じですね。

ただ、研究機関が社会とのかかわりで、それをやっちゃ研究世界でもオシマイよ、という世の中なので、ほんまに、掃き溜めのような研究しか残らなくなるで、これ。

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しかし、修士の最初に受ける研究倫理の講義だけでも、福島復興関係は、これやばいでしょ案件があまりに多すぎて、かかわっている研究者と行政関係者は全員、いちど研究倫理の概論講義を受けるべきじゃないかと思う。

伝承館の体験談収集も、被災地の倫理問題にわずかでも関心を持っている研究者がいたら、かなり繊細な配慮が必要とされるプロジェクトだと瞬時に指摘がはいる問題だと思うのだけれども。
(現場にいても、上にまったく反映されない、ということはかなりの可能性であるとは思いますが。ほんとにお偉方は下の話をまったく1ミリも聞かないから。)

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福島の復興政策関係は、とっくの昔から、住民のことも被災地のこともそっちのけで、関連組織・機関が自分たちの主導権と予算・ポストをどうとるかのうばいあいにしかなってないのに、それをたかだかと「福島の復興のために!」と掲げるのはやめてほしいなぁ。

俺らのポストのために!
俺らの予算のために!
俺らだけの持続可能性のために!

と言ってくれると、ありがたいのですがねぇ。。。

オミクロンの後遺症というのか、残存症状、身体症状としては軽微かもしれないけれど、社会生活を送る上では深刻(影響あり)、という感じの話を、かなりの頻度で聞くのだけれど、学校でマスク外すの、大丈夫なのかな…。

いまさらなのだけれど、私の最初の活動団体名「ethos」は古いギリシア語で、「いつもの場所」といった意味合いで、そこから転じて「習慣」という意味も含まれるようになったらしく「ethics」の語源でもあります。

ethics が、土地に根付いた暮らしから生み出されるものなのだとすると、暮らしなきところにethicsは存在しうるのか、(おそらく存在し得ない)というのは、かなり核心的な問いであろうと思います。

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