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『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』
著/ ジェスミン・ウォード
訳/石川由美子

すごい本読んじゃった。ミシシッピ州の田舎に生きる家族の物語。中盤はロードノベル。あらすじを説明するのが野暮になる凄さなのでとにかく読んでほしいと思う。全編に満ち溢れる魂のようなものを肌でビリビリ感じる本だった。凄かった。なんか全然凄さが伝わる気がしないけど、トニ・モリスン『ビラヴド』みたいなかんじです。あれもすごかったなあ。

こどもが酷い目に遭う話がとことんだめになったので、最終章を飛ばし読みして生存確認だけしたあと本編に戻った。いろいろと事情があるうえでの描写だけど、こどもがひどい目にあうのは苦しい。

『心の傷を癒やすということ』
著/安克昌

阪神大震災のあと、被災地で「心のケア」に取り組んだ精神科医の本。この先生がいま生きてらっしゃったら、どんなことばが聞けたんだろうか。あまりにも早すぎる死が悲しくて泣けてきた。

名著、というのはこういう本にふさわしいのだとおもう。NHKでドラマ化されたときから気になっていた。読んで良かった。なにか気の利いたことを言いたいんだけど、貸出期限を意識しながら急いで読んだので全然味わい尽くせてない。手元に置いて何度でも読み返したくなるような本だった。

ただ側にいて話を聞く、というのは鷲田清一『「聴く」ことの力』にも登場した気がする。あちらもよかったな。また読み直そうとおもう。(元々は植田正治の写真に惹かれて買ったんだけど)

『本屋さんのダイアナ』
著/柚木麻子

ぱさぱさの金髪・母子家庭・若すぎる母・父親不明の女の子ダイアナと、ダイアナの友達の彩子、ふたりの女の子が自分の呪いを自分で解くまでの話。

ダイアナとティアラ(ダイアナの母の源氏名)の関係が最高で最高だった。マジカルグランマもそうだったけど、登場人物全員への視線が優しくてとてもまろやかな読み心地がする。もっと作中の世界に浸っていたいのにまた一日で読み終えてしまった…。くやしい…(?)

少女からだいぶ歳を食った私は、彼女らのように運命を切り開くことがどれほど難しいか知っている。知ってしまった。誰かのせいにしながら、自分の不甲斐なさに見て見ぬふりして、でもどこかで可能性を捨てきれず、みっともなくジタバタし続ける。登場人物たちのように屹然と顔を上げて生きていくのはどれほど困難なことか。

それでも、自分の人生の主人公は自分でしかない。アンの友達のダイアナ、この世のすべての決して何者にもなれない者たちに、あなたにもちゃんと力はあると小さな新しい地図を広げてくれる、そんな話だった。

中学生頃に読んでたら一生の宝物にしてたとおもう。私にとってその座は別の本にあるのだけど、この物語は娘氏にも読んでもらえるように本棚に置いておきたいな。

『ケアする惑星』
著/小川公代

誰かを傷つけることなく、時間的・空間的に遠く離れた他者を人間としてつながるための「ケア」の在り方を、文学・漫画・映画などの作品から探る。

「ケア」と聞くと、看病や介護や保育といった職業を思い浮かべる。この本で語られる「ケア」はもっと多角的だった。本来決して分かり会えない自分以外の他者と、分かり会えないままに手を取り合って共存するための方法、というニュアンスになるだろうか。そして、それは本来、性別や職業だけが担うものではなく惑星を形作る全員が参加するもののはずだ、ということが繰り返し語られる。そんなことも「ケア」なの?ケアと読んでもいいものなの?といくつも発見があった。

作品の海を少しずつ探りながら論を深めていくのが心地よかった。読んだことのある本や漫画がたくさん登場したので、新しい視点を見いだせたのも楽しかった。ヴァージニア・ウルフの作品を一つも読んだことがない。この本を読んで、とても読みたくなった。

『マジカルグランマ』
著/柚木麻子

「誰からも愛されるかわいいおばあちゃん」として役者で再ブレイクした75歳の主人公が、「理想のおばあちゃん役」から降りる話。

面白すぎて1日で読み切っちゃった。とても面白かった。出会えてよかった。

自分を束縛する「イエ」なるものから逃げたい一心で俳優に復帰し、オーディションを受け、稼げる「いい役」を狙っていたはずなのに、いつの間にか、あれほど逃げたくて燃えてもいいとすら思った古民家を中心に、新しいコミュニティを作っていく。集まるのは、夢みる上京娘に廃品回収のおじちゃんや、休職中のサラリーマン、会社を畳んだばかりの息子とその彼氏、痴呆症の友人…。「イエ」なるものを壊すのは難しくても、再構築してよりよい居場所にしていける。そんな希望を感じた。

中盤で主人公が自分が「いいおばあちゃん」を演じることで何に加担していたかを気づくシーンにぐっときた。社会の中で少しだけ居場所を見失ったひとたちに向けられる「どっちつかずでもいい」というメッセージが優しい。

これはマジカルでミラクルなおとぎ話だ。でも、主人公が巻き起こしたミラクルなおとぎ話を、きっと信じたくなる。信じてみたっていいじゃない。

『王とサーカス』著/米澤穂信

フリーの週刊誌記者が訪れたネパールで王族殺人事件が起こる。混乱する市街を取材する中、雑踏には新たな死体が現れて…という推理小説。

おもしろくて中盤くらいからぐいぐい一気に読んでしまった。推理小説というジャンルは作者の手の内で転がされるのを楽しむ分野と思ってるんだけど、とても楽しく転がされた。週刊誌がサーカスなら、推理小説も規模は違えどサーカスだな、とおもった。

どれだけ誠実に事象と向き合ったところで、物語になった瞬間から事実とは異なっていく。読者をサーカスに巻き込みながら、報道倫理や国外の貧困について真剣に(娯楽としてではなく)考えさせるようしむけるのは難しいな、というようなことを考えていた。ましてや国内で貧困が進行するいまは尚更。いや、別に推理小説がそれを担う必要もないのだけれど。

作中の時間は2001年でも、この本が出版されたのが2015年。2023年のいま、メディアは官邸主導のサーカスしか演じない。大刀洗さんはいま何を調査してるんだろうな。

『ノーマル・ピープル』著/サリー・ルーニー 訳/山﨑まどか 


離れようとしても離れられないふたりの男女の、高校から大学まで4年間を切れ切れに描く。スライス・オブ・ライフ、切れぎれのシーンを繋げた映画のような、独特の雰囲気をもつ小説だった。

傷つきやすく見栄っ張りで、誰かを必要としているけれどだれにも頼れない、孤独で普通な人たちが、繋がったり離れたりしながら、ちっちゃい痛みに満ちた毎日をなんとかやり過ごしていく。

マリアンは最初からずっと助けを求めているような女の子だったのに、コネルがちっともどうにかしようとしないので、読書中のメモには「コネルがクソ!クソ野郎!」と残されている。落ち着け。なお少なくともコネル以上のクソ野郎が複数名いるため作中クソ野郎ランキング的には下位だし、18歳かそこらの普通の男の子に誰かを助けることを求めるのは酷だ。

若者が主人公を読むと、私はどうしても昔の自分思い出してしまう。この小説は特にそうだった。今より若くて何も変えられず誰も助けられず、居場所を作る方法も知らない「普通の人」だった昔の自分(まぁ…今でも知らんけど…)が、ちょっとだけ慰められるような気がした。

『あなたの教室』著/レティシア・コロンバニ、訳/斎藤可津子 


これは本当に現代のはなし???
いまもまだ起こっているの???
まじで???

インド南方の海辺の街に旅行に来ていたフランス人女性が、街の貧しい子どもたちのために学校を作る話…と、あらすじはこれで終わっちゃうんだけど、少女たちが10歳やそこらで結婚させられたり、生理用品がなくて学校に通えなかったり、性暴力に対抗するため自警団を作ったり…半日あれば読み切れるような薄い本なのにどっとつかれた。

ところでインド映画『RRR』が熱いけど、『バーフバリ』では闘う女性を描いた監督がなぜ「男同士の結束」の物語にしたのか、女性の影がうっっっすいのか、理解できた気がした。あれってナショナリズムの映画だもんなあ。
ナショナリズムが男性の結束の映画になるのは、インドの女性たちは国の制度や法律から護られてないからだとおもった。女性は国から見捨てられ、強固な家父長制のもとで物品のように交換される。

だから女性は、時に途切れてしまうか細い繋がりで対抗するしかない。この本はそんな弱い団結を描いている。あまりに理想的すぎる気もする。でも、夢見ることからしか始まらない。そして人間の想像したものは必ず実現できる。すべての女の子はいつか凧みたいに舞いあがる。

『黒牢城』著/米澤穂信 


中盤の「城の頂点に立つ人間の心情を理解する者は地下牢に閉じ込められた者のみ」って展開にたぎった。でももしかしてだけど、著者がエモみの本領を発揮してるのは現代小説でじゃないかって気がずっとしてたので、別な現代小説も読んでみたい。

時代劇は好きだし『麒麟がくる』も観ていたのだけど、歴史上の人物の名前も史実も全然覚えてないもんだから、なにもかも新鮮な気持ちでオチまで読んでしまった。ただ松永弾正が「茶器抱いて爆死した人」ってことだけは覚えていたので、名前が登場するたびにずっと吉田鋼太郎の顔がチラチラしていた。


『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』
著/カロリン・エムケ
訳/浅井晶子

ドイツで2016年に出版された本だけど、今の日本がようやく議論し始めた議題のほとんどが取り上げられていた。「女性」「宗教(※ISの話)」「移民」「トランスジェンダー」etc...

平易な言葉で書かれているけれど、決して易しい本ではないと思う。この本がベストセラーになったというドイツが心底羨ましい。日本の議論は周回遅れなんだなと改めて感じた。それでもここから始めるしかない。

均一な民衆、真の宗教、自然な家族、適切な文化。一義的な価値観は「そうではないもの=不純なもの」への憎悪を焚きつける。憎しみに抗っていくために、不純な世界を生きる『我々』は世界の多様性を信じて発信していこうというメッセージが凄く響いた。

図書館で借りた本なのでゆっくり読めなかったのが残念。でも翻訳書は高いから気軽に手が出ない。文庫、出ないかなぁ…。


『姫とホモソーシャル』
著/鷲谷 花

マッドマックスに宝塚を幻視し、バーフバリを母親の要求を代行する家父長制として読み解く最初の章が面白すぎた。バスの中でニヤニヤしながらよんだ。あと私も宝塚を観てみたくなった。

黒澤明は男ばっかりな話が多いけれど、見ていてもあまり嫌な感じの男臭さがしなかったことを思い出し、その理由が解きほぐされていく心地がした。

タランティーノ映画は女性の描き方が独特で、何かしらのフェチズムは感じる(特に足)し問題意識もあるんだろうなとは思っていたけど、フェミニズムの文脈からの見方がとても刺激だった。

その他ハウル、ナウシカ、ホルス、でてきた作品全部もう一度見たくなった。だいたい見たことのある作品ばかりだったのに、全然異なる視野が開けて楽しかった。


『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』
作/アリソン・ウッド
訳/服部理佳

最低最悪な本だった。特に、これが実話ということが。

17歳のアリソンが28歳の高校教師と交際していたときのエピソードが延々と綴られる。これが一昔前の少女漫画なら、教師と学生のロマンチックな恋物語にされたんだろう。著者アリソンは30代半ば、17最だったのはたしかに一昔前だがロマンチックでもなんでもないし、彼女にとって当時の痛みは一昔前ではない。

それにしても、なんて巧妙に未成年の心に取り入るんだろう。君は特別だし自分たちの関係は神聖なものだと言われて揺らがない子がいるだろうか。自分だけの秘密を大切にしない子がいるだろうか。

第三章、生き延びた著者が「あれは虐待だった」と認めていく過程がつらかった。あれは恋だった、彼は自分を愛していた、そのすべてが裏返ってゆく。別れてから何年経っても、ふとした拍子に記憶の底からあの頃の思い出が蘇る。

100分でフェミニズムのとき、上間先生が仰った「身体を使って起こったことは甘く見ない方がいい」という言葉について思う。出来事が語り直されるとき、身体は自分を裏切る。

でも、裏切らせた奴が悪い。そいつは悪い大人だ。そんな奴がこの世に存在していることを直視したい。

『私のペンは鳥の翼』
著/アフガニスタンの女性作家たち
訳/古屋美登里

飾らない文章、まっすぐな表現で描写される爆弾や死や空腹。読み始めたとき、私はこれらの小説を幻想文学、マジック・リアリズムの作品のようだと感じた。通学路で爆弾に身体を吹き飛ばされることに怯える日常がリアルとはおもえなかったし思いたくなかった。私にとってアフガニスタンの日常は幻想文学でしかないのか…と、ちょっとばかりショックを受けた。

とにかく頻繁に人が死ぬ。書かれた時期や場所は異なるのに、爆弾が降ってきては夫や子供や友達や見知らぬ誰かを吹き飛ばす。あと、みんな常にお金に困っている。お腹を好かせている。そうじゃない話はなかったほどに。

そんな中でも、赤いブーツを履くことを自分で選んだ少女や、女手一つで子供二人を育てていく決意をした未亡人や、水路を掘った女性の話は、わたしたちにはより良い未来を選び取るだけの力があるのだと告げている。それを信じる勇気をくれる。

どうか、この物語たちが最初に書かれた言語で印刷されて、アフガニスタンで出版される日が来ますように。


マーガレット・アトウッド『侍女の物語』

夏からとりかかってようやく読み終えた。読んでる間中息苦しさを感じてしんどかった。どれだけ読んでも「ギレアデ共和国」の全体像が分からない。何も分からないまま主人公の人生はだらだらと続きある日唐突に物語が終わる。

自分は何もしないけれど友人や母親に英雄的な行動を期待する主人公に共感した。私も彼女と同じだから。でも何ができるだろう。この息苦しさは今の日本に生きていると身近に感じるタイプの奴だと思った。

同じ性別の年配者に若輩を管理させるやり口がおぞましかった。タランティーノ『ジャンゴ 繋がれざる者』の奴隷頭スティーブンを思い出した。でも、権力勾配で辛酸舐め続けた年配女性が若輩女性に年代物の「生き抜く知恵」を教えるのは今に始まったことじゃないし、「産む女」「産ま(め)ない女」の格差がひどくて貧しい女は身を売る現状や、支配者層=男から「価値のある女」に認めてもらわないと生存が脅かされるのは部分的に現在進行形なので、ギレアデ共和国の時代がディストピアだったら今もわりとディストピアだなと思った。

年明けの『100分de名著』でどんな解説が聞けるのかとても楽しみ。

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